上々堂(shanshando)三鷹

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2006年 11月 30日

いよいよ明日から!

三周年記念月間に突入します!
池田香代子さんの本125冊(児童書から哲学書まで極美多し!)
はすでに到着。今日午後には杉並北尾堂の300冊超も到着する
予定。
池田さんの本は、途中追加があるかもしれません。
今まで、月間売上げで王者の座を保ち続けた岡崎堂も今月は、
安泰とは言えないかもしれません。
何はともあれ、すでに11月14日四周年に突入した上々堂をこれ
からもよろしく!

池田さん北尾さんのコーナーは12月30日まで、なお23日の営業
は、池田さんお話が始まる30分前、17時30まで。(蛇腹姉妹の演奏
は通常営業の状態で行います。)
30日の営業は実質準備のため殆ど出来ないと思いますので、基本的
にライブにおいでいただいた方にたいしてのみの営業とします。

イベント情報の詳細はこちら

追伸: 午後4時現在、北尾堂到着! やるなぁ!さすが、
池田さんの線とハッキリ違って、この企画は大成功!
かどうかは、これからですが。とにかく上々堂が膨らんだ
感じです。

追々伸:先日、来店された加藤千晶さんから、特別ゲスト久住昌之さん
も来てもらえそうとの情報あり!
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by shanshando | 2006-11-30 12:49
2006年 11月 30日

いよいよ明日から!

三周年記念月間に突入します!
(b)池田香代子さん(/b)の本125冊(児童書から哲学書まで極美多し!)
はすでに到着。今日午後には(b)杉並北尾堂(/b)の300冊超も到着する
予定。
池田さんの本は、途中追加があるかもしれません。
今まで、月間売上げで王者の座を保ち続けた(b)岡崎堂(/b)も今月は、
安泰とは言えないかもしれません。
何はともあれ、すでに11月14日四周年に突入した上々堂をこれ
からもよろしく!

池田さん北尾さんのコーナーは12月30日まで、なお23日の営業
は、池田さんお話が始まる30分前、17時30まで。(蛇腹姉妹の演奏
は通常営業の状態で行います。)
30日の営業は実質準備のため殆ど出来ないと思いますので、基本的
にライブにおいでいただいた方にたいしてのみの営業とします。
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by shanshando | 2006-11-30 12:46
2006年 11月 28日

古本屋の掃苔帖 第三百五十回 家永三郎

私は少年時代、自分の意思とは関係なくボーイスカウトに入ら
されていた。幼稚園で団体行動が苦手と評価されて、親が余計
な教育的配慮というやつをしたのだ。結果未だに私は団体行動
が大嫌いである。
まぁ教育的配慮なんて結局そんなもので、大人が思った通りに
なんか子供は絶対育たない。

ボーイスカウトというのは、子供たちに自然と触れ合う機会をも
たせるという美辞麗句に隠された実は全体主義教育で、その発
生からして、イギリスの少年兵養成システムなのである。
現在も同じことをやっているかどうかは知らないが、当時は徹底
した精神主義的な指導が行われ、例えば真夏の行軍の折なども
決められた休息時間にしか水分補給をさせてくれなかった。
為に、倒れるような子供がいても、「昔の兵隊さんは……」という
有難い訓示を聞かせるだけで、指導者たちは自分たちの方針を
疑おうともしない。まるで帝國陸軍のミニチュアなのだ。
中でも嫌だったのが、日の丸の掲揚と「君が代」の斉唱だった。
私は、団体に溶け込めないトロイ子だったが、あいにく知力は並
程度にはあったので、この国歌と称されるわけの判らん歌の歌
詞に疑問を持ち、考えた。
一体「君」って何なんだ?
二人称の「you」では多分なくって、タイチョー達が有難がってい
るテンノーヘーカであるらしい。
「が」はたぶん「の」と一緒だろう。
「世」は世界だから、「テンノウヘーカの世界」という意味だろうけど
どーしてそういうことになるのか判らない。
そのあとの「さざれ石にこけがむす」っていうのはもっとわからな
いけど、とにかくタイチョーたちはこの歌を僕らに歌わせて、テンノ
ーヘーカを尊敬させたいのだ。
虚弱でトロイから文句も言えなかったけど、イヤ言えなかったから
こそ、僕はお腹の中でそんなインボーにはまってたまるかと思った。

今は、学校で日の丸・君が代を強制しているらしい。
日本人はすぐに右に倣えする国民だから、20年も経てば嘗てなん
の疑いもなく軍国主義からアメリカ型民主主義に乗り換えたように
全体主義を今一度この国根付かせることが出来るだろうというのが、
為政者の目論見だろうが。
どっこい、そんなチンケな目論見に乗ってたまるかい。という子供達
が多いことを信じたい。

ボーイスカウトで虐待されていた頃、こんな替え歌を唄った。
「白地に赤くサルマタ染めて、アア恥ずかしい日本の旗は~」

2002年の明日11月29日に死んだ家永三郎は、教科書裁判の印象
から左翼思想の持ち主だと思われがちだが、実際には津田左右吉に
連なる大正リベラリストの系譜で、津田は戦後天皇制擁護をした人だ
から家永も同様の思想だったと思われる。ただ学者として歴史の真実
を曲げない良心に従っただけなのだろう。
彼が32年に亘って戦った教科書裁判は、民事裁判としての最長記録
としてギネスブックに記録されている。
享年89歳
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by shanshando | 2006-11-28 18:06 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 11月 26日

古本屋の掃苔帖 第三百四十九回 都築道夫

ディレッタントという言葉を手元にある広辞苑でひくと、
「好事家、一般に何事も慰み半分、趣味本位でやる人」と
説明されている。あんまり肯定的とは言い難い表現である。
もっとも私どもが店で常用している広辞苑は、昭和30年に
出た第一版。新しいのは入って来たら、右から左に売りさば
いちゃうから、古いのしか残っていないのだ。
高度成長期前夜の昭和30年には、あまりディレッタントが尊
ばれる世相ではなかったのかもしれない。

都築道夫は、その広辞苑第一版が出された翌年早川書房に入社、
「エラリー・クィーン・ミステリー・マガジン」の初代編集長
になっている。御歳27歳の随分若い編集長である。
正岡容に師事し、兄は同門で落語家の鶯春亭梅橋。談志の「現代
落語入門」にも名前が見えるが、残念ながら30歳で早逝している。
都築のディレッタントぶりは、この兄の影響だと言われている。

ディレッタントに、少なくとも昭和30年時点の新村出と岩波書店は
好意的ではないようだが、昔も今も趣味のディレッタントならともか
く、それを身過ぎ世過ぎの看板にしている人は大変なようだ。
まず金が要る、知識が要る、センスが要る。そうして、もしそのうち
どれかに恵まれていなくとも、決してオモテに表わさない気持ちの
余裕とツッパリが必要なのだ。

人生良いときもあれば、悪い時もあるが、その度にあくせくするよう
では、ディレッタントのメッキが剥がれる。中でも死に際というヤツ
を如何に飾るかがディレッタントの生き様の通信簿になるように思う。
死に際になって、急に悟ったような事を言ったり、何かの宗教に入信
したりというのは、弱さを抱えた一人間としては理解できるが、やっぱ
りその時点で一生磨いて来たディレッタントの金看板は降ろしたも同
然である。
わかりやすく言うと、幸福の科学に入信して、あげく怪死したKは失格
だが、「ちょっと南半球クルーズに行って来ます」と言って淡々と去った
杉浦日向子さんは格好いい。

人の事を偉そうに言って、お前どうなんだ?と言われると、Kタイプにな
らないよう務めるのが関の山で、とっても杉浦さんのようにはなりがたい。
もっとも、私はディレッタントでもなんでもない、紙魚商売の小商人に過
ぎないから問題じゃないが。

さて、ディレッタントという看板を読者としての私が知る限りでは、一度
も濁す事の無かった都築道夫師匠は、2003年の明日11月27日に他界して
いるのだが、死んだ場所が中々オツだ。なにせハワイのホノルルである。
そりゃ人間ひとりの終焉だからさまざまあったかもしれないが、親戚縁者
でもない一読者としての私たちとしては、賞賛して惜しみない。
それでこそ残した作品も生きるってもんだ。やるねー師匠!
行きたいねぇー、ワイハ!
ディレッタントじゃないけど、私も死ぬときゃ南の島がいい!
金があればだけどね。無きゃ、どっかの施設に入れられちゃったりする前
に、本の下敷きにでもなって死ぬさ。

享年74歳
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by shanshando | 2006-11-26 16:56 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 11月 25日

古本屋の掃苔帖 第三百四十八回 小村寿太郎

新聞のご利益というものは大したもんで、お陰様で売り買い
ともに順調である。気のせいか、買取先で日の丸を見かける
事が多いようだが、おそらく気のせいだろう。
私の母などは、新聞記事を店に張り出せなどというが、田舎
のラーメン屋じゃあるまいし…。
来週の水曜には、日刊ゲンダイに岡崎堂などについての話
題が紹介されるらしい。

さて、小村寿太郎であるが、この人は弱腰外交と罵られなが
ら、ポーツマス条約を締結したことから、平和主義者とみられ
がちだが、実際は超タカ派であったという話を聴いた。
当時の日本は列強、特にロシアの脅威に晒されており、防衛
上の理由その他から、大陸への侵攻は必要欠くべからざる
措置であった、だから小村のような先覚的な官僚は当然大陸
侵攻に積極的であったというわけだ。
恐らくそれはそうだろう、当時の政府や官僚が躍起になってい
たのはよく判る。
しかし、そういった小村はじめ当時の官僚・政治家を愛国者で
偉いと讃える風潮は如何なものか?
また、それを今の時代に置き換えて、愛国心を煽るのは愚か
しい行為だとしか思えない。
外交というのは、パワーゲームであって、誰かが安全や繁栄
を守ろうとすれば、片やでそれを失う人が出てくる。
明治日本が行った外交戦略は、結局四辺の弱小国や弱小民
族を楯にして自らの利益や安全を勝ち取ろうしたに過ぎない。
台湾で沖縄で朝鮮で北海道および所謂北方領土で、明治政府
が行った所業は、大の男が女子供を楯にするようなもので、これ
を偉業などと言ったのでは、国家の品位が問われるんじゃあり
ませんか?
まさか、昔はそれもアリだったし、今も実はアリなんだとは言わ
ないでしょうね。

小村寿太郎は、1911年明治44年の明日11月26日56歳
の生涯を閉じている。
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by shanshando | 2006-11-25 16:20 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 11月 24日

古本屋の掃苔帖 第三百四十七回 高島象山

西荻の興居島屋から三鷹の上々堂にバイクで向かう時は、井の頭
通りを使うのだが、前進座を超えてブックステーションまでの間に心
霊スポットのような場所がある。
どういうわけか道の左右に占い屋が並んでいるのだ。
もう少し行き過ぎると、よみた屋のあたりから吉祥寺の中心部に突入
し、町並みも華やかになるのだが、そのあたりは何故か開発からとり
残されたように、昭和中期の雰囲気を漂わせている。
丁度、井の頭公園の北東にあたるから鬼門になるということかしら?

私は一応無信心なのだけど、臆病者でもあるので縁起とかそういう
ことは結構気にしちゃう。気にしちゃう自分を知っているから、出来る
だけ占いなどには近付かないようにしている。
占いの本を売りにくるのは殆ど女性のお客様だが、大抵幾つかの種
類に亘っている。星占いあり、血液型占いあり、なんとか算命学、動
物占いエトセトラ…。
どうにも気が多いというか、結局どの占いを信じているの?と聞きたく
なるが、つまりはどれもたいして信じてないのではないか。
私のような臆病者からみれば、こういう人は実に倣岸に見える。
世の多くの女性が占いに興味をもつのは、つまり暇つぶしで、男ども
がつまらない事でクヨクヨうじうじ悩んでいる間に、ソファーに寝転が
って、ポテトチップス食べながら占い本を読んで。気に喰わない事が
書いてあったら、「フンッ!」と鼻息で吹き飛ばしているかと思うと、頼
もしい限りで、これから益々女の時代だナァと思う。

高島易断というのは、江戸時代に高島嘉右衛門という実業家が始め
た占いの流派だが、現在本部と名乗っているものは殆ど全部嘉右衛
門の流派とは無縁であるそうだ。当然、この象山という人も亜流だった
のだが、「黙って座ればピタリとあたる」というキャッチフレーズで有名
になり派を広げたが、昭和34年の今日11月24日、事務所を訪れた
心霊術を標榜する青年に刺され、翌25日他界している。
享年73歳

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by shanshando | 2006-11-24 17:15 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 11月 23日

古本屋の掃苔帖 第三百四十六回 太田静子

桜桃忌のため取り置いていた太田静子「斜陽日記」を引っ張り出し
て読んだ。
言わずと知れた太宰治「斜陽」のタネとなった文章を、太宰の死後
出版したものである。
装丁は花森安治、冒頭の著者近影で太田静子は食卓とおぼしきテ
ーブルに原稿用紙を広げ万年筆を構え、顎を引き気味にカメラ目線。
隣に写ったおかっぱ頭の少女は、後の作家太田治子であるはずだ。
昭和23年の出版当時、未だ1歳に達していない筈だが、随分しっかり
しているように見える。
太宰の遺言により、伊豆に居住していた太田静子にこの本の原稿とな
ったものを返却しに来た井伏鱒二と伊馬春部は、太宰の名誉の為、こ
れは当分出版しない方が良いと忠告するが、経済的に逼迫した彼女は
結局その年のうちに出版する。
そりゃそうだろう、子供を作っておいて勝手に死んじゃったヤツの名誉より
子供の生活を優先するべきで、至極妥当な判断である。
そもそも、太宰はいつかネタにしようという下心があって、彼女に日記を
書くことを薦めたようだが、読んでみるとこれは随分創作であることが判
る。エピソードそのものは恐らく本当なのだろうが、細部には文学少女的
空想による脚色が目立つ。
何を証拠に?と思われるだろうか。
彼女と母親の会話が綺麗すぎるのだ。いくら上流家庭でも滋賀県愛知川
の人間はあんな綺麗な言葉で喋らない。もし取り澄ました上流語を使うな
ら、京訛りを使ったはずだ。それなのに「斜陽日記」の母と娘はまるで新劇
の役者が「桜の園」でも演じているような会話をする。これはあきらかに、太
田静子が太宰に読ませる時の事を意識して、脚色したものだと思われる。
太宰の死後、津島家はこの親子に冷淡で、口止め料のように「斜陽」の改装
版の印税10万は渡したものの、親子の生活は苦しく、静子は炊事婦や寮母
をしながら治子を養ったという。

太田静子は1950年に「あはれわが歌」という作品を残しているが、作家として
大成することはなく、1982年の明日11月24日肝臓癌で亡くなっている。
享年69歳

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by shanshando | 2006-11-23 17:23 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 11月 21日

古本屋の掃苔帖 第三百四十五回 大宅壮一

「どうして古本屋さんになったの?やっぱり本がお好きだから?」
という質問を一年に果たして何度訊かれるだろう?
新聞雑誌の取材などの度かならず訊かれる事である。
ようするに、どう考えても儲かりそうもない商売を元々の家業を
継ぐならいざ知らず、自ら進んでまでなるのは如何なる酔狂か?
という事だろう。

「本がお好き?」と訊かれれば、そりゃ「嫌いです」とは言えない。
しかし、いわゆる愛書家・コレクターのように好きか?と言えば、
はっきり言ってそこまで好きではない。
女郎とおんなじで(って本当の女郎なんて知らないんだけど、た
ぶんおんなじで)好き過ぎても困るし、嫌いじゃやってらんないと
いうのが真相だろう。

もっとも最近は、愛書家がそのまんま業者になっちゃうパターン
もあったり、私のように元々左程好きでもないものが、でもしかで
続けているうちになんとなく好きが昂じてくるという例もあるようで、
そうなると好きなものは手放したくなくなる。
絶対に売れそうもない値段をつけて、一応店の棚に出したりする
が、お客が手に取るたびにお買われやしまいかとドキドキしている。
道理の通らぬ、つまらない気苦労をするぐらいなら、いっそ廃業し
て、コレクターになれば良いのだが、それでは飯の食い上げである。
今更、本を離れた商売など出来そうもない。
そこで、勿論仮想としてだが、古本屋が廃業して出来そうな商売
を考えてみた。

憧れとしては図書館の司書だが、能力はともかく(実際下手な司書
より古本屋のほうが本を知っているし、お役所的な発想をしないか
ら結構利用者の役に立つ司書になれると思う。)年齢や資格の取
得を考えると無理である。
私立の文庫を開業するのはどうだろう?
分野を限り、古本屋の集書術を生かして絶版書籍の閲覧貸し出し
を有料で行うのだ。
訊いたところによると、M美術大学のK教授の夫人はご主人が研究
のため神田のT書店に依頼して集めた洋書を、出版関係の人々に
貸し出して荒稼ぎしているらしい。分野がデザイン関係だから、結構
需要があるらしく。一回の貸出料は一冊一万円だとか!
はっきり言って神田でも老舗で有名なT書店も完全に上前をはねら
れた形である。
もう馬鹿馬鹿しくって、均一本なんぞ集めてられない。

「僕は本を集めるんでもだな、図書館にあるような権威のあるものは
集めないんだよ。つまらん本ほどいいんだ。或は一時大衆の間に圧
倒的に受けて、今はもうゴミダメの中にあるようなものがいいんだな。
そういうものがネタになるからね。つまり僕らはだね、大正13年という
と、大正13年にはどんなことがあってどんな人気者がいたか、という
ようなライブラリーをつくることなんだな。民衆の図書館をね」
(中央公論 昭和30年4月号 近藤日出造著「僕の診断書 大宅壮
一」より 

K教授夫人の経済活動と一緒にすると叱られるかもしれないが、日本
の私立図書館でもっとも有名な「大宅文庫」は雑誌の収蔵量の多さで
は公立の図書館でも適うところは、ほとんどないだろう。漸く国会図書
館が対抗しうるのかもしれない。入館料500円で一回の閲覧は10冊
まで、それ以上は10冊単位で300円、コピー代が結構なお値段だと
か。ちょっとした調べ物でいくと、瞬く間に経費を蕩尽するらしいが、そ
れでもマスコミ関係の利用者が押し寄せるとか。
嘗て、岡崎さんが坪内祐三さんに偶然初めてここで遭遇したという話
を今丁度来た岡崎さんに伺った。

戦後日本を代表するジャーナリストにして、大宅文庫の前身である「雑
草文庫」の創設者大宅壮一は1970年の明日11月22日70歳の人生
を閉じた。


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by shanshando | 2006-11-21 18:05 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 11月 18日

古本屋の掃苔帖 第三百四十四回 ブルーノ・シュルツ

1998年に新潮社から出されたブルーノ・シュルツ全集が元々
高価であった上、すぐに絶版になったため待望久しかった「ブ
ルーノ・シュルツ全小説」が平凡社ライブラリーから出てちょうど
一年になる。

ブルーノ・シュルツは、1892年現在のウクライナの西端ドロホ
ヴィチに生まれたユダヤ人の画家兼小説家でポーランド語を
使用し国籍を取得していたため、ポーランドの作家に分類される。
1942年、ゲットーでナチスによって銃殺された。
翻訳者工藤幸雄氏の平凡社版の解説によると、2001年ドロホ
ヴィチの彼の旧居の壁に塗られたペンキの下から、彼の壁画が
発見された。鑑定の結果間違いなく本物と認められ、ポーランド
ウクライナ両国で文化財としての保護が決定された直後、椿事
(と言っていいのだろうか?)が起った。
発掘作業中の壁画が何者かに盗まれたのだ。
調査の結果犯人は、なんとイスラエルの国立ホロコースト博物
館「ヤド・ヴァシェム」であることが判明。つまり国家が泥棒をした
のである。
イスラエルは悪びれることもなく、これを公式発表したという。
ナチスのホロコーストによって殺されたシュルツの壁画は、ユダ
ヤ人国家であるイスラエルのものという理屈らしい。

皆さん国家ってなんでしょう?
自分たちの存立を正当化するために役立つ遺産は取り合いをし
てでも手に入れるクセに、自分たちの恥になる負の遺産には目を
そむける。あるいは、無かったことにする。
日本では、教育基本法が強行採決されましたが、愛国心や民族
主義が狂気を孕む可能性を持っていることが忘れられていない
でしょうか?
それとも、日本人だけは大丈夫!なんて思っているのでしょうか?

ブルーノ・シュルツは1942年の明日、11月19日ホロコーストに
より50才の人生を閉じさせられた。

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by shanshando | 2006-11-18 15:26 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 11月 17日

古本屋の掃苔帖 第三百四十三回 木村荘八

食べ物の話が続く。
京都の寺町にキムラというすき焼き屋が、どうやら今も盛業中
のようである。
子供のころ、年末に家族で河原町の百貨店にお正月用の洋服
を買ってもらうために出掛けると、昼はお決まりの百貨店の大食
堂だったが、夕食はよくこの店で食べた。
広い間口の玄関を入ると、下足番のおじさんがいて履物と引き換
えに下足札をくれ、前掛けをつけたお姉さんの案内で2階のお座
敷にご案内。店内にはすき焼きの匂いが満ちていて、もう心はウ
キウキ。
うちの親父は、何事もケチケチ頼むのが嫌いな性分で、子供3人
大人2人の食べる量としては過分すぎる注文をし、いつもしまり屋
の母が顔をしかめる。
やがて、肉や野菜が運ばれるとプロパンガスのコンロにお姉さんが
着火して鉄鍋に脂を引く、割り下を使う関東風のすき焼きとは違い、
京都のすき焼きはいきなり肉を一掴み焼いてその上にドバドバ砂糖
を振り掛け、醤油をぶっかけその上に野菜を入れて煮るのである。
親父は短気でもあったので、煮上がった尻からドンドン食べないと怒
られる。まったく慌ただしい食事で、弟はイヤだったようだが、私はレ
トロな造りのその店に入れるだけで嬉しかった。
あのキムラという店は、その名と京都という立地からして「いろは牛肉
店」の木村荘平の係累ではないかしら?

荘平の三十数人いたという子供の中の八番目の息子である木村荘八
の代表作「牛肉店帳場」には、あの京都のキムラと似通った雰囲気
がある。
男性原理の権化のような父親の息子として、両国の「第八いろは」に
生まれた木村荘八は今はもうない東京の光陰を写した画家である。
光陰という漢語は勿論一般には時間を意味するのだが、この場合私
はむしろ文字通りの光と陰という意味で使いたい。
荘八の描く古い東京の町の光や陰は、失われた懐かしい時間を象
徴していると思えるのだ。

東京っ子として生まれ育ち、明治・大正・昭和の三代を経て失われて
いった懐かしい「町の息吹」を思いながら、当時は郊外という印象が
強かった杉並・和田堀で晩年を過ごした。
亡くなった年に描いたという「新宿遠望」という絵は、その和田のあた
りから眺めたのであろう風景に過ぎ去った時間をかさねているように
見える。冬枯れのその景色のなかに、やがて巨大な高層ビル群が
建つとは予想だにしなかっただろう。

木村荘八は昭和33年の明日、11月18日65歳の生涯を閉じている。
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by shanshando | 2006-11-17 15:51 | ■古本屋の掃苔帖