上々堂(shanshando)三鷹

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2007年 11月 30日

あずき鳥

あずき鳥は成鳥になっても体長はせいぜい1センチ程度、卵は大きさや
色があずきそっくりなのが名前の由来で、産卵は一時に2,3個、天敵で
ある蜘蛛や蟷螂の目をくらますために茹でられる前のあずきの山に産み
落とすのだが、運悪く孵化する前にあずきの山ごと煮られてしまったり、
うっかりものの母鳥自身が自分の卵を見失ったりするので、孵化する確率
は非常に低い。生息域は中国から朝鮮半島、日本列島全域、南はベトナム
にも生息すると云われているが、全体的に目撃例は少なく、一部の鳥類学
者の間では空想上の生き物とされている。古来製菓業を営む家には目撃
者が多く。商売の守り神として信仰している地方もある。

その昔、邯鄲の地で盧生に不思議な夢を見せたのも、実はこの鳥の魔力で
あったという説もある。

産卵から孵化までは期間が不明であるが、孵化後の発育は早く、およそ3日
で成鳥に達し、5日めには産卵し、一週間で命を終える。きわめて短命な鳥で
あるが、その昆虫にも似た短命を哀れんでか、古来支那にはこの鳥は代々の
記憶を連綿と受け継ぐという伝説があり、日本でも東北地方ではあずき鳥を見
たら急いで仏壇の戸を閉めねば先祖の悪行が外に漏らされるといわれる。

母の実家は数年前に廃業したが元は饅頭屋で、私は3歳の夏2週間その家に
預けられ、夜分薄暗い作業場の水屋から小さな鳥が飛び立つのを観た記憶を
ずっと悪夢の類と信じてきたが、昨夜の夢にその鳥の子孫が現れ、私自身も忘
れていた幼い頃の思い出を語って聞かせたので、今では事実であったと思い直
している。
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by shanshando | 2007-11-30 14:39 | ■原チャリ仕入れ旅■
2007年 11月 28日

かもめ食堂

フィンランドが舞台だと聞いていたので、是非観てみたいと思っていたのだけど、
人気映画とあって、DVDはいつもレンタル中、ようやく先日観ることができた。

まぁ結局、あたる理由はよくわかるというか、みごとに今女性向けの雑誌が煽っ
ているような流行を貼り混ぜにして、自己実現を旅行や雑貨などの消費文明の
中でしか想像できない若い女性におもねっているというか、早い話が「仕掛けら
れている」感の強い映画だった。

映画が時代のファッションや思想を反映するのは当然のことだし、数十年の時
間を経てその時代を客観的に振り返る時には、反映されているそれらが愛おしく
すら感じるが、同時代人としてそれらを無批判に受け止めることは、むしろ感性
の危機だと思った。

現代は普通に呼吸しているだけでも知らないうちにマスコミに操作されている時
代で、敢えてテレビは観ないなどの選択をおこなっても尚知らないうちに、感性
は操作されていると思う。例えば古本屋の店先。

上々堂の店先では、それこそ「かもめ食堂」的な文化を煽動している雑誌やムック
の類を売っていて、これは非常によく売れる。売れるから意地汚い商売人の私は
入荷すれば真っ先にそれらを陳列して売る。一つ一つの本は大変良心的に作ら
れていると思うし、内容も充実している。だから無論それぞれの本にはなんの罪も
ない。気持ち悪いのは、振り返れば猫も杓子もすべて同じ価値観を共有している
という事態だ。

雑誌やその他のマスコミによって刷り込まれた感性をまるで自分のオリジナルの
ように勘違いしてひけらかしている消費者は哀れで滑稽だが、稀になんとか刷り込
む側に立ち回ろうとする人もいて、なんだかその愚かさは許しがたく思える。
数年前、ある文化人先生と一緒に店の取材にみえた雑誌の編集嬢と飲んだが、彼
女はしきりにその文化人先生からギョーカイ情報をひきだそうとしていて、マスコミの
寵児であるところの先生もそれに答えて、「うーん、あれは○○の××さんが仕掛
けているんだよね。」なんて云ってる。そういう話の何が一体面白いのかわからないま
まに私は(感心したふりをしながら)彼らのシケタ顔が酒にゆがんでいくのを観察して
いた。

あの、当時精々20代後半だったお嬢さんはまだギョーカイで活躍しているだろうか?
右翼的な発言でおなじみの先生のほうは勿論健在であちこちのマスコミでの活躍
を見かけるが、あの時私は、マスコミギョーカイを上手く泳ぎ渡る才能とは理不尽でも
なんでも自分にのしかかる巨大な力を無批判に受け入れる才能なんだなと思った。
まぁ私には関係ないけど。

結局、私が今回「かもめ食堂」から得た教訓は、映画を作品として虚心に味わいた
かったら、封切り後少なくとも10年以上は明けてみるべし。ということでした。
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by shanshando | 2007-11-28 13:31 | ■原チャリ仕入れ旅■
2007年 11月 27日

アメイジング・グレイス

「なんだかいつも忙しそうだね。」
先日、市場で出会った同業者にそう言われた。
そうなのだ。私はいつでもなんだか忙しそうなのだ。よく言われる。
「忙しそう」は「忙しい」とは違う。
「いつもお忙しいですね。」というと、それは褒め言葉になるが、「忙しそうだね」は
「要領悪いね。」とか「落ち着きがないね」に通じて、あまり褒めてない。
私の場合、朝起きたときから夜寝るまで間断なく忙しそうで、忙しそうにしている事
が周りの人間にとって常態になりつつある。
たまにのんびりお茶など飲んでいると病気じゃないかと疑われて、そういえば言動
も怪しいと、あわや隔離されそうになったりする。
言動が怪しいのは実はいつものことなのだが、いつも慌しく蠢いているとヒトも私の
言動の殆どを聞き流しているので、怪しさに気付かないのだが、何かの都合で物静
かにしていると言動の怪しさのみが目立つ。

今年も師走が近づいていて、師走とういのは坊さんも走るほど慌しいという意味だ
そうだが、坊さんが走るくらいだから当然私など走りまくる。
朝から晩まで走りまくって、夜にはすこし寝たふりをして、翌朝はまた走り出す。
走って、走って、走ってふと気付くと世間は正月なんていうことになっている。
正月になるとさすがに私も走るのを止す。止したくないが周りも止せというし、第一
みんなが休んでいる時に一人で走っていても意味ないので、やっぱり休む。
休んで朝からアルコールを摂取するのが日本の大人の標準的な行動らしいから、
それにあわせるがそうすると、やっぱり段々言動の異常さが目立ってくる。
自分で異常だと思うのは異常じゃないよと云う人もいるかもしれないが、私の場合
はっきりと自分でも持て余すぐらいに異常になるので、正月は嫌いだ。
世間が妙に静寂を決め込んでいる中に身を置いていると、自分と世間のズレが際
立ってイヤだ。みんなが走っていると他人の狂気など構っていられないから、東京
という運動会場は素敵なのに、正月になるとわざわざ自分の狂気を確認するために
帰省する。
都会は孤独だ。とか云うことを昔よく言ったが、そんなのはウソで、孤独は田舎のコ
エタゴからしか生まれない。

勝手なことをほざくなら、帰省しなきゃいいじゃないかといわれるが、そんなことしたら
世間並みじゃなくなる。世間並みに世間並みなふりをしに帰省して、世間並みに正月
を祝う。まったくなにがめでたいのか、わからないけど。私は世間が大好きなので、世
間のそばに居たい。

ああ頭の中にアメージング・グレイスが谺する。
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by shanshando | 2007-11-27 18:55 | ■原チャリ仕入れ旅■
2007年 11月 24日

78%

あまり良いことじゃないので、具体的な名前をだすことははばかられるけど、
先週ある商店街を訪ねた時、偶然見つけた古本屋でちょっと凄い貼紙をみた。
正確に写したわけじゃないので、てにをはなど違ったりするかもしれないが、
大意としてはこんなふうだった。
「お陰さまで78%くらいは持ち直しましたが、依然経営不振が続いています。
決断は年内にせねばなりませんが、今はもうとにかく一刻も早くやめたい
気分です。買取が壊滅的にありません……(以下省略)」

古本屋は私を見てもわかるように、わりと愚痴っぽい人が多くって、よく市場
などでも、洒落か本気か「もうこうなったら、BOOKOFFででもバイトしようか
しら」なんて言ってるのを聞くが、(まさかBOOKOFFも雇わないだろうしねぇ)
ここまで正面切って、それもお客に対して愚痴っているのははじめて見た。

そもそも78%って、何に対しての何が78%なのだろう?
文章の中では、買取の少なさを嘆いているけど、店内にはちゃんとそれなりの
商品が並んでいる。古典的に古本屋の売れ筋とされているものが、付け値ガチ
ガチだから動きにくいだろうが、買取が少ないようには見えない。
店の奥にはお約束の成人本のコーナーもあって、棚はスチール製。私の同年輩
か少し上と見られるご主人は懸命にコンピューターのモニターを見つめている。
おそらくネットオークションにでも商品を出しているのだろう。

数字に関して想像できることは二通り、まずは脱サラっぽいご主人が生活の為に
必要としている金額に対して78%の利益しか得られていないという場合。
これは左程嘆くに足りない。ネットオークションは古本屋を堕落させると私は信じ
ているからやらないが、他にも知恵の使いよう一つで残り22%の利益を出す算段
はある。残りが40%になるとちょっとしんどいかもしれないが、22%なら大丈夫。
しかし、もしこの78%が必要経費に対しての数字だとしたら、すぐにも店はたたむ
べきだろう。

まったくヒトの心配してる場合かよアンタ!という声が聞こえてきそうだが、ここまで
露骨に愚痴られると心配もしたくなる。
貼紙の文面からして、このご主人はすでに自分で答えを出していると思われる。
エエ…イヤイヤこれはむしろまだ余裕があって、それで買取アップの奇策として
こういう貼紙をしたのか?うーむ、、、、ウチでもやってみるか。(冗談ですよ。)

古本屋は買取があるうちは死なないけど、買取がなくなると死んじゃいます。
皆さん不要の本は古本屋に売って下さい。ベッドの足の跡を畳に付けないための
下敷きに使ったり、漬物石の代わりにするのはやめてください。その一冊が一人の
古本屋の明日を救うかもしれません。
上々堂では、83%ぐらい本が不足しています。その83%が何に対する何の割合な
のかは秘密ですけどネ♡
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by shanshando | 2007-11-24 16:47 | ■原チャリ仕入れ旅■
2007年 11月 23日

ならなくてよかった。

どうやら腱鞘炎かなにかになってしまったらしい。
昨日までは肩が動かなくなった程度だったので、楽観視していたが、
今は右手親指にまったく力が入らなくなって、鉛筆も握れない。
年がら年中身体のどこかに不調を抱えていて、こんなに体調管理が
できないようでは、「プロ野球選手として失格だ!」といわれても致し方
ないが、プロ野球選手じゃないので致し方ある。
勿論、私とて好きでプロ野球選手をやってないわけじゃなくて、ただ何
となくプロ野球選手ではないというだけで、考えるにこういう「特に理由
はないけど、なんとなくプロ野球選手じゃない」という人は全国に意外と
多いかもしれない。すくなくとも日本の人口の九割くらいはそうなのでは
ないだろうか。

私にしたところで、たとえば明日突然ニューヨーク ヤンキースから年俸
10億ドルくらいでスカウトされたら、けっして悪い気持ちはしないし、場合
によっては店を放り出して、入団してもいいとすら思っている。
ただそうするには少なくとも野球のルールくらいは知っておいたほうがいい
かもしれないし、キャッチボールなども出来るにこしたことはあるまい。

まぁ、どっちにしても利き腕の親指が利かないようでは、野球選手として充
分自分が納得のいくプレイはできなかっただろうし、自分が納得いかないく
らいだから、人はもっと納得しないだろう。結局私はプロ野球選手にならな
くってよかったということになる。

野球選手のほかにも私にはならなくってよかったと思われるものがある。
たとえばそれは公務員である。父親は私を地元の自治体の職員にしたいと
考えていたらしいが、もしなっていたら今頃私の郷里の町は優秀な職員の
活躍によって日本の首都になっていたに違いなし、そうなっていれば東京は
一地方の町ということになり、遷都によってただの空き地になった皇居には
原発が造られているだろう。ああ、ならなくってよかった。

私は不思議なことに演歌歌手にもなっていないが、これも考えてみればな
らなくってよかったかもしれない。
私が演歌歌手になっていれば、勿論北島三郎も都晴美も私にひれ伏すことに
なり、それは別にいいし、サブちゃんとフンドシ談義などするのも面白そうだが、
私が国民的歌手になると、この国の音楽の基準に若干の変更を加えざるを得
ないだろうし、私の天才的な音感は一般的な凡人には理解しがたいところだろう
から、音楽教師達を悩ますことになり、果てにはノイローゼになり自殺する人が
出ないとも限らないから、やっぱり私は演歌歌手にもならないでよかった。

まぁこのような消去法の結果として私は、有り余る才能が世の中に与える影響
の比較的少ない職業として古本屋を択んだのだが、しかし困った。右手が使え
ないと値段付けが出来ない。エエイ自棄だ!店内すべて100円均一!
なんて云うわけないでしょ。
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by shanshando | 2007-11-23 14:11 | ■原チャリ仕入れ旅■
2007年 11月 22日

ひつこく 50円 ( もう誰も読んでないだろうな…)

まあ懐古趣味は商売柄しょうがないにしても、あまり自分の個人的な
体験をだらだら書き連ねるなどはいかがなものか?それもなんだか思
わせぶりで、嫌みな文章を書くのはすごくみっともないと思うけど、始め
ちゃったことなのでとりあえず続ける。(考えてみれば人生の殆どをそうし
た感じで過ごしてきてしまったように思うのだけど…)

さて、拾った50円を「じゅんさん」に届けるためにトンネルをくぐったぼく
は心底ぶるっていた。足がガクガクしてくるし、下腹はしくしく、いっその
事50円玉を投げ出して家に帰りたかったが、そんなことをしたらぼくの
一連の行動を見ていた誰かにだしぬけに肩を叩かれそうで、もうこのまま
死ぬ思いで交番まで行くしかないけど、一体ぼくは交番で「じゅんさん」に
なんといえばいいのだろう?こんな子どもがお金を拾って届けるなんていう
ことは(その時のぼくの予想では)あまり無い事に違いないから、きっと
あれこれ聞かれてひょっとしたら今晩は帰れないかもしれない。イヤ、今晩
だけじゃなくって、そのまま牢屋に入れられて二度と家には帰れないかもし
れない。父親は恐かったし、母親のヒステリーも嫌だったけど、牢屋という
ところはきっともっと恐ろしいに違いない。ああ、なんで50円玉なんて拾っ
ちゃったのだろう。見つけても知らん顔してればよかったのに……

トンネルを抜けると駅前の商店街のアーケード、揚げたてコロッケの美味しい
肉屋さん(コロッケは当時一個5円だった。)や父親のいない日の夕食に時々
連れて来られる中華そば屋、お爺さんが焼きながら鼻くそをほじるのでみん
なが敬遠しているたこ焼き屋など通り過ぎて駅前にたどり着く。その頃はまだ
小さかったロータリーのむこうが交番だ。
近づくにつれて胸が苦しくなって、視界がぼやけ足がふらついて、あきらかに
挙動不審、気がつくと立番の「じゅんさん」が目の前に居た。
「どーしたんや?」
「……これ……」
「えっ?はっきり言うてみ?どーしたんや?」
(ああ、もーあかんタイホされる。)
「……お金…」
「ああ、50円やなぁ。どーしたんや?」
「ヒッ拾いました。」
「拾たてどこで、拾たんや?」
(あかん、タイホや、もう家でご飯食べれへん…)ぼくはもう完全に泣き始め
ていた。
「泣かいでもええがな、何処で拾たんや?」
「……ショーコー会議所のとこ…」
「ああそう、ボン家何処や?」
「本町3丁目…」
「名前は?」
「いしまるのりひで」
「お父さんは?」
「…いません。」
「あっ、お父さんおれへんのか?」
「いえ、ここにはいません。」
「それは見たらわかるがな。お父さんの名前は」
「いしまるひでじ」
「本町3丁目…のいしまるひでじさんな。ヨシわかったで。拾たん届けてくれたん
やな。ちょっと待っててや。」
身体の大きな「じゅんさん」はそういうと一度交番の奥に引っ込んで、すぐにまた
出てきた。
「さっきの50円は確かに警察署で預かりました。ほんでなぁこれはおっちゃんが特
別に君にお駄賃や。正直に届けてくれたからな。」そう言って「じゅんさん」は穴の
あいた普通の50円玉をぼくの手に握らせてくれた。
ぼくは事態がまだよく飲み込めないままに、(たぶん挨拶もしないで)交番を離れ
た。
(これはどういうことやろ?なんで50円拾ったお駄賃が50円なんや?)
歩きながらぼくはまじまじと手の中の穴あき50円を見た。それはさっきまで手に
あった穴無しの50円に比べると貧相で、つまらないものに見えた。胸はもうドキドキ
しないけど、なんだか割り切れない気もする。あの50円はどうなるのやろ?
「じゅんさん」がとった確認の手続きが正式なものでないことは、子どもでもよく判る。
「じゅんさん」は警察で預かりましたて言ってたけど、それなら半年経ったら、あの50
円玉はぼくのものになるのやろか?そうしたらこの50円は?ひょっとしたら、あの「じゅ
んさん」は自分の穴あき50円と引換えにあの穴無し50円を自分のものにしたんと
違うやろか?さまざまな疑惑を胸に仕舞た屋の家に帰ったぼくは、二階の屋根裏部屋
に上がり、畳と畳の隙間に貰った50円を捩じ込んだ。どうせ漫画は買えないから、
いつか親に内緒で駄菓子屋で当て物でも買おう。そう考えたのだけど、結局それは
果たせなかった、次の日学校から帰ったら50円玉は無くなっていたのだ。たぶん掃除
をした母親が財布にしまったのだろう。
その後半年経っても一年経っても警察からは、なにも言って来なかった。あの穴無し
50円はあのまま警察の金庫で眠っているのだろうか?イヤ多分あの「じゅんさん」が
仕事帰りにパチンコ屋ででも使っちゃったに違いない。あれ以来ぼくは全ての大人を
信用していないが、今は自分も大人なので、まず自分を一番信用していない。
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by shanshando | 2007-11-22 18:29 | ■原チャリ仕入れ旅■
2007年 11月 20日

50円 いい加減やめます。

50円玉というのは調べてみると、ぼくが生まれる5年前の1955年に
発行されている。初めは穴なしのニッケル貨だったのだけど、100円玉
と紛らわしいということで、4年後の59年には、現在と同じ穴あきの物に
切り替えられたらしい。ニッケル貨ってなんかいい響きだ。
ぼくが商工会議所の石段の下でみつけたのはこの穴なしニッケル貨だった。
この誕生からわずか4年しか造られなかったコインは今でも蒐集家の間で
高値で取引されるらしいが、発行停止から12、3年の当時でもわりと珍しく
って、そうでなくても現金というものに縁がなかった小学生のぼくの眼には、
夢の財宝のように映った。
怖々拾い上げて、よおく見てみる。
同級生が父親のコレクションを持ち出して学校で自慢しているのを横目で
見たことはあるが、自分で触るのは初めてだった。
鈍い銀色が夕日にキラリと光っていたというのは、もちろん後付けの印象に
違いないが、でも本当にそう思えるぐらい美しいく見えたのは事実で、正直
ぼくにはお年玉で貰った500円札よりもずっと貴重に思えた。
周囲はすでにうす闇に包まれ始めており、大人たちは自転車や徒歩で忙しく
行き交って、誰もぼくのことなんか見ていない。
このままポケットに入れちゃおうか……、そう思っただけで手にびっしょり汗
をかいた。
これがあったら本当は欲しくてたまらない漫画雑誌が買える。(当時の漫画
雑誌は30円くらいだったろうか?)イヤ、いつか父親に連れて行かれた京都
で見たコイン屋に持っていけばもっと高くで買ってくれるかもしれない……。
でもどう考えても駄目だ。ぼくは未だ一人で京都に行ったことがないし、もし
漫画雑誌を買ったとしても、家に持って帰れない。そのまえにいつもの本屋の
おばさんが父親に告げ口するかもしれない。
ぼくは何かと言うと、コメカミに青筋をたてて怒る父親の顔を思い出して胃が
痛くなってきた。
やっぱり正直に交番に届けよう、届けておけば落とし主が現れなかった時に
拾った人の物になると聞いたことがある
ぼくは決意し立ち上がると、トンネルを抜け駅前の交番に向かった。
正確に再現するとその時のぼくの決意は「交番に届けよう。」ではなかった。
「じゅんさんに渡そ。」だった。ぼくの田舎では年寄りや子供は警察官を「巡
査さん」→「じゅんさん」と呼んでいたのだ。
それなら「交番に届ける」も「じゅんさんに渡す」も同じことじゃないかと思うか
もしれないが、これはエライ違いで、子供のぼくにとっては警察官とか交番と
いう言葉はブラウン管の向こうの非現実に過ぎないが、「じゅんさん」は、ご飯
を食べなかったり、仮病をつかったりするだけで、闇の底から現れて、遠い
世界に子供を連れ去る魔王のような存在で、怖い怖い父親よりも更にわけの
判らない恐怖の権化さったのだから。その時のぼくの決心は、桶狭間の決戦
に臨む織田信長か、チャンピオン アポロ・クリードに立ち向かうロッキー・バル
ボア並みだったと言っていい。
(やめますといいながらまた続く。)
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by shanshando | 2007-11-20 15:47 | ■原チャリ仕入れ旅■
2007年 11月 17日

50円 一応つづき

はじめに書こうとした事は、たぶん精々500文字くらいで書き終えられる
ことだったのだけど、書き始めると子供の頃のあれこれが思い浮かんで
きて、むしょうに色々書きたくなってきた。これから年末が近づいてくると
ノスタルジーが刺激される行事が多々あって、だからなのかもしれないけ
ど、如何せん表題に掲げた50円の事件から外れていきそうで、どう収集
をつけるか迷っているけど、兎に角やっぱり続けてみる。

ぼくの家は、通りの中程にある貸家の仕舞た屋だったと書いたけど、これ
はずっと仕舞た屋だったわけではなくて、ぼくが生まれるまではパン屋を
営んでいた。
パン屋と云うと今では焼きたてパンを売るベーカリーが多いけど、昭和中
期の田舎町にはそんな店は一軒もなくて、パン屋といえばどこかの大きな
工場で焼かれたコッペパンや餡パンなどを並べて商う店のことで、うちも
町外れの工場から麹蓋という箱で送られてくるパンを並べていた。
商売を主にしていたのは、自身も商家の娘だった母で、父は公務員で副業
は禁じられているからノータッチだったはずだ。
当時は公務員といえば、薄給の代名詞みたいなもので、その収入だけでは
金銭感覚のない父はともかく、母は不安を感じていたのだろう。五つ上の姉
の手を引きながら、臨月近くまで続けたらしい。ぼくが小学校にあがる頃まで
表の土間に木枠ガラス張りのショーケースが残っていて、店先に西日が射すと
うっすら積もった埃がキラキラ光るのをぼんやり見つめていた記憶がある。

家の造りはこのあたりの宿場に多い軒の極端に低い二階家で、一階は通り庭
と二間、二階は屋根裏のような部屋が一間あるっきりで、三歳下の弟もふくめた 
五人がその暗い二階の一間で目刺しのように並んで寝ていた。
一階の部屋を寝室に使わなかったのは、戦死した父の二人の兄の蔵書がぎっち
り詰まった本棚が其処此処にあり、それが倒れてくるのを心配したせいかもし
れない。
虚弱で、他の子供と遊ぶのが苦手だったぼくは、いつも暗い家の中で旧かな
混じりの背表紙を見て育ったせいか、小学校も中学年になると立派な活字中毒
になっていた。
父母は小遣いというものを一切くれない替わりに、近所の本屋で買う分には「付
け」が利くようにしてくれ、だからぼくは事本に関してはお坊ちゃんだったといえる。
学校から帰ると毎日この本屋を覗きに行くのだが、子供向けの本の新入荷がそう
毎日あるわけもなく、ぼくは買うことを禁じられている漫画雑誌を片目で睨みなが
ら、生真面目に昨日もチェックした児童書のコーナーを何度も見返した。
今更いい子ぶるわけではないが、立ち読みということはしたことがなく、したいとも
思わなかった。本というのは買って読むものだと思い込んでいたとしたら、親達は
無意識に古本屋になるように仕込んでいたことになる。お陰で大人になった今も
ぼくは立ち読みができない。

とにかく、本当に元気のない子供で他の子供が走り回る広場にいたり、母親の
ヒステリー声が響いている家の中にいるよりも、本屋が好きで、夕食を食べない
日はあっても本屋の空気を吸わない日はなかった。
毎日同じ棚の同じ背表紙を見ていて楽しいのか?というとそれは本当はそうでも
なく、児童書よりは動きのある大人の本や禁断の漫画雑誌の背や表紙を眺めて
いる時間も随分あったと思う。

とにかくそうやって本屋でひと時を過ごした後で、ぼくは買った本を持って、(ある
いは手ぶらで)町の中央、通りと川が立体交差する傍に恐らく明治時代からある
煉瓦造りの商工会議所の石段に向かう。そこに座って日暮れまで本を読んだり、
行き過ぎる人の顔をみたりして過ごすのだ。
偶に仕事帰りの父親が回り道をして出くわすことがあると、路傍に座っているのは
乞食と同然だと叱られるから油断はならないけれど、とにかくそこはぼくにとって
第二のオアシスだった。

そうしたある夕方、たぶん秋だったと思うのは、書いている今の季節とこじつけて
いるのかもしれないが、夕日が土手の上の桜の枝を通して降り注いだ大理石の
石段の下に一枚の50円玉が落ちているのを発見した。(つづきます)
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by shanshando | 2007-11-17 16:05 | ■原チャリ仕入れ旅■
2007年 11月 16日

50円

ぼくの育った町は昔の東海道と中仙道の分岐点にあたり、町の真ん中
には人の頭より高い位置を流れる川があった。
こういう川を天井川といって、つまり古い時代から治水が行き届いていた、
早い話が歴史地理的に恵まれた豊かな土地であったという証拠になるが、
それをあくまで往古のことで、ぼくが居た時分は典型的な寂れた田舎町
だった。

人の頭の上を川が流れるという説明をされると、大抵の人はという顔
をする。ちょっとイメージしにくいと思うが、簡単に言うと高い土手の上に
人工的に水路を作ったわけで、この土手には桜が植えられ、春には中々の
壮観だったし、夏には昆虫採集の良い狩場にもなった。
土手の上には人が渡れる橋がいくつか架けられていたが、大きな橋はなく、
電車や自動車はもっぱら川の下を横切るトンネルを通っていた。
三つあるトンネルは国道一号線と国鉄の東海道線、もう一つは旧東海道。
この旧東海道が町のメインストリートで、現在は本当に寂れてしまったが、
当時はそれでも年に数度市が立った。
市が立つというと、今の人は観光用の朝市とか、フリーマーケットなどを
思い浮かべるかもしれないが、未だ大型小売店が林立する前の地方の
町には、季節の変わり目、年の暮れなどに生活雑貨を売りに来る行商人
たちの市が立ったのだ。

戦災の被害を左程うけなかったから、町並みは江戸時代の宿場町その
ものの軒の低さ、窓の小ささを保っていたが、それは別に歴史的建造物の
保存などという高邁な意識から保たれたわけではなく、ただ何となく残った
だけなので、都合によって看板やネオンが架けられたり、全体的には極ま
とまりのない雑多な印象で、それはむしろ其処に住む人の自然な息吹を伝
えていて微笑ましい、そんな通りの中程にあった仕舞た屋をぼくの一家は
借りて住んでいた。

とか書いてるうちに結構長くなってしまいましたが、何故急に一人称が「ぼく
」になったのか?表題の「50円」は何やねん?しょーもない思い出話は法
務大臣にまかしとけ!とかいろいろご不満もありましょーが、「ぼく」の私は
急に昔話が書きたくなってしまった訳で、まぁどちらにしても普段からあん
まり大したことは書いていないので、今回もだーれも期待していないでしょう
し、キーボードを打つ手の気まぐれにまかせて、今は昔昭和の思い出を書い
てみようかと思ってます。
お退屈様とは思いますが、師走も近づいて皆さん暫くお退屈様とも疎遠に
なるでありましょうから、ここは一つお退屈様との友好親善関係を保つため
にもお付き合い頂ければなによりです。
ホナまた明日。
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by shanshando | 2007-11-16 17:47 | ■原チャリ仕入れ旅■
2007年 11月 15日

やりたいことと、できること、

togashiさんお問い合わせありがとうございます。
ライブ、やりたいんですけどねー。なかなかです。
去年やったうちで蛇腹姉妹のお二人はこちらから積極的にお願いすれば、
たぶんやってもらえると思うのですが、興居島屋の展示替えや「おに吉」
その他、現在暖め中の企画なども多々あって、なかなか着手出来ない
のが実情です。
加藤千晶さんにはライブじゃなくて、別にひとつお願いしている事もあって、
近々発表できると思うのですが……。

さまざまやりたい事はあるけど、思うにまかせない理由の第一は私に時間が
ないこと。時間はどうすれば作れるか?というと、それは結局お金なのです。
上々堂も興居島屋もできるだけ通常の古本屋の枠を飛び越えていろいろ
試したいのですが、やはり基本は営業なわけで、採算を考えずに面白い事
を追求するならやりたいことは無限にあります。

例えば、上々堂の天井一面を巨大水槽にして魚を飼ってみるとか、店内に
メリーゴーランドを設置するとか、興居島屋のカウウンター裏から地面に穴
を掘って、上々堂まで通じる地下道を作って、そこに一大古本ショッピング
モールを作るとか。まぁささやかな夢ですが、そんなささやかな夢ですら、
お金無しでは出来ないわけです。まあ現実には……

ああーあ、宝くじでも買おうかしら、どこかに確実に当たる宝くじはありませんかね。
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by shanshando | 2007-11-15 13:20 | ■原チャリ仕入れ旅■