上々堂(shanshando)三鷹

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2006年 12月 29日

やっぱりね!

およそ
(と、殊更低い声で語り始める。)
世の中には、三種類の人間しか存在しない!
うず高く積み上げられた本を見て、豊かな気持ちになる人間と、
「汚ないわねぇ、もう捨てちゃってよ」と言い出す人間!
そうして「やったね!ひと稼ぎだっ!」と思う人間!

あっ、どーも失礼しました。一昨日今年一杯で閉館になる三百人
劇場
買い取りに伺って以来、頭がシェークスピアしてまして。
いやぁ、劇場は何度も通ってますし、地下の事務所にも前に伺っ
ているんですけど、三階の稽古場にはこのたび初めて入れてい
ただきまして、なんというかスバラシーィ!
映画で観るヨーロッパの古いバレエスタジオみたいで、かっこいい!
ここで嘗て坪内さんが福田恒存のお手伝いをしていたんですかな!
ほっほー!

ほっほー!は良いけど疲れた~。
なんせエレヴェーターがなくて、本が各階に分かれて置かれているため、
上ったり下ったり、階段がまた急なのだ。
半日がかりで、整理して査定。輸送の手配をとって、ぐったりして西荻に
帰ると即座にまたもう一軒の買取、これは量が少なかったけど、同時に
上々堂の小森さんからメールで、このところよい本を大量に持ち込んで
いてくださるお客様から、また五本ばかり着たと報告。
いやぁー嬉しいやら、休みたいやら、兎に角それは明日(ということは昨日
ですね、ややこしい)見させてもらいますと返事をしたところ、明日(つまり
昨日ね)は朝からもう一軒別なお客様も訪ねなければならないてなわけで、
昨日、一昨日は本と格闘してました。

上々堂に七十年代の香りが沁み込んだような書物を、大量に売ってくださる
Oさんは、お伺いしたところ別に引越しというわけでなく、お子さんに部屋を
明け渡されるためのご処分とか、永年愛蔵された本との別れはさぞ辛いこと
でしょう。
恐らくは奥様のご意見でしょうか?
愛書家は、みなそうやって奥様との闘いに敗れ続けて、世の無常を知るの
ですなぁ。
古本屋としてはご主人に同情しつつ、奥様を応援するというようなわけです。
だって売って貰えなけりゃ、商売にならんもんね!

お陰で、ただいま上々堂には、種村季弘関係の本が充実。映画資料も豊富!
いやぁ!ありがとうございましたOさんの奥さん。

さてさて、明日に迫った三周年記念の最後を飾るイベント!
加藤千晶 VS 岡崎武志 + 久住昌之 ライブ&トーク
日時が年末どん詰まりとあって、出足の遅かった予約も、やっぱり土壇場に
来て、続々埋まり始めています。
この際エキストラシートも準備して(まぁ全席エキストラみたいなものだけど)
お待ちしています。

あっ!それから当日暖かい飲み物のサービスをしますが、カップの数が
充分でないので、できればマイカップをご持参ください
よろしくね!
そうして、エキストラシートといっても限りがあるので、予約は早めに
お願いしますね!
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by shanshando | 2006-12-29 14:41 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 12月 26日

三周年イベント加藤千晶・岡崎武志+久住昌之編迫る!!

さすが年末とあって、出足が悪かった予約も続々埋まり始めました!
未だ若干の空きがありますので、ご予約はお早めに!
当日は、「たのしい中央線」の方も取材に来るそうなので、年明けに出る
号で様子が紹介されるかもしれません。来られない方はそちらで見てね!

さて今日の掃苔帖はウィリアム・G・モーガン!!って誰やネン!
(私のこのブログは、ボケツッコミが多いとこの間ダンサー入江に指摘
されました。ボケツッコミは関西人にとってはお念仏みたいなもの、
一日にいっぺんカマさないと、バチがあたりまんねん!)
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by shanshando | 2006-12-26 17:37
2006年 12月 26日

古本屋の掃苔帖 第三百六十三回 ウィリアム・G・モーガン

本当のことを言えば、年の瀬から正月にかけてのこの時期が
大嫌いだ。
子供の頃は勿論好きだったし、20代のころも初めのうちは好
きだったような気がする。
嫌いになり出したのは、たぶん中年と呼ばれる歳になってから
だと思う。特に自分で商売を始めてからは、ますます嫌いにな
った。
私が興居島屋を始めたのは11年前の1995年で、勿論バブル
はとっくの昔に弾けて、景気の下降線も下がるだけ下がって、
新聞やテレビも今が景気の底であるかのような報道をしていた。
「もし、今が景気の底であるなら、開業するのに今ほど適した時
はないのではないか!なにしろここからは、良くなることはあって
も悪くなることはないのだから!」

頭の中にいくつものをひらめかせながら、私は思い切った(私にしては)
借金をして、手ごろな店舗を探し、自らトンカチをふるって興居島屋
の店を作った。思えばもう中年にさしかかっていたとは言え、あの頃
の私は元気だった。慣れない大工仕事も、理想の生活を手に入れる
為の関門と思えば、頑張れた。
大丈夫!うまくいくはずだ!なにしろ景気は底で後は上昇あるの
みなのだから!
……ところがどっこい底の下には、まだ底があった。

あれから11年、一度たりとも安閑と送れた年末年始はない。
夏枯れの8月は、なんとか乗り切れても、年末年始という魔のシー
ズンを乗り切ることは、サラリーマンのみなさんに高額のボーナス
が支給され、クリスマス歳末商戦で街が賑わった昔ならいざしらず。
現在では至難の業である。
この十一年の間に一体何人の同業が廃業していった事だろう。
今年もまた絵本関係で良心的な仕事をしていた同業が2軒店を閉じ
た(1軒は厳密には今閉店の告知をして営業中)
彼らが去っていく中、私どもが何とか青息吐息でも続けているのは、
無論私が優秀なのではなく、その逆で無才ゆえ転業の宛てがない
という事に尽きる。

いや、無才は無才なりになんとか就ける職もないのではないだろうが、
なにしろ46を過ぎた身での転職は容易ではない。
そんなことをいうと50代60代で頑張っている方たちの叱責を受ける
かも知れないが、先日読んだ司馬遼太郎の「風塵抄」にもそんなこと
が書かれていたけど、人間、とくに男性は40代で一度肉体的な限界
点に達するのだそうだ。そういえばこのブログで紹介している人たちの
享年にも意外と40代が多い。

心身ともにふらふらになりながらも、私はゴキブリのごとく来年も生き
るのであろうけれど、もしこれから独立開業を目指している方がいたら
これだけはご注意しておきたい。
もしアナタに有り余る若さか、有り余る資金があるなら別だけど、
会社の早期退職金をあてにしてするような開業なら止めておいたほう
がいい。今の政府が今の政策を掲げている限り、零細業者などに景気
の恩恵が廻ってくることは金輪際ない。
会社がリストラしようとしても、根が張ったように居座り、あらゆる虐待に
耐え得るように心身を鍛え、食いつぶせるだけ食いつぶしてやりなさい。
間違っても、退職して古本屋をやろうなどと思わないことだ。
早死にしますよ。

1942年の明日12月27日、ウィリアム・G・モーガンという老人が72歳
で亡くなっている。この人はYMCAの体育教師で、バレーボールの考案
者として歴史に名を残した。当時ミノネットと呼ばれたこのスポーツは、バ
スケットが激しすぎる為中年サラリーマンのスポーツに向かないと考えた
モーガンが考えたものであった。そういえば日本でも昔の映画や漫画を
みると会社の屋上で腕まくりしてバレーボールをしているサラリーマンが
出てきたっけ。
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by shanshando | 2006-12-26 14:48 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 12月 24日

イベント第一弾、お蔭様で好評終了!

昨日はいろいろな出会いがあった日でした。
蛇腹姉妹の演奏は、古本屋が本来もっているタイムマシンと
しての作用を助長してくれて、聴きに来てくれた人達は不思議
な時間を味わって貰えたと思います。

池田さんのお話は、私たちが知らない、そうして知っているべき
世界とこの国の現実を教えてくれて、参加した人達、女子高校
生や、知的障害児の教育に携わっている人、フリーターの若者
親族の生活上の危機に向かい合いながら悩んでいる人。幼稚園
の先生、そのほかいろいろの人達が各人各様の立場から感じた
事を話してくれたのも、とても印象的でした。
テレビや新聞雑誌などによる情報操作や、国家による洗脳政策
に負ける事無く、自ら考えることを放棄しない人達が確実にこの
国に居るということに頼もしい思いをしました。

池田さんから伺ったことは、随分ショッキングな内容も含まれてい
て、いずれ私も自分でひとつひとつ検証したうえで、書いてみたい
と思いましたが、とりあえず今日は村上春樹の「ねじまき鳥クロニカル」
の一部を引用することで、感想としたいと思います。

「…この国ではな、理解できる範囲が狭い奴ほど大きな権力が握れる
ようになっているんだ。それは狭ければ狭いほどいいんだ。いいかマミヤ
中尉、この国で生き残る手段はひとつしかない。それは何かを想像しな
いことだ。想像するロシア人は必ず破滅する。…」

この国を統治している偽善者たちの思惑は、酷くいびつで悪質です。彼等
は、大義というまやかしの蔭に隠れてこの国に生きている人間の個を殺し、
扱いやすい将棋の駒のようにしようとしています。この国が曲がりなりにも
民主主義を標榜しているかぎり、彼等が一番怖い事は、自ら現実を見詰め
観察し、想像する国民の存在だと思います。
テレビから流れて来る情報を鵜呑みにしていると、この国の九割を占める
普通の人達は、残りの一割の犠牲にならざるを得ないでしょう。
彼等が目論んでいる事はまさにそれなのです。
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by shanshando | 2006-12-24 16:37
2006年 12月 22日

明日は晴れます!

いよいよ、明日イベント第一弾!
15時から演奏してくれる蛇腹姉妹のお二人は、阿佐ヶ谷の
名曲喫茶ヴィオロンでも定期的に演奏会をやっていますが、
ヴィオロンといえば、中野のクラシック無き今、昭和の芳香
を伝える、数少ない拠点のひとつ。
嘗ては、古本屋、名画座、名曲喫茶、ジャズ喫茶、そうして銭湯に
焼き鳥屋、たまに蕎麦屋というのが、正しい東京人の休日のオアシス
であったわけですが、今や名画座はDVDヴィデオにとってかわられ、
銭湯も激減、焼き鳥屋蕎麦屋は元気だけど、名曲喫茶、ジャズ喫茶
は、カフェという名の似て非なるものに生まれ変わりました。
一体どこが違うんだ?カフェでだって、クラシックやジャズが聴けるぞ
とおっしゃるそこの若いお方、ヴィオロンに行って御覧なさい。
そうして、銭湯代にも満たない値段の格安珈琲を味わいながら、薄暗い
照明のなかで聴くクラシックの音量に身を埋めて御覧なさい。
うまくすれば、タイムスリップして若い頃のアナタのお父さんやお母さん
にあえるかもしれませんよ。なんちゃって。
とにかく、そんなヴィオロンで演奏会を開いている。蛇腹姉妹
藤野由佳さんに佐々木絵実さん、佐々木さんは、今や否定派にとっても
肯定派にとっても近現代史の基本文献というべき著書を上梓し続けている
小熊英二さんと一緒にキキオンというユニットを組んでいたりもします。
「日本という国」読みましたか?
私は、買い入れで入ってくるのが待ちきれず、西荻の信愛書店さんで
買っちゃいました。

蛇腹姉妹の演奏は15時から20分の演奏を断続的に三回、開店
状態で行います!
生演奏ありの古本屋なんてそうそうありませんぜ、旦那!
へっへっへ、サービスたっぷりですぜ!って何の店や!

18時からは、池田香代子さんのお話。
こちらは有料で、クローズして行いますが、まだ予約枠あります。
暖かい飲み物でも準備しますので、どうぞお出かけください。
予約電話は 0422-46-2393 上々堂まで!
お待ちしてます。
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by shanshando | 2006-12-22 13:42
2006年 12月 21日

イベントにむけて、店内臨時模様替え

いよいよ、今週末に迫ったイベント準備のため今週は、
火曜日あたりからゆっくり店内模様替え、の予定が
突然郷里から叔父の訃報が届き、急遽昨日滋賀県
草津へ。通夜にお参りして本日帰京。
祝い事と違って、不幸は突然やってくるから、仕事や
生活は問答無用で変更を余儀なくされますが、考え
ようによれば、そういう言わば暴力的な方法で振り返
らされなければ我々は生や死を実感することができな
いのかもしれません。

昨夜行われた身内だけのための通夜は、もう何十年
ぶりに訪れた叔父の家の仏間で行われたのですが、
関西の古い家特有の匂いが、太い梁や柱に染付いて
いるような家で、壁にかかった写真や絵やなんだか意
味不明な流木や壁のシミなどに読み取れるものや想
像のタネが満ちており、
古本屋がこんな事云っちゃいけないのかもしれないけど、
やはりリアルな人間の生の痕跡は、書物の世界よりよっ
ぽど深いなぁ。

帰りの新幹線で垣間見えた新聞の見出しに、50年後には
人口が9000万人代になると書いていたけれど、今生きて
いる人の半数以上はその9000万人にはカウントされない
はずで、たとえば死ぬのが現在の7割とするとおよそ
9100万人くらい死んで、3900万人が生き残り、
5100万人くらい生まれることになるけど。
死んじゃう9100万人も生き残る3900万人も、
生まれて来る5100万人も、それぞれが一冊の書物には
収まりきれない記憶を生産しては消えていく。
こいつはなんだかエラい事だなぁと思ったのでありました。

さて、忙中閑ありという言葉がこういう場合にふさわしいのか
どうか判りませんが、とにかく気ぜわしく流されがちだった
頭にすこしブレーキがかかって、それでもやらなきゃならない
事はやらなきゃならないわけで、
今日は、普段興居島屋のスタッフであるダンサー入江を非常
徴集、夕方からドタバタと店内模様替え、なんとかイベントを
迎えられそうな態勢になりました。
明日小森さんが出勤したら驚くでしょう。ちょっとやりにくいか
もしれないけど、怒らないでね。

皆さん23日土曜日は午後3時から、一時間に20分ペースで
蛇腹姉妹の演奏!こちらは通常営業しながらなので無料です。
そのあと6時からの池田香代子さんを囲んでのお話はフリート
ークですので、ヨーロッパの書店のお話や、師匠である種村季
弘さんに関する話題などどういうふうになるか判りませんが、と
にかくまだ予約枠に空きがあります。年末でいろいろご予定も
あるとは思いますが是非ともお運びください。

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by shanshando | 2006-12-21 21:49
2006年 12月 19日

古本屋の掃苔帖 第三百六十二回 伊丹十三

上々堂を始めた三年前の冬、志願して無償のお手伝いに駆けつけて
くれた。Fさんという女性がいる。
和菓子の職人さんなのだが、本が好きで、その当時三鷹のさるお菓子
工場への通勤の途次見かけた古本屋が気に入り、飛び込みでお助け
マンを買って出てくれたのだ。
その後、自分にとっての理想の職場を捜し求め続けた彼女とは、暫く
ご無沙汰だったのだが、奇しくも、この秋から興居島屋の近くの和菓子
店に落ち着き、時折訪ねてくれるようになった。
今日、また訪ねてくれた彼女と、今度の土曜日のイベントの話をするう
ちに、池田香代子さんの話から、映画「ベルリン天使の詩」の話になった。
ご存知の方は、ご存知なのだから、当然ご存知だと思うのだが、ヴィム
・ヴェンダースのあの映画の日本語版の字幕は、池田さんのお仕事。

あの映画は不思議な映画だった。
まるで今日の東京のような、陰鬱な冬空のベルリンの街で、彷徨いなが
ら人々の心の声に耳を傾ける天使達。
決してひとつの物語に綴られていかないモノローグの集積のなかに、気
がつくと観ている自分も自分のモノローグを埋めていることに気づく。
あの感覚は、「本屋の中の孤独」に似ている。

図書館でも本屋でも、本がたくさんある場所で人は、自分の内面と向か
い合うことが出来る。電車の中や街路で感じる不安さとは切り離された、
優しい孤独に浸ることができる。本屋にはきっと天使が住んでいるのだ
ろう。今や、プロになってしまった私には、「売り上げ」とか「仕入れ」とか
いう障害物に阻まれて感じられなくなったけどね。

本屋の天使は、望めばいつも傍らにいる天使で、傍に居てくれる以外の
何もきっとしてくれないのだが、居てくれるという事が信じられるだけで、
結構人は救われたりするものだ。

伊丹十三という人の映画や著書を見ていると、こんなにその天使達に
祝福されてきた人もいないのではないかと思う。

伊丹万作の息子に生まれ、戦争末期に湯川秀樹らによって作られた
「特別科学学級」というエリート教育をうけた。あの全ての想像力が逼塞
したような時代にあって、国策によって作られたこの学級は不思議と大
らかな想像力と知性の持ち主を生み出した。伊丹のほかには筒井康隆
などがそうである。
伊丹達が受けた京都の学級は1945年4月から翌1946年11月までの1
年7ヶ月ばかりだったようだが、敗戦を経て尚一年以上続けられたこの特
殊教育の目的は、いずれにしろ「国家の為に役立つ人材作り」という事で
あったのだろうが、実際育った人間は筒井にしろ伊丹にしろ、およそ「国家
有為」などというつまらない概念に捕われていないところがとても面白い。

伊丹にしても筒井にしても特別科学学級以降の時間で学校教育からのド
ロップアウトを体験している。そのことがむしろ幸いだったのかもしれない。
もし、特別科学学級が廃止されずに英才教育が続いていたら、戦後日本
は偉大な二つの想像力を迎える事はなかっただろう。
結局学校教育など、なにも斬新な物を生み出せないのだ。
独創性あふれる想像力というのは、孤独な個の葛藤によってしか生み出
されないし、その孤独な戦いの傍らにはいつも知の天使がついている筈
なのだ。
1997年の明日12月20日プロダクションの入っていた麻布のマンション
で伊丹十三が転落死した時、報道は雑誌「フラッシュ」に載せられた不倫
報道が原因の自殺だとした。
伊丹十三のファンとしては云わせてもいらいたい、誰があんな三文雑誌
の記事ごときが原因で死ぬか!
原因はきっと他にあるが、探られることを本人が望まなかったとしたら、
とりあえず三文雑誌のせいにしといてやってもいいだろう。あんな紙屑雑
誌はそのぐらいの役にしか立たない。
伊丹十三 享年64歳

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by shanshando | 2006-12-19 18:14 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 12月 16日

古本屋の掃苔帖 第三百六十一回 シモン・ボリバル

現在、世界の国家指導者で注目に価する人物というと、
阿倍のおぼっちゃんでは勿論なく、ベネズェラのウゴ・チャベス
大統領であろう。
単なるポピュリストだという見方もあるようだだが、只の人気取り
で世界の広域暴力団アメリカ合衆国をおちょくり続けられるもの
ではない。
また、もし彼がポピュリストだとしても、彼の行っているとされる
司政には筋が通っているように思える。
脱遺伝子組み換え宣言然り、ラテンOPECの創設然り、貧困層へ
の医療政策然り、コミニュティー運動然り、一部の富裕層とアメリ
カ企業に独占されていた富を、自由主義経済を守りつつ、国民
の八割を占める貧困層に再分配する政策も、実現するならば、
まさに世界のお手本になるだろう。
独裁による歪みがそれをなし崩しにする危険は考えられるが、もし
それをしてしまえば、虎視眈々と彼の失脚を狙っているアメリカに
付け入る隙を与えることになり、彼もそのあたりは慎重であらざる
を得ないアメリカ及びブッシュも其の意味で役に立っていると言え
るかもしれない。

2002年にCIAの脚本演出による政変の失敗で、チャベスを殺しそ
こねたアメリカは以後、公式の場で彼を批判することは控えているが
依然、ウゴ・チャベスはブッシュが殺したい男ナンバーワンに違い
あるまい。
今年の9月21日に国連で行った演説の中で、彼はノーム・チョムスキ
ーの本を紹介する傍ら、その前日に演壇に立ったブッシュをあからさま
に悪魔呼ばわりし、まだここに硫黄の匂いが残っていると云っている。
この演説はネットで読む事ができるので、興味がある方はこちらから。

彼の大統領就任以来、ベネズエラの正式名称はベネズエラ・ボリバル
共和国と変えられた。スペインからの独立戦争の指導者シモン・ボリバ
ルの精神に立ち返り、北米帝国主義のくびきから逃れようという意志の
現れである。
明日12月17日は1830年に47歳で結核のため死去したシモン・ボリバル
の命日である。

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by shanshando | 2006-12-16 19:29 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 12月 15日

古本屋の掃苔帖 第三百六十回 近衛文麿

小熊英二著「日本という国」が大変売れているらしい。
(新刊書店でという意味です。今のところ上々堂には在庫
りません。売ってください是非とも。)

この本と、半藤一利の「昭和史」を並べて読むとおもしろい。
近代日本史について、小熊氏が強調しているところを半藤氏
が意識的にぼやかしていたりするのが、よく判る。
顕著なのが、昭和天皇の戦争責任問題で取り沙汰される事
が多い「近衛上奏文」についてである。

小熊氏は、1945年の2月14日に上奏されたこの文書により
、日本の敗戦が必至のものであるという情報を昭和天皇が得
ており、この時点で講和にむけて動き出すよう指示しておれば
沖縄戦や東京はじめ大都市の空襲。広島・長崎の原爆。更に
は、ソビエト参戦によって生じたシベリア抑留。中国残留孤児
問題。ひいては朝鮮半島の分裂に至るまでの悲劇を未然に防
げたはずだ。と指摘しているのに対し、半藤氏は完全に意図的
にこの事実をぼやかして書いている。

まぁ、半藤氏は置いとくとして、小熊英二のこの著書のこの部分
に関して、噛み付いているネット右翼のみなさんの主張を取りま
とめると大体以下のようになる。

近衛上奏文は、「軍部の一部に共産主義勢力と手を結んで、日本
の国体に変更(完全な共産主義革命は目論んでいないと、上奏文
にも書かれている)を加えようとしているので、このまま一億玉砕な
どして世情が乱れれば、彼らの思うがままになるから、そうなる前
に人事の刷新をしたほうがいいですよ。」と人事のことを言っていて、
それに関する天皇の答えも、交代する人事として具体的に名前が
あげられた山下大将について「もう一度、戦果を挙げてからでない
となかなか話は難しいと思う」と答えているだけで、戦争の続行を
指示したものではない。というのと、

天皇は傀儡に過ぎなく、統帥権も名目だけのものに過ぎなかった
んだから。戦争終結はおろか、軍部の人事にだってなんら権限は
持っていなかった。権限がなかった人間の責任を問うことは出来な
い。というもの。

私も、今更昭和天皇の戦争責任など取り沙汰したって、しょうがない
と思うが。この上奏文およびそれが上奏されたおりの天皇と近衛の
会話として伝えられるものを読んでいると、新たな怒りが涌いてきた。
二人が、一貫して心配しているのは「国体の護持」であり。どこにも
戦況から考えて予想される、本土空襲本土決戦において失われる
非戦闘員の生命に関する言及がないのだ。
つまり、戦後様々な側近たちが擁護のためにでっちあげてきた「天皇
は戦争に反対だった」という情報は、ひとえに自分と自分の一族の安
全と安泰を祈ってのものであったので、国民なんぞ死のうが生きよう
が、悲惨なめに遭おうが知ったこっちゃなかったのだ。
その後、東京大空襲の焼け跡を視察して、その惨状に漸く講和への
意向を告げたといわれるが、それは身近に戦争の惨状を見て、怖くな
ったというだけで、別に国民にすまないとか、申し訳ないとか思った訳
ではないのだ。
まぁ帝王というのはそういう風に育てられるんだから、一昭和天皇の
人格上の欠点とすべきではないだろうが、やっぱり彼個人を処刑すべ
きだったかどうかは別にして、あの時点で日本は天皇制を廃止するべ
きだったのだろう。

敗戦後東久迩宮内閣で国務大臣についた近衛文麿はその年の12月
6日戦犯としての逮捕命令がだされた事を知り、出頭期限日にあたる
1945年の明日12月16日荻窪 荻外荘において青酸カリを服して
自殺した。自分が自供することで昭和天皇に罪が及ぶのを避けるため
で、国民および外国の戦争被害者に対する謝罪ではなかった。
享年54歳

ついでに書いておくと、ネット右翼の諸君の小熊氏にたいする難癖は、
不正が発覚した時に責任の盥回しをする官僚の答弁みたいである。
この部局は、この人は当時それを所管する立場になかったから責任な
いでしょ。なんて云ってどうなるの?そんな責任をとらないような国家
元首を据えてたこと自体が問題で、今も何の積極的な理由なくそのポ
ジションを守っている。山本七平が「本来、民主主義というのは誰が責
任をとるかということを明確にして事を決めるものだけど。戦後日本の
民主主義というのは誰が責任をとるか不明確にするために用いられて
いる。」という意味のことを言ってたけど、その風潮の発端は明らかに
戦後天皇を裁かなかったことにあると思う。

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by shanshando | 2006-12-15 16:45 | ■古本屋の掃苔帖
2006年 12月 14日

古本屋の掃苔帖 第三百五十九回 マージョリー・キナン・ローリングズ

白鵬というお相撲さんがいる。
いや、いるらしい。相撲は好きで、以前は国技館に観に行ったり
もしたが、最近は全く興味を失った。加齢とともに興味の幅が狭
まるというのは、なんだか貧しい感じで嫌だが、実際国技館はお
ろか、寄席や歌舞伎座や映画館にすら行く時間がないのだから
しょうがない。

とにかく白鵬さんだが、モンゴルの方だそうで、モンゴルで相撲と
聞くと「虹色のトロツキー」を思い出すのは私だけか?
脱線が多い、なにしろモンゴル出身の白鵬さん、昨年名古屋場所
で怪我のため途中休場したらしい。其の時の報道をネットで見つ
けたのだが、なんでアメリカの作家の話をするのにモンゴルの相
撲取りのことを調べたかというと、つまり鹿の肉なのだ。

なんだか益々わからんが、早い話が マージョリー・キナン・ローリン
グズの代表作「子鹿物語」の発端、父親が毒蛇に噛まれて、その
治療に使う為に一頭の牝鹿を撃ち殺す。その肉を患部にあてて毒
を吸い出すのだそうだ。
え〜!って思うよね。そんなもの患部に近づけたら、返って余計な菌
まで取り込んじゃって、単なる自殺行為だと思うんだけど。

そんな民間治療があるのかな?と思って調べたら、この白鵬さんの
話が出て来た。モンゴルじゃ湿布に薬草などとともに鹿の生肉を使
うんだってさ。
そういや、昔読んだ「愛と誠」でもフクロにされた誠が湿布替わりに牛
肉を使ってたっけ。
でも、湿布するって言う事は白鵬さんも大賀誠君も治そうとしている
のは、打ち身捻挫の類いだよね。まさか毒蛇に噛まれた傷に生肉が
効くとは思えないんですけど。

考えられることは、作者がいい加減なことを書いたか。実は、原書では
毒蛇に噛まれたあと発熱して、それを冷やすために、冷蔵庫などない
から鹿の生肉を使ったとなっているのを、翻訳者がすっ飛ばしちゃった
か。まぁ多分前者だろう。
映画では、肝臓になっているらしいが。肝臓だって同じなんじゃないか
と思うのだけど?もし詳しい人がいたら教えて下さい。

さて物語はその牝鹿に子供がいて、それを主人公の少年が育てるのだ
が、やがて大きくなった子鹿は畑の作物を荒らすようになり、已む無く、
母親が子鹿を射殺。とどめを主人公の少年がさして、エンディングでは
少年が辛い体験を経て、逞しく成長するという事になる。

誠にアメリカ的な美談だが、昔から、子供と動物を使う物語には欺瞞が
つきものである。
この物語も、弱者に対する同情は同情として、都合が許す限りは持って
いられるけど。自分たちの生活を脅かすなら容赦はしない。というアメリ
カ的博愛の匂いがする。
そりゃあ。ちょっとひねくれ過ぎだろうと思うだろうか?
もし、これが今も貧しい、アジアやアフリカの国で起きた出来事としたら
どうだろう?飢えの具合がいくらかマシだったら、いずれ食肉にする為に
飼うか、もっとマシで心に余裕があれば、「もっと大きくなってからもう一
度捕まえようね」といって放すか。とことん飢えていたら、その場で子供
も撃ち殺して喰っちゃうだろう。どう転んだって、「息子の友達に」なんて
いう選択肢はないはずだ。アジア・アフリカでなくったって、その頃のアメ
リカの貧しい開拓農民ならそうしていたはずだ。

大体において、農耕やその他の目的以外で人間が家畜を飼うという習
慣が私には理解出来ないが、百歩譲ってメンタルケアという名のエゴイ
ズムの犠牲になる気の毒な動物の必要を認めるとしても、今の日本の
ペットビジネスは酷すぎる。

みなさん明日ご近所のペットショップに行ってみて下さい。
それは可愛い子犬や仔猫がたくさんいるでしょう。どの子も可愛いですね。
さて、彼等は売れ残っちゃうとどうなるか知ってますか?
殺されて、ミンチにされちゃうのです!
日本の住宅事情に合うように小型に作り替えられ、歪んだ愛情の玩具に
されるため不衛生な状況(子犬のいる下によくタオルが敷いてありますね。
あれは雑菌の巣窟で、あの為に育成過程で何匹もの犬が死んでいきます。
まだしも良心的なところは、切り刻んだ新聞を使っているはずです。)に押
し込められ。あげく売れ残ると、殺されてミンチです。
さぁ、そうまでしてペット飼いたいですか?
イギリスでは、ペットショップは作る事自体禁じられているそうです。
日本は、経済効率重視のブリーダーやペット専門店の天国です。子供にペ
ットを与えるまえに、こういう現実を子供に知らせることが出来ますか?
そうして、一緒に考えて下さい。「何故私たちはペットを飼うのだろう?」
出来ないなら、ペットは飼わないで下さい。

 マージョリー・キナン・ローリングズは1953年の明日12月14日57歳で
亡くなっている。

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by shanshando | 2006-12-14 20:33 | ■古本屋の掃苔帖