上々堂(shanshando)三鷹

shanshando.exblog.jp
ブログトップ

<   2008年 02月 ( 18 )   > この月の画像一覧


2008年 02月 29日

不器用貧乏

陶芸にハマっている。
別に上手になろうとか思わずに、気楽にやっているから、失敗しても
左程ショックはないし、たまにマシな物ができて、人にお世辞を言って
もらうと無闇に嬉しくって、思わずその人にオコヅカイでもあげたくなる
が、残念ながら自分のコヅカイにも不自由しているので、大体「お気持
ちだけ」と言うことになる。

やっているのは手びねりで、轆轤にも何時かは挑戦したいと思っている
けど、あれはやり始めると巧くなろうという欲が出てきそうで怖い。
趣味事はなんでも横好きが気楽で、手が上がりすぎてセミプロみたいに
なっちゃうと、むしろ苦のほうが多そうだというのは、古本蒐集家たちを
何時も見ているので実感できる。(実際、私のような下手な物知らずの古
本屋よりよく本を知っている蒐集家はゴマンといて、そういう人たちが朝も
早よから古書会館の前で即売会のオープンを並んで待っている様は、修
行僧のような暗い面持ちで、気の毒ですらある。)


手びねりで今のところ拵えたのは、完成品がマグカップ一個と大皿一枚で、
製作中の物にやはり大皿と小皿のセット、ぐい飲みなどがある。
形作りは本当に下手っぴで、乾燥し、素焼きをした後に絵付けをするのが
楽しみ、店でも時間があると色々絵柄を考えている。
絵柄は象と猿が専門で、商売柄児童画調になることが多い。
これでも商売なので絵本の絵には煩い方で、たかが子供の本と侮って描い
ているような作家の物は、酷評するし、若い作家などで人真似ばかりしている
ような作家の物もくさしたりするが、自分がする絵付けには非常に点が甘い。
内心、「これってあの作家さんの下手な真似しだよな。」などと気づいていても、
自分の絵であるかぎり、「全ての芸術は模倣に始まる」などと言って許せてし
まう。
なんとも卑怯な話だが、いいのだ別に趣味なんだし、

今製作中の小皿は猿の顔の百面相にする予定で、とりあえず5枚だけだが、作
ってみて面白かったら本当に百種類百枚作ってみようかなどと思っている。そ
んなに作っても置く場所に困るだろうし、百枚もの小皿をいっぺんに使う必然など
絶対にないから純粋に無駄でしかなく、しかし趣味の人としては、純粋に無駄
でしかないからこそ、尚やりたい気持ちが煽られる。
どうやらこのあたりが病膏肓に至る始まりで、気がつけば大方の古書蒐集家と
同じ地獄にいるかもしれない。
[PR]

by shanshando | 2008-02-29 14:36 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 02月 27日

ホットなドリンク

いつもながらに倹しい(つましいと読んでね)と言うか、貧乏くさい話で
恐縮なのだが、私にとっては文化生活というのは、今日のような寒い
日に誰に気兼ねすることなく暖かい飲み物が飲める生活なのであります。

オフィスには当たり前のようにコーヒーメーカーが備え付けてあって、
自分が好きなときにそれが飲めて、場合によっては天使のような同僚、
後輩の誰がしかがそれを注いでくれることすらあって、家では勿論
朝からお茶や味噌汁が飲み放題だし、夜分には徳利に入った温かいヤツ
が用意されている。たったそれだけの事で気分は文化人に成れるのである。

イヤイヤ「たったそれだけ」などといっては申し訳がない。
私は若いころまともな部屋がなかった時代もあったし、部屋はあってもガス
はとめられるどころか、鼻っからその設備さえないことも屡(しばしばと読ん
でね)あった。
何故そんな状態だったかについて語りだすと、一万字くらいそれだけで費や
してしまうので割愛するが、とにかく稼ぎが悪い上に稼いだものは公営ギャン
ブルよりもまだ分の悪いコトに投資してしまっていたのだ。

寒くて芯から凍えると、人間本当に心にゆとりがなくなる。そんな当たり前の
ことを、幼い頃はお坊ちゃん育ちで何不自由なかった私は成人するまで知ら
なくて、一人暮らしをするようになってからもそのような環境づくりを自分の生活
の必要事項の最低順位くらいに置いていたのだ。

最近貧困の問題がよく取り沙汰されるが、「格差なんてどこの世界にもある。日
本なんてまだマシな方だ。」などという意見を声高に言う人には大抵愚かなお坊
ちゃん育ちの無知の中にいた私と同じような傲慢さを感じる。
確かに日本より格差の酷い国はたくさんあるだろう、しかし勿論それらの国は日
本より治安が悪いだろうし、その他にも様々な矛盾を抱えているだろう。
日本がそんな国になればいいというのか?

前に、名前は忘れちゃったけど経済同友会の会長だったおじいさんが、日本の
戦後の発展をささえてきたのは修正資本主義によって格差の縮小化をしようとし
てきた方針のお陰だと言っていたが、成程と思った。
資本主義はそれをどんどん合理的に推し進めて行くと、必然的に格差を作る。
富の再分配という思想は自由主義経済の競争原理に逆行している。そんなこと
しないでドンドン競争を激化していったほうが国全体は豊かになる。しかし富は
偏るわけだから、社会は常に不安に晒されることになる。結果どうなるだろう?
そういえば名前を忘れちゃった人ばかりで恐縮だが、誰かが共産主義革命とい
うのは資本主義が成熟しきった時に成立すると言っていた。

私は旧ソヴィエトとか北朝鮮のような社会はごめんだから、そいうことになって
もらっちゃ困るけど、新自由主義だかなんだか唱えて、競争を激化して、資本
主義をドンドン成熟させようとしている政治家のヒト達は実はコミニュストだったのか!
と、そーいえば選挙になると自民党と共産党って微妙に連携してるよね。

さぁ、今日も朝から市場でひと働きしてきたし、ブログも書いたし、なにかホットな
ドリンクでカルチャーライフをエンジョイしちゃおうかな。
[PR]

by shanshando | 2008-02-27 13:46 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 02月 26日

私だけの都市伝説

上々堂から三鷹駅のほうに30メートルくらいのところに小さな交差点が
あるのだけれど、どういうわけか年がら年中工事をしている。
このあいだまでガス工事をしていたと思ったら、今度は水道工事だとか
電話のケーブルがどうとか、度々にアスファルトを掘り返す手間を考え
たらみんなでいっぺんにやっちまえばいいのにと思うけど、お互い実は
仲が悪いのか?なんだかイタチゴッコのように一社が埋めると一社が
掘り返すというふうに非効率なことをやっていて、相談して効率よくやれ
ば省エネルギー、予算削減にもなるんじゃないのか?と今朝トイレの中
で憤っていてフト気がついた。ポン!(張り扇をたたく音)
あれはひょっとしてもしかしたら工事というのは世の中をあざむく言い訳
で、実は国家機関が徳川の埋蔵金を探しているのではあるまいか?

三鷹の下連雀あたりは元々幕府が鷹場としてもっていた直轄領で、三鷹
という地名は御三家の狩場の境界というところから来ている。
その後明暦、万治の大火で神田連雀町を焼け出された人たちを移住させ
新田の開発にあたらせたところから今の上連雀下連雀という地名が生ま
れたらしいが、とにかく住民も皆徳川家に恩義を感じている連中だし、新田
が開発されたとは言え武蔵野の原生林に取り囲まれた当時は人目につか
ずに埋蔵金を隠すにはうってつけの場所だったと思える。知恵者として有名
な小栗上野が後から探されやすい自分の地縁のある場所に大切な埋蔵金
を隠すとは思えないし、第一江戸からあまり離れた場所に運ぶというのも、
危険がありすぎる。

なにか、そうきっとなにかの古文書のようなものが近くの禅林寺か八幡神社
からでも見つかって、それで内閣調査室かなんかが道路工事に事寄せて、
地下を掘りまくっているのだろう。役人といえば着服、着服といえば役人という
くらいで、役人をみたら泥棒と思えというのは今や小学生でも知っている常識
だから、見つかった金塊は絶対に役人どもがナイナイポッポするに違いない。
ウーム許せん。ひそかに現場に張り込んで動かぬ証拠を押さえてやる!
動かぬ証拠を押さえて、策謀の元凶をあぶりだして、そうしてそうして、エート
エート……分け前でも貰っちゃおうかなぁーーと!
[PR]

by shanshando | 2008-02-26 15:33 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 02月 24日

夜ふかし

昨日は久し振りに十二時過ぎまで上々堂に居た。
残念ながらお客様が絶えなかったらではなくて、土曜の夜なの
に強風のためかあまりに暇だったので、息を止めて死んだ振り
して税金の計算をしていたのだ。
毎年のことだけど、この作業に入ると他の神経が閉じる、つまり
本の事を考えたりとか、料理のことを考えたりが一切出来なくな
るのだ。
一年で一番辛い時期なのだが、辛いだけにやり始めると仕上げる
まで一気にやらないと気が済まない。これは多分性分の問題だと
思うのだが、子どもの時は平気で夏休みの宿題をやらないで学校
に行くような子どもだった私がいつの間にこうなったのかわからない。
もうすこし、ここの部分の計算が終わったら帰ろう。ついでだからこっち
もやっちゃえ!なんてやってるうちに12時をとうに過ぎていて、翌日の
予定もあるからと、キリをつけて店を出ると風があいかわらず吹き荒
れていた。
かなり早めの春一番だが、冷たくておまけに花粉まじり、まいったなぁ!
と走り出してから、ガソリンが切れかけている事に気付く、いやいやいや
どーしよ?このまま無理に走れば途中で止まりそうだし、最近夜間営業
のスタンドはめっきり減った。上々堂にもどってバイクを置いて行くにし
ては遅すぎて電車も無い。
イチかバチか少し遠回りの狐窪のスタンドならまだやってる気がするけ
ど、やってなかったら遠回りした分だけ途中で路頭に迷う危険性が増す。
迷いと疲れと強風でバイクは知らず知らずに蛇行をはじめ、危ないったら
ありゃしない。
結局狐窪のスタンドがやっていて、ヤケッパチな感じの兄ちゃんがぶつく
さ言いながら給油してくれて、なんとか無事西荻の自宅に帰り着いたのだ
が、今度は気分がハイになって中々眠れない。
致し方なく最近お気に入りのジャパニーズウィスキーのお湯割りを呑みな
がら、陶芸教室で今制作中の大皿の絵付けの構想を練るが、頭が電卓に
なっているので全然アイデアが浮かばない。
結局3時過ぎに床に入ったが、眠ったのは4時になっていただろう。
今朝は予約を入れてあった陶芸教室(というか個人教授みたいなものだが、)
絵付けはまだ決まらないので、とりあえず次に焼く小皿を五枚成型して、残り
の時間で絵付けの構想を練ろうとしていたら、先生の阿倍さんが3月に七輪で
野焼きのような体験をさせてくれるというので、それ用に先生が秋田から採取
してきた赤土でぐい飲みを作ってみる。
計算のような作業で疲れた頭を休めるには、粘土いじりが一番いいみたいだ。
出来の程はあまり自信ないけど、気分はよくなった。
午後から上々堂に来て税金の続き、興居島屋の分と二軒分を計算して、澄子
さんに渡してやるデータをまとめ、なんとか先程ケリがついた。後は提出と納税
のみ、やれやれ。
頭休めになんとなく昨日買い取った「ドイツパンの作り方」の本を見る。
重くて食べごたえがあるから、ドイツパン好きなのだけど、如何せん美味しい店
のは当然高い。本には家庭用の簡易なベーカリーでも簡単に作れそうなことが
書いてある。本当かしら?本当だったらベーカリーの購入に投資しても充分元が
取れそう。捏ねて焼くというのは陶芸にも通じるからやり始めると結構これもハマる
かも?
[PR]

by shanshando | 2008-02-24 20:07 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 02月 22日

売茶翁

先日出張買取で伺った御宅で和物の図録をまとめて売っていただいた
中に「売茶翁集成」という大冊があった。
「バイチャオー??Drスランプの中国語版かな?」などと全く受けそうもな
いギャグを飛ばしてみたら、案の定受けないので速攻市場に出品してし
まった。受けなかったギャグの記憶は職場に暗いしこりを残す。
出品してからどうしてもこの「バイチャオー」が気になってしょうがない。
市場に戻って買い戻そうか?まさかねー。
しょうがないからネットで調べてみると結構いっぱい情報が出てきた。
ユーメーなのだ「バイチャオー」は、ユーメーだから多分みんな知ってい
るだろうけれど、せっかく調べたから書いてしまうのだ。

高遊外売茶翁は江戸時代の人で煎茶道の中興の祖と呼ばれている。
医師の子に生まれたが少年期に父親をなくして出家、黄檗の禅僧となり
修行するが、57歳で思い立って還俗、市井に出て人に茶を飲ませて
生計を立てるという。今のカフェのはしりのような事をやった人だ。
その営業方針はじつにおおらかで
「茶銭は黄金百鎰半文銭までくれ次第、ただ呑みもも勝手、ただよりは
まけ申さず」というから、よーするにいっぱいお金くれるんだったら断ら
ないけど、まぁただならただでもいいよ。というわけだ。
当時の寺院はお布施の制度が確立されつつあって、そーいうのってさぁ、
お釈迦ちゃんの教えとちょっと違うんやないの?と思っていたわけだ。

仏教という宗教は世界宗教の中でも一番融通無碍というか、原理原則
なんてまぁどーでもいいじゃん。というありありの宗教でたとえば葬儀な
んかも本当は坊主はあんなことやっちゃいけない。とお釈迦ちゃんが言
ってたのに、室町の頃に時宗の坊主たちがアルバイトで始めたのを、み
んな真似しちゃって、今のようになったらしい。

宗教についちゃ世界の紛争の火種にもなっているから、あんまり原理に
忠実すぎてがちがちなのもこまる感じだけど、おいおい其処までいい加
減でいいのかよっていうのもどんなもんだい?

地縁もあって上々堂では瀬戸内寂聴がよく売れるけど、なんだか私は
もひとつだ。
[PR]

by shanshando | 2008-02-22 15:49 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 02月 22日

売茶翁

先日出張買取で伺った御宅で和物の図録をまとめて売っていただいた
中に「売茶翁集成」という大冊があった。
「バイチャオー??Drスランプの中国語版かな?」などと全く受けそうもな
いギャグを飛ばしてみたら、案の定受けないので速攻市場に出品してし
まった。受けなかったギャグの記憶は職場に暗いしこりを残す。
出品してからどうしてもこの「バイチャオー」が気になってしょうがない。
市場に戻って買い戻そうか?まさかねー。
しょうがないからネットで調べてみると結構いっぱい情報が出てきた。
ユーメーなのだ「バイチャオー」は、ユーメーだから多分みんな知ってい
るだろうけれど、せっかく調べたから書いてしまうのだ。

高遊外売茶翁は江戸時代の人で煎茶道の中興の祖と呼ばれている。
医師の子に生まれたが少年期に父親をなくして出家、黄檗の禅僧となり
修行するが、57歳で思い立って還俗、市井に出て人に茶を飲ませて
生計を立てるという。今のカフェのはしりのような事をやった人だ。
その営業方針はじつにおおらかで
「茶銭は黄金百鎰半文銭までくれ次第、ただ呑みも勝手、ただよりは
まけ申さず」というから、よーするにいっぱいお金くれるんだったら断ら
ないけど、まぁただならただでもいいよ。というわけだ。
当時の寺院はお布施の制度が確立されつつあって、そーいうのってさぁ、
お釈迦ちゃんの教えとちょっと違うんやないの?と思っていたわけだ。

仏教という宗教は世界宗教の中でも一番融通無碍というか、原理原則
なんてまぁどーでもいいじゃん。というありありの宗教でたとえば葬儀な
んかも本当は坊主はあんなことやっちゃいけない。とお釈迦ちゃんが言
ってたのに、室町の頃に時宗の坊主たちがアルバイトで始めたのを、み
んな真似しちゃって、今のようになったらしい。

宗教についちゃ世界の紛争の火種にもなっているから、あんまり原理に
忠実すぎてがちがちなのもこまる感じだけど、おいおい其処までいい加
減でいいのかよっていうのもどんなもんだい?

地縁もあって上々堂では瀬戸内寂聴がよく売れるけど、なんだか私は
もひとつだ。
[PR]

by shanshando | 2008-02-22 15:49 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 02月 20日

朝の口笛

とりたてて人生に大きな影響を与えるとも考えにくいけど、実はあると
ないとでは大違いなんじゃないかと思われる才能があって。それは
多くの場合、自分が恵まれていない才能であったりする。
隣の芝生は…というやつだろうか!?

なんだかもったいぶった書き出しになったけど、実は口笛のことである。
口笛というのが、大人になってもどうしても吹けない人というのが居て、
それは多分口唇のかたちなどが影響しているのだろうけれど、一般的な
人生において「口笛がふけなかったために、重要な不利益を得てしまっ
た。」ということはないし、また人と交際するかどうかを決めるのに「口笛
が吹けない人とはつきあわない」と宣言している人も居ないだろうから、
まぁ言ってしまえばどうでもいい才能である。

私自身について言えば、一応音は出せる。
子供の頃観たなにかのアニメのなかで敵の来襲を知らせるために、口笛
で合図をとりあうのだが、その中の一人の子供がじつは口笛が吹けない。
そのためみんながひどい目に遭ってしまい。口笛を吹けないやつはいった
い誰だとつるし上げを食うというシーンがあった。
当時から団体行動にコンプレックスのあった私は、これは大変とばかりに
練習をしたのだ。今でさえ、ともするとミソッカスなのにこういう大事なシーン
が来た時にドジをふんだのではもう二度と誰にも相手にされないだろう。
悲壮な決意でトイレやお風呂のなかで練習をして、なんとか音だけは出るよ
うになったのだ。
正直言ってはじめはフーフースースー息がもれるばかりで音なんか金輪際
出そうもなかったから、かなり悲観していただけに音が出た瞬間はとても嬉し
かった。もうこれで何時敵の来襲があっても大丈夫だ!
続いて私は指パッチンにチャレンジした。これも多分テレビの影響でやれな
ければ、仲間はずれにされると思い込んでいた。

今現在、私は口笛も音だけなら出せるし、指パッチンも右手だけは鳴らせる。
残念ながら実用するシーンはまったくないのだが、とにかくできることはでき
るのだ。
ただ、音痴だから指パッチンで軽快なリズムを刻むことはできないし、口笛で
メロディーを奏でることもできない。

私には大工をしていた叔父がいて、彼は仕事をしながらじつに楽しげに口笛を
吹いた。
大工といっても実家が工務店だから休日に手伝っていただけなので、普段は
会社員なのだが、元々物づくりが好きな人なのでせっかくの休日の仕事も結構
楽しんでやっていたのだろう。性格が朗らかで飄逸で子供なら誰でも好きにな
るような叔父さんが鉋や金槌を器用に使いながら吹く口笛は青空そのものような
爽やかさで、私は自分も大人になったらあんな大人になりたいものだと思ってた。
あんな大人とは別に大工さんになりたいということではなく、爽やかで飄逸で物に
こだわってウジウジしない大人という意味で、そういう大人というのは仕事を楽しげ
にこなしながら口笛を吹くのだと思っていた。

今朝、窓の外がきれいな青空だったので私は部屋に掃除機をかけながら、久しぶり
に口笛を吹いてみた。頑張ってなんとかメロディにしようとするのだが一向にそうな
らない。くやしいなぁ、音の強弱はつけられるのに…、一生私は口笛でメロディを吹
けない人なのだろうか?ああ、口笛吹いて指パッチン。そうしてアカペラでかっこうよく
歌えたらモテモテだろーなー。ウジウジウジウジ

今度生まれ変わったら口笛でメロディが吹ける人になりますよーに。ウジ
[PR]

by shanshando | 2008-02-20 14:56 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 02月 19日

虫養い

先週ひいた風邪はつらかった。
おそらくノロ系のウィルスではなかったかと思うが、子供を経由して
うつったせいで毒性がとびっきり強くなっていたらしい。
人体を潜ることでウィルスの毒性が強まるという事に関しては、石井
部隊のした鬼畜のごとき所業でも有名だが、病人は人を恨むことは
あっても、なかなかウィルスというみえない存在を憎むということはし
づらい。
人を恨むといっても別にうつした子供を恨むというのでは勿論なく、
しんどい最中、こちらの気力が衰えていることをいいことにして、無理
難題を押し付けてくる大人連中を恨むのだが、それとて普段ならば
あまんじて左様ごもっともと承りつつ宥めていられることで、恨むの
憎むのと事を荒げる必要もないことなのだが、病は堪忍袋を狭くする。

落語に「疝気の虫」というのがあるように、昔の人は腹痛頭痛などの
不調を体内にいる虫のせいにしたし、また同じ虫であるかどうかはわか
らないが、感情が激した時にも「腹の虫がおさまらない」などと言った。

夕刻小腹が減って、もう何程もたたないうちに夕食なのにどうしても我慢
が出来ない。「ちょっと煎餅を一枚」などという風に間食することを関西で
は「虫養い」という。お行儀が悪いことだから、人がするのではない。腹中
の虫がすることなのだ、という言い訳なのだろう。

このように不都合なことを押し付けても文句ひとつ言えない虫だから、たま
に堪えかねて大暴れして、宿主である人間を大いに苦しめるのかもしれない。
客商売をしていると随分腹に据えかねることもあるが、そんなときは尻を撒
くって啖呵のひとつもきればさぞや虫も私も溜飲がさがるだろうが、中々に
そうはいかない。結果、虫に負担を押し付けることになる。まぁ「虫養い」の
おやつくらいは当然の報酬だろう。
[PR]

by shanshando | 2008-02-19 13:50 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 02月 17日

売れない ならない

市場での取り引きが成立することを「なる」と言ったりする。
市場で「なる」本は、すなわちある業者にとっては「売れる」本というわけで、
広く一般には「売れない」本とされていても、ある特定の業者にとって「売れ
る」本であれば、それは市場で「なる」本ということになる。
世の中の誰もが価値を認めないものに特別な付加価値をつけることに成功
して、それが営業として持続させ得れば金鉱を掘り当てたようなものだが、
当然ながらそんな美味い話はまず滅多にないから、結局「売れない」本は
「ならない」本といって間違いない。

「今何が売れますか?」と同業者同士で情報交換をしている場面をよく市場で
見かけるが、「今何が売れませんか?」という情報交換がなされている場面は
見たことがない。それは当然のことで、何が売れないかにかけちゃみんな人に
聞くまでもないからだ。

「全集が売れない。」というのはもうここ数十年言われ続けて常識と化していて、
だからみんなこれを扱うのを嫌う。
市では「ならない」し、店で棚の装飾品にしておくにはかさばり過ぎる。
全集の買取で一番困るのが、全集ばかりをまとめて売ろうとされるお客様。
全集というものは購入する時の値段が大抵高い。新刊では勿論だし、古書でお
求めの場合もある程度まとまった額をお支払いになる。
古本屋も売れない物なら安売りすればいいじゃないかと思われるかもしれないが、
格別に安いからと言って読む予定もない全集で限られた書棚を埋めたがる愛書家
は少ないから、安売りすれば量がはけるというものではない。いっそ世の中の誰もが
全集なんぞ買わなくなれば、古本屋は心置きなく買い取りをお断り出来るし、出版社
もわざわざ売れない物を生産して地球温暖化に拍車をかけようなどという悪心はお
こさない。悪いことには少数ながらも全集を買って研究したいという方が居り、また
文化史的な意義に於いてそうするだけの必要のある著者が居るから、売れないことを
覚悟で全集を編む出版社があり、扱う本屋がいる。
出版社や新刊書店は売れなければ返本して残部は断裁に回すのみで、その分の経
費はすでに価格に織り込み済みだから被害は少ないが、古本屋はそうはいかない。
古本で全集を求める人が有る限り、買取はせねばならないし、前述したように安売り
で量販もできないから、ネットや紙の目録で見る全集の値段は高いし、店売りでも高い。
棚さらしにしておくその分の場所代を添加せざるを得ないのだ。
しかし買い取り価格はそれに比して大抵安い。理由は繰り返しになるので書かないが、
結局お客には恨まれることになる。全集以外に稀少な本でも混じっていれば、全集で
するぶんの損をそちらで補うことも出来るが、全集のみの買取は恨まれて、損をして
それで終わりということが多々ある。断れば良さそうな物だが、地域で出た古本を商って
糊口を凌ぐ身が、これは取るけどこれはダメなどということは余程、完全にダメな物でも
なければ言えない。「あそこは何でもダメって言われる」などという評判がたっては破滅
である。

煤だらけになって掃除して、チェックして、査定して、利益の出るぎりぎりの金額を提示
して、守銭奴のように言われると、もう二度と全集なんか買うもんかと思う。
買っちゃうんだけどね。
[PR]

by shanshando | 2008-02-17 15:25 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 02月 16日

ハバロフスク晴れ

「空がねぇ、ちょうどあんな色なんだ。」
そう言ってAさんはコバルト色に晴れわたった空を指差した。
「空が高くってねぇ、それで気温は零下2~30度なんだから。」
場所は三鷹のスーパー丸正の裏あたりのAさん宅のお庭、
庭の一部が耕されていて、春に咲く花の準備だろうか、
気取りも衒いもない、ただ隅々まで入念に丹精されたかんじの庭
で、その一隅にある物置に仕舞われた蔵書の整理をしていると
古びたダンボールからソヴィエト時代のハバロフスクの絵葉書が
出てきて、それで話題が手元の書物の山から極東の町に飛んで
しまったのだ。

「とにかくねぇ、ソヴィエトが崩壊して何もかもつまらない街になって
しまった。オイルマネーで金持ちになっちゃったから、古いものは
全部壊しちまってね。どこもかしこもアメリカナイズだ。」
お年は見た感じ80代にもなられるだろうか?
毎週健康体操に通われていて、心身ともに壮健な感じのするご老人だ。
「シベリアへは?」
「仕事ですよ、しょっちゅう行っていたんだ。新潟から1時間半だからね。」
「お役所関係ですか?」(学者さんのようにも見受けられたので)
「いや、会社ですよ。」
年齢からして引退されてからの時間は短くないはずなのに、最近のロシア
情勢にも詳しそうだ。
街で見かけたらごく普通のご老人に見えるAさんとたまたまこうした会話が
できたのも私が古本屋だからで、味わえばまだまだ味わいどころのある商売
なのだ。

「そう本当に今日の空みたいな色なんだ。」
Aさんはくりかえしもう一度言われた。
[PR]

by shanshando | 2008-02-16 16:53 | ■原チャリ仕入れ旅■