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2007年 08月 31日

らりー

昨日は、閉めようと思っているところにお客様が数人入ってきた。
小雨降る中をせっかく来ていただいたのだから、ご覧になっている間
待とうと新聞を繰っていて、素敵なニュースを見つけたので、至急パ
ソコンを立ち上げ直して、詳細情報を検索してみた。
以下はCNNニュースからの転載です。

ワシントン――アイダホ州選出のラリー・クレイグ上院議員(共和党)は
27日、中西部ミネソタ州のミネアポリス・セントポール国際空港内の男
子手洗い所内で今年6月、内偵捜査の私服警官にみだらな行為を働こ
うとして、逮捕された事実を明らかにした。


今月初旬、有罪を認めたという。ロイター通信によると、米議会紙ロール
コールは、同議員は罰金500ドル(約5万8000円)、観察処分1年など
の罰則を受けた、と伝えた。


同議員は27日声明を発表、わいせつ行為の詳細には触れなかったが、
「混乱した行動に及んだ」ことを認めた。同紙が報じた警察の報告書に
よると、議員は手洗い所内でわいせつ行為の発生などを調べていた私
服警官の隣りの個室に入り、同性愛者が誘惑のために通常用いる合図
を送ったという。


同議員は3期目で、妻と子供3人がいる。来年、選挙を迎える。


米国の男性の同性愛団体は昨年10月、ウェブ上でクレイグ議員が複数
の同性愛の関係を結んでいたと指摘したが、議員の事務所は根拠のな
いでたらめな話と否定していた。同議員は上院で2006年、同性同士の
結婚を禁止する憲法修正案に賛成していた。



別のニュースに拠れば、ラリーさんは「私は嘗ても現在も同性愛者であっ
たことはない。」と云っているそうだけど、「混乱した行動に及んだ」ことは
認めているわけで、同性愛がらみ以外でどういう「混乱した行動」がありえる
だろう?男子トイレで。

また別のニュースによれば彼のとった行動というのは、トイレの壁の下の
隙間(アメリカのトイレは上下が広く開いてますね)から足を差し入れると
いうもので、これは同性愛者が誘惑する時につかうサインだとか、

私ははっきり云ってこのラリー・クレイグさんに同情している。
自ら同性愛者である可能性を否定して、他の同性愛者たちの不利益になる
行動をとったことも含めて、非常に人間的で、且つ快楽のなんたるかを心
得た人物だと思い。もし機会があれば(ないだろうけど)法廷で彼のために
証言してもいいとすら思っている。

彼は「自分はゲイではない」と云っているし、それは事実だろうと思う。
同性に劣情を感じることがある者はすべてゲイである。という固定観念こそ
むしろ忌むべき物だと思う。バイセクシュアルとかそういう言葉を敢えて持ち
出す必要もない。人間はその気になれば器物にすら劣情を覚えることが
出来るし、出来ることがまた人間が知的生命体であることの証明であると
思うのだ。例えば私はある種のペットボトルに最近抑えがたい劣情を覚え
ているが、だからといって私を「ペットボトルフェチ」などと呼んで蔑む人間が
いたら頑として闘うだろう!ペットボトルに劣情を感じたからといって、人間を
愛することを忘れたわけではない。勝手な定義づけは迷惑だ。

ラリーさんは今年62歳、子供も3人居るらしい。
これは想像だが、中年になるまで所謂ストレートとしての性を愉しんできた
彼は、ある日同性にも並々ならぬ興味を抱いている自分に気付いた。ある
いは誘惑に駆られて体験をしたこともあるのかもしれない。そうしてそれは
彼にとって妻との間では得られない快楽だったのだろう。
素晴らしい!どうしてこの歳までこの素晴らしい体験を知らなかったのだろ
う?私は人生においてとんでもないミステイクをしていたのではあるまいか?
彼はドンドンその世界に嵌っていった。その度合いはかなりの物だったらしく
少年にいかがわしい内容のメールを送って問題になったこともあったそうだ。
しかしみなさん、だからといって彼は同性愛者だと決め付けるのはやめてください。
彼が同性に劣情を感じるからといって、彼が同性を愛したという証拠は何処
にもないではないですか!


同性愛者じゃないにしても、同性愛者と行為的には同じことをしているくせに、
同性愛者に不利益な行動をとるのは政治家として間違っている。という人も
いるかもしれない。しかしそれはどうだろう?
彼にとって同性との交接は、社会的にアブノーマルとされるからこそ気持ちいい
ものであったような気がする。
彼には、おそらく堂々と手をつないで公衆の面前に出、あろうことかキスまでし
てみせるような同性愛者は永遠に理解できない存在なのではあるまいか?
同性による交接は神の摂理に反している。反しているからこそ、それを密かに
冒すことに彼は喜びを感じたのだ。
上院議員としての社会的地位によって得た豪華な屋敷の豪華なベッドルームで
妻とするセックスよりも、田舎の空港の汚いトイレで見知らぬ男と抱きあう感動!
そのほうが遥かに享楽的であることは、そのケのない人にも容易に想像できる
ことだろう。
同性愛結婚なんて認めるわけには絶対いかない。そんなことしたら折角の享楽
が日常の泥にまみれることになるではないか!

私は声を大にして云いたい。彼が同性同士の結婚に反対したことはあるいは政
治家として間違った行為だったかもしれない。しかしだからと言って、彼が偽善者
だと決め付けてはいけない。彼は一度認めた罪状を保身のために後に否定した、
しかしだからと言って彼を不正直な人間だといってはいけない。何故なら彼は
逮捕の瞬間、神への背信の為地獄に突き落とされるという、最高のマゾヒズムに
酔っていたのだろう。そんな状態の人間を追い詰めるほうこそ卑怯というものだ。

偏狭なキリスト教信者が隠然たる勢力をもっているアメリカ社会では、神の名の
下に彼は有罪になるかもしれない。しかしアメリカが真に自由を希求する国家で
あるならば彼は人智の名の下に無罪とするべきである。
彼は偽善者でも罪びとでもない。ただの変態である。
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by shanshando | 2007-08-31 14:31 | ■原チャリ仕入れ旅■
2007年 08月 30日

脳内ボケツッコミ

入り口の戸を開け放って、耳を澄ますと通りの向こうのNTTのさらに
向こう側にある杉の木で蝉が鳴いているのが聴こえる。
カウンターに肘をつき、ぎゅっと目を閉じると、間を流れている自動車の
音は消え、脳内にドーパミンが満ちてくる。
疲労は、所詮脳が作り出した幻覚の一種に過ぎない。と考えてみる。
「それはそうでっけど、そんな事云うたら、痛いのも、痒いのも皆幻覚
でっせ。脳がそういう信号を出してるということ自体が疲れとる証拠や
おまへんか?」と、脳の中からツッコミが返ってくる。

私は普段標準語なんて使っちゃったりなんかしちゃってるけど、本当は
脳の随まで関西人なのだ。せっかく大人っぽくブンガク的に疲労感を
表現してみようとしても、脳の中の第二人格がすぐにちゃちゃを入れ
るのだ。
結局こんな時は、
「ああシンド!シンドバットの大冒険やでほんまに!もー欲も得もないわ!
…というのは嘘で、ホンマは欲のカタマリです。お小遣いちょーだい!
って誰におネダリしとんねんワシ?あかんわ、マジでしんどい!今日は
早めにしめて吉祥寺の『つぼしあーつ』でも寄って帰ろ。『つぼしあーつ』
やて、ベタなネーミングしやがって!とか、なんとかいいながら、よおお世話
になってます。………」
関西人の脳は……、身体が疲労すれば疲労するほど喧しくなる。
その喧しさを外に発散出来ないと、つらいのだ。
だから、
街角で場違いなハイテンションの関西人を見かけたら、どうか優しくして
やってほしい。
今日はちょっと早めに閉めます。
ほな、サイナラ
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by shanshando | 2007-08-30 14:56 | ■原チャリ仕入れ旅■
2007年 08月 28日

興居島屋の店を改装しようと思う。
オープンしたのが1995年の3月だからもう13年目に入ったことになり、
いろいろ不具合があるのだ。
以前からなんとかせねばと思っていたが、なかなか腰があがらない。
金がフンダンにあって、実作業は人任せでやるのであれば、一年に何回
だって改装するが、無い金を搾り出してやるには、自分が主体的に動か
ねばならない。
図面だけ渡して工事屋に任せれば樂には違いないが、それでは予算が
三倍から五倍も高くなる。
事実、上々堂のフロント工事は実際着手してくれた大工さんとその前に試
しに取った工務店の見積もりでは五倍の差があった。

お互い商売をやる身で、高い見積もりを出した工務店もけっして悪意でな
いぐらいは理解できるが、ないものはないのだからこっちだって甘い顔は
していられない。
私の場合、単に値切るだけでなく工事の中で自分が出来そうなことは、自
分でやってしまう。いややらざるをえないのでやるのだが、材料代から他職
の手配まで至る所に利幅を散らせて儲ける職方サイドとしては随分嫌な客
だろう。

上々堂の時の見積もりの工務店は、工務店としてはまぁ零細に位置する処
で、所謂一人工務店よりは大きいが、仕事の大半はゼネコンの孫受けひ孫
受けが殆どで、直のクライアントの相手というのは本当に慣れてない感じだ
った。明らかに作業服が似合いそうな日焼けした顔でネクタイなんか締めて
出てくると、妙な親近感を持ってしまうが、対応はちぐはぐ。結局今の日本で
はこのクラスの会社が一番生き難いのかもしれない。

まぁヒトゴトではないなぁ。
なんとか予算を抑えて、興居島屋の空間を合理的且つカッコイイものに生ま
れ直させねばならない。創業からの相棒はお陰様でデザインや様々な仕事
が忙しいらしいし、元々丈夫でもない身体は加齢によって肉体労働むけでは
なくなっていそうだから、私が頑張らざるを得ない。
私だって相棒に負けず劣らずガタがきているが、騙し騙しやるのである。コツ
コツちまちまとやるのである。
9月は中頃に一週間ばかり閉めて、末にはリニューアルしてお目見えです。
具体的な日程は近々報告します。
上々堂は勿論通常どおりの営業です。
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by shanshando | 2007-08-28 15:24 | ■原チャリ仕入れ旅■
2007年 08月 26日

行って来ます

今日はこれから伊東に行って来ます。
野暮用なのです。
野暮用という言葉は、あんまり今の言葉じゃないけれど、意訳すると
「本当はちょっと楽しいことがあるんだけど、そういうことを見せびらかしちゃう
のはオトナゲないので、一応つまらない、粋じゃない、しょうがないから行くだけ
の、そんな用事ですよ」という意味で、つまり謙譲なのだ。

本当は知人たちとの骨休めの一泊旅行で、まあ本当に少なくとも粋ではない。
粋ではないけど楽しくないという事は本当はなくって、一泊じゃ少ない気もするけ
ど、明日の午後には神田の古書会館に居なければならない用事があって、こっちは
本当の野暮用。
ああ、なんだかもうこうやってうろちょろしてるうちに歳をとるんだなあ。やれやれ
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by shanshando | 2007-08-26 10:16 | ■原チャリ仕入れ旅■
2007年 08月 25日

ドッペル玄関

昔、学生時代に私が住んでいた洛西の住宅街に昭和初期の築と
おぼしき和洋折衷の屋敷があって、道路を挟んで向かいには緑の
少ない京の都にはめずらしく松の葉陰があった。
今日の様な猛暑日、盆地である京都の街は息を止めてお湯の中
を歩いているのと変わらない蒸し暑さで、学校やアルバイトの行き
帰り私はその葉陰でしばし休んでは、見るともなしにその瀟洒な
屋敷の構えを見て楽しんだ。
向かって右にはフランス窓の洋室があり、左には縁側のむこうに
座敷が見えるという、典型的なその時代の建物で、まあめずらしく
もないといえばめずらしくないのだが、この屋敷がわざわざ足を止
めてでも眺めたくなる原因は、洋室と縁側に挟まれた玄関の形状
にあった。
三方をアーチ型に漆喰を施された深い庇の奥にまるで写真館でで
も使いそうな木枠にガラスの一枚板を嵌め込んだドアがあって、早
朝や深夜は内にカーテンが引かれていることが多いが、日中は大抵
開かれていて、外部に光が満ち溢れた夏の昼下がりなどは、よく磨
かれたガラスに外の景色が映り、映画が写されているような錯覚を
覚えた。

深い庇の作り出す闇の縁取りが、写像との間に非現実的な距離を
感じさせ、向かい合って立っている自分も何か次元を異にして生き
ている物であるかのように思われて、私はその玄関をひそかに「ドッ
ペル玄関」と呼んでいた。

ドッペル玄関に映る異次元の私はあまりに貧弱で自信無げで、マッ
タクカッコウ悪い奴だったが、松の葉陰やその他の背景に助けられ
て、なんとか一枚の絵として完成している感もなくなかった。

今考えてみると折々に自分の家のほうを見入っている不審な学生は
家の人にしてみればかなり不気味だったはずで、今なら間違いなく
通報されるだろう。やはり、あの頃は今より随分世間もゆったりしてい
たのかもしれない。

私が最後にドッペル玄関に向かい合ったのは、親に内緒で学校を
ドロップアウトして上京した日で、確か2月だったと思うが、京都駅ま
での見送りに来てくれるという当時の彼女と並んでだった。
あれから27年、彼女の行方は今ではさっぱりわからないし、京都へ
行く用事があったところで洛西のあの街には行かないから、ドッペル
玄関のその後もわからない。
結構、未だに当時の私と似たような貧弱な学生が我が身を写して嘆息
しているかもしれない。
彼女はもうとっくに何処かで母親になっただろう。
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by shanshando | 2007-08-25 14:23 | ■原チャリ仕入れ旅■
2007年 08月 24日

パン猪狩

何度も書いているように、古本屋は私的な蔵書ゼロが建前だから、
いかに好きで手元に置いておきたい本でも、「一応目を通す」と
言って持ち帰って読んでしまったら、店の棚に戻さなくてはならない。
幸か不幸か毎日売るほどの量の書物に囲まれていると、不感症にな
って、左程に特定の本に未練を残すこともないけれど、偶には、
そう三年に一冊くらいはこれは手放したくないという本に出会う。
今読んでいる滝大作に拠る聞書き「パン猪狩裏街道中膝栗毛」が
まさにその一冊である。
ネットの情報に拠ると左程ない本ではないはずだが、何故か私は古本
屋生活18年(店員時代を含む)にして始めて出遭った。

東京コミックショーのショパン猪狩の長兄であり、早野凡平らの師匠
でもあり、彼らそれぞれの持ちネタの提供者でもあるパン猪狩に関し
ては色川武大氏の本で知ってはいたが、その芸を観たことはないし、
色川氏の思いのたけがこもったパン猪狩伝だけでは、なかなかどういう
人なのか掴みかねたが、今回滝大作さんの見事な聞書きで、まさに
その人となりに触れた気がして、うーんナルホド!
芸能好きで芸人に関する評伝もの等は大抵読んでいる私だが、パン
猪狩は確かに日本の他の芸人とくらべて完全に異質だと思う。
なんだか芸人の伝記というより、社会の底辺で生きてきた無頼漢の醒
めた描写に拠る近現代風俗誌という感じ。
そう、パン猪狩は醒めたペーソスの持ち主で、この「醒めた」ペーソス
というのが日本の他の芸人には類を見ない点なのだろう。
たとえば先日私は古い松竹新喜劇の映像を弟に貰って観てみたが、
藤山寛美のペーソスはベタベタと湿っぽくって、作品によってはそれが
しょうがないくらい鼻につく。

勿論、本で聞書きを読んだくらいで何が判ると言われればそれまでな
のだが、読めば読むほどに滝氏の聞書きは見事で、もう私など一遍
に読んじゃうのがもったいなくて、帰宅してからのひと時をパン猪狩と
座談しているような気分で読ませてもらっている。
もうはっきり言って別れるのが辛い!売りたくない!でも売っちゃうけどね。
という感じなのだ。

請われて冒頭に序文を寄せている色川氏の文章でも、パン猪狩という
人と一緒に居るのが好きなのだというようなことが書かれているが、判
るなー。
パン猪狩という奇抜な発想力とセンスを持った芸人が、にもかかわらず
裏街道を歩くことを余儀なくされたのも、そしてまた裏街道を歩きながら
もけっして忘れ去られた存在にならなかったのも、偏にその人物から溢
れ出す魅力のせいで、魅力があるから裏街道を歩かねばならないという
のは一見矛盾のようだけど、色川氏がよく使う「小市民」という言葉の対意
語としてのアウトローの魅力はじつにこんな人の事だったんだなぁと思い
つつ、残り数ページを惜しみ惜しみ読んでおります。
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by shanshando | 2007-08-24 14:04 | ■原チャリ仕入れ旅■
2007年 08月 23日

フットワーク

犬は愛されて飼われると段々飼い主に似るというのは本当らしい。
午前中に井の頭公園を歩いていて、白いスポーツウェアーの男性が
ゴミを拾いながら、ジャーマンシェパードとランニングしているのを見
かけた人はかなり多いと思う。
私が知っているだけでももう十年以上は続けている。
背中を若干猫背にして俯き加減だが、足下にゴミを見つけるとクルッと
身体を翻して路傍に寄り、ごみ取りばさみで丁寧にゴミを拾い上げる。
主人がそうするのを見越したように、犬も同時に身を翻し路傍によけて
待っている。
犬は見るからに老体で、犬なのに主人同様の猫背なのが何だか二人の
過ごした歳月の長さを物語っていて、微笑ましいを通り越してちょっと
胸に迫るものがある。
犬同様にこの頃では老いを感じさせる主人は、十年前には今より身体も
もう一回り大きく、動きもさらに機敏だった。歳月という大きなリズムを二人
は一歩ずつ、出来よう限り軽やかに刻んで来た。
主人は愛想の良い人で、すれ違う人には誰彼なく気さくに「おはよう!」と声
をかけていて、かけられた方も余程ねじ曲がった人でない限り微笑んで返
すくらいの事はしている。
彼の醸し出す柔和な気は日々を実直に生きてきた人独特のもので、それが
井の頭の森の気とよく相まって、彼にあった日は私のような者でも爽やか
な気持ちになれる。
ああいう人は本当に小さな神様なのかもしれない。
私は無神論者で、無闇に神仏を頼る人を軽蔑する人間だが、朝の井の頭の
森であの人とすれ違う瞬間だけは、何かに祈る気持ちになるのが不思議だ。
週に何度かすれ違うという以上の縁はなにもないけれど、もしこの人の訃報を
聞いたら私はちょっと泣くかもしれない。

元スーパーウェルター級世界チャンピオン輪島功一さんは今年で64才になる。
どうか健康で長生きしてください。
それから、路上に無闇にゴミや吸い殻を捨てる君たち、
君たちは自分の目ェ噛んで死んじゃいなさい。
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by shanshando | 2007-08-23 14:23 | ■原チャリ仕入れ旅■
2007年 08月 21日

王子の駅でぱったり中島君と出くわして、話しているうちに彼につられて
逆方向の大宮方面行きの電車に乗ってしまった。
慌てて次の駅で降りようとすると、中島君が
「中央線なら大宮から埼京線で行けばいいじゃないですか」というので、
それもそうだとまた席に座りなおしていると、その次のなんだか聞いたこ
ともない駅に停まった時、前に立っていた見知らぬ青年がやおら私の
襟首を掴んで、ホームに引きづりだし、
「中央線への乗り換えはこちらが便利です。」といいいながらグングン引
っ張って階段を降りていく。
好意には違いなかろうが随分乱暴な人だと飽きれたが、確かに連れて行
かれた先は大宮よりまだ随分新宿よりの埼京線のホームで、結果的に
助かったかたちなので、此処はすなおに礼を言おうとしたが、いつのまにか
青年は消えて、私はホームの鉄骨の柱に襟首を引っ掛けられていた。
なんだかとても恥ずかしくなって、周囲の視線を気にしながら、柱から離れる
とそこに丁度電車が入ってきた。 
入ってきた電車は入り口にすべて昭和の年号が書かれていて、アナウンスが
間違わないように自分の生まれ年の扉に乗るようにと言っている。
私は目をサラにして、自分の生まれ年昭和35年の扉を探したが、年号はラン
ダムに打たれているのでなかなか見つからず、ウロチョロするうちに電車は
出てしまった。
イライラしながら次の電車を待つと、幸い次の電車はまもなくやってきたが、ま
た扉に年号である。私はもうこの電車も乗り逃さねばならないと諦めていると、
どう見ても二十歳そこそこの女性の集団がきて、屈託なく「昭和4年」と書かれた
扉に乗り込んでいく。
「乗る場所を間違えていませんか?」と聴いてやると、
「そんなことを気にする人は誰もいません。適当なところに乗ればいいのです。」
と答えた。
なるほど確かにそうかもしれないと、私も思い直して彼女達のあとに続くと、車内
はコンパートメントになっていて、私は女性の集団のなかに一人居心地悪く腰掛
けた。
やがて電車はまるで地底のような壮大な闇の中にすべり出した。窓の外には不安
が満ち満ちているような気がするが、コンパートメントの内は女性達の嬌声で明る
過ぎるくらいだ。
私は目を閉じながら彼女達のおしゃべりを聞くともなしに聴いていたが、いつしか
その声が人語でなくなっている事に気がついた。
なんだかキイキイキイキイと熱帯のサルの雄たけびのようである。
私は自分が目を覚ましているのを悟られないように怖々うっすらと目を開いてみたら
女性達の身体は椅子や梯子のようなものに変型してしまっていた。
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by shanshando | 2007-08-21 11:49 | ■原チャリ仕入れ旅■
2007年 08月 19日

納涼変態祭り

夏と言えば変態ですね!
と、勢い良く始めたいところですが、最近何だかこの変態という言葉にも
感じなくなって来ました。

そもそも語源を辿れば昆虫などが発育にともなって様態を変えていく事に
あるわけですが、私はべつに生物学者になりたいわけではなく、ここで言う
変態とはその性的嗜好に異常が見られる人たち、あるいは彼等のする行為
や嗜好そのものを表わすわけですが、何故わたしが変態が好きかというと、
これは一種の憧憬だろうと思うのです。

わたしのみならず、人の心の内側にはアブノーマルなこと破廉恥なことに
たいする憧れがあるのではないかと思うのです。
破廉恥!美しい言葉ですね!
この暑いのに間違ってもフレンチレストランなんていうアブラ飯屋に行きたい
とは思いませんが、もしハレンチレストランというのがあったら季節を問わず
行きたいと思う私です。

変態という言葉にはかつて少なからず差別のニュアンスがありました。変態
であるという事がバレた瞬間に社会から抹殺されかねない危うさがあって、
それが何とも良かったのですが、最近は変態という言葉が定義する領域が
狭められたと思うのです。
例えば、ほんの20年まえまで同性愛は一般的に変態の一種に分類されていた
ように思うのですが、最近はゲイやレズの人もカミングアウトして市民権を得て
いる。それ自体は大変良い事だと思うのですが、私としては市民権を得た時点
で彼等が変態ではなくなった事が残念でならない。
性にまつわる喜びは、やはり秘すればこその花だと思うのです。

まぁ去った者のことを何時まで惜しんでいても始まらないので、この暑さに負け
ない活力を与えてくれる元気な変態くんの話題をと思って、昨日整理していた
宮台 真司の本に出て来た観念絵夢というAVマゾ男優のことをネットで閲覧し
て見たのですが、正直言ってこの人相当ですね。フィリピンの祭りで全裸で壁
に張り付けにされて国際問題になったり、自分の陰茎の皮を切り取って食べさ
せられたり。マゾは世界最強だと称してマゾ教を作ろうと言い始めたり。
もとは大学で哲学を学んだインテリで、一流企業に勤めていたりもしたみたい
だけど、性向と性癖がはんぱじゃなくアブノーマルなために社会から逸脱して
います。
平和な日本ではどんなにアブノーマルな人間も社会に飼い馴らされると思って
いたら、大間違い。外見的にはみじめで哀れな彼の生き様で、間違っても真似
しようと思わないけれど、野生というのはこういうことなのかもしれないと思いました。

ところで、私が疲れを癒すためにこういう変態サイトを覗いていると、かならず岡崎
さん一家がくるのです。
「なんや、難しい顔して?…」
尋ねられてもねぇ…。奥さんや娘さんの前で「変態サイト観てるんです」というわけ
にもいかないじゃないですか。
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by shanshando | 2007-08-19 13:21 | ■原チャリ仕入れ旅■
2007年 08月 18日

写真

てくのろじーというやつが無駄に進化してくれたお陰で、つまらなくなったもの
は色々ありますが、その際たるもののひとつが写真だと思う。
それも何処の誰其れという写真家が撮った写真ではなくて、普通の人が
が普通の人を撮った普通の写真。

買い取った本の中から写真が出てくることはよくあることだけど、大抵最近の
写真はつまらない。撮るほうも撮られるほうもリラックスしていて、当人同士
の思い出としてはそれで構わないのだろうけれど、古本屋は面白くない。
デジカメや携帯で撮った写真など、芸能人かと思うほどカメラ慣れしていて、
ポーズを決めてるのなんかいいほうで、さりげなくアンニュイな雰囲気を漂わ
せちゃったりして、つまらないたらありゃしない。
その点昔の写真は味がありますね。みんな不自然にシャッチョコばっちゃって、
オジサンたちはなんだか意味なく威張っちゃってるし、オバサンたちは頭がセ
ットしたてだし、子ども達は余所行き着てるし、
私の師匠のなないろさんは市場で買った本の山から出てきたそんな写真を
一杯持っていて、これは本当に羨ましい。
私は、客買い、宅買い専門だから、そうした写真が出てきたらお返ししなくちゃ
ならない。ひょっとしたらお願いすれば呉れるかもしれないけれど、これはちょ
っと言い出しにくい。

無名の人というけれど、本当は名前のない人なんかなくって、写真が写された
その日は歴史的な意味はないかもしれないけれど、当事者にとってはまさに
人生の記念日で、でも何十年後の今では当事者だって憶えちゃいない。歴史
の中の泡沫のような瞬間。だから美しい。
有名な人が写っている歴史的な事件の写真は、言葉による説明がくっつき過ぎ
て想像力のつけいる隙がないけれど、例えば大正3年4月6日の群馬県前橋市
井上金太郎さんの長女の入学祝いの写真とか、昭和32年の8月26日に伊東
の川良旅館で撮った木内健次郎さんご一家の浴衣姿の写真とか、そういうのを
独りで眺めながらあれこれ想って酒を呑む、これはたまらない道楽だと思って
古本屋になったのだけど…。
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by shanshando | 2007-08-18 16:11 | ■原チャリ仕入れ旅■