<   2008年 06月 ( 11 )   > この月の画像一覧


2008年 06月 27日

僕の本

ここ数日、さる友人の蔵書の整理を手伝っている。
本の選り分け縛りなどは商売柄慣れたものだから、結構纏まった量が
あるとは言え、実作業自体は大したことはないのだが、もう4度も足を
運びながら、仕事が難航しているのは、本を処分しなければならない
友人本人の決断がなかなかつかないことにある。
同居しているパートーナーに言わせれば、その本の殆ど全部が処分すべき
もので、事実一緒に暮らし始めてから、彼がそれらの本を読んでいるのを
見たことがないというのだが、彼は一冊一冊を愛着深げに手に取り、ページを
繰り、考え抜いた末にやはり処分しないと判断する。
何時かこれを読んで、勉強する日がくるはずだ。あの本も、この本も手放す
わけにはいかない。そうやって、遅々として進まない選別作業のあげく、殆どの
本が「売らないほう」の山に戻される。

まぁ気持ちは判らない事はないし、友人だから何度も足を運ぶのも嫌だとは思
わないが、沢山の愛書家の似たような姿を見ている身に言わせて貰えば、彼の
判断はやはり若干間違っているといわざるを得ない。
一人の人間が管理できる本の量には、物質的な意味でも、情報整理という意味
でも限界がある。

それこそ博覧強記で知られる某作家にしてすら、蔵書量に一定の制限量を設
けて、その数に見合った書棚を置き、そこに収まりきれない本が出てきた時点で、
無理やりにでも不要分を選択し、処分をしていると聞く。
作家だから、読書も言わば仕事のうちだし、お金もスペースもある程度自由に
なるのだから、書棚を増やすことは難しくないはずだが、
「私の頭には3千冊が限界。」と仰って、それを越したら頭脳が混乱状態になると
でも言わんばかりである。
一時に3千冊の書物の情報を統合していられる頭脳というのはそれこそ大した
ものだが、その大した頭脳は逆に言えば書物の量に物理的な制限を設けている
ことで維持されているとも言える。

もうとうに物故したやはり博覧強記で知られた作家は、本は読了した瞬間に古本屋
に売ったとも聞く、すでに頭の中に取り込んだことだから改めて読み返す必要など
ないというわけだ。
これは勿論極端な話で、通常の人間にそんなことが出来るわけはないのだが、あま
りに度を越した蔵書量が人間の頭脳の働きの邪魔になるのも真実なように思える。

数ヶ月前にやはり蔵書整理で訪れたあるお客様は、あまりに増えすぎた蔵書を収納
するために幾つかの不動産を借りておられたが、いつか整理して数を減らすつもりの
一時避難のつもりが一向に片付ける気が起きないままに膨張してしまった事に耐え
切れず、思い立ってさる別荘地に広めの不動産を借り、散らばって収納されていた本を
そこに移す決意をされた。一箇所にあれば集中して整理できるだろうというのだが、これも
明らかに勘違いで、近隣にあった時ですら整理しなかった物が、移動時間を要する遠隔
地に移して整理出来るわけがない。そんなことは実はご本人も気づいているはずで、本心
は眼に届かない遠隔地に追いやることで問題の更なる先送りをされたわけだ。

そのお客様にも今回の友人にも共通しているのが、こだわって手元に残したがっている
本の殆どが手に入れようと思えば、いつでもまた手に入れられるような種類のもので、
いっそ全部処理をして、必要になった時改めて買いなおしたほうが保存や移動の
ための費用より遥かに安い筈なのだが、そういうことを周囲が言っても一切聞く耳は持
たない。大事なのは今目の前にあるこの固体に対する愛着なのであって、中に書いて
ある情報が別からでも得られたって、そんなことは知ったことではないのだ。
これはちょっと恋愛に似ているかもしれない。
付き合い始めは、感性的にしろ経済的にしろ至極合理的な動機でお互いを求め合って
いたのに、気がつくと理外の執着を相手に感じるようになり、場合によってはそれを愛情
だと言い張ったりするようになる。
いや、愛情と執着なんて所詮区分けできるものじゃないですけどね。

友人宅の今回の作業は引越しに伴うもので、従って当然タイムリミットがある。
なかなか執着を断てない友人に業を煮やした彼女がついに、
「もう全部持っていって貰って!」と叫びだし、本とダンボールで足の踏み場もない部屋は
一転戦場の様相を呈しだした。
「この本は何?『プラテーロとわたし』なんて今もっと簡易な版で読めるのよ!」
「判ってるよ、でも僕はこっちの立派な本で持っていたいんだ。」
うーむ、『立派な本』という言葉はちょっと素敵だね。私はなんとなく執着の袋小路に迷い
込んだ友人の肩を持ちたくなってきた。
[PR]

by shanshando | 2008-06-27 17:11 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 06月 25日

新風舎

倒産した新風舎ですが、ここの絵本はよくBOOKOFFで見かけますね。
とくに直営店よりフランチャイズ店でよく見るようです。
新風舎の自費出版、共同出版希望者むけのセールストークには、
全国に800軒以上の協力書店を持っているという言葉があったらしいですが、
これは当然BOOKOFFのフランチャイズ店がカウントされているわけです。
出版費用を出させた段階で、新風舎としては既に採算を取っているわけだから、
一生懸命セールスするなんて無駄な事するわけがない。
かといって断裁にかけるのも費用がいるし、そんな饅頭普通の書店が捌いてくれる
わけないから、仲良しのBOOKOFF君が食いものにしているフランチャイズに押し付けて、
効率よく捌こうってわけですか、作家の皆さんはBOOKOFFからの買取
代金もらってるのかな?
わけねぇーか。
[PR]

by shanshando | 2008-06-25 21:23 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 06月 24日

巴水

興居島屋に今、「夕暮れ巴水」という本がある。
今とわざわざ断るのは、売り物だからいつまでもあってもらっちゃ困るし、
数年後にネット検索で同書を探していて、このブログにつきあたり、
電話をかけてきて、ここに書いてある本を送れなどと言われてもやはり困るので、
わざわざ今はあると断るのだけれど、実に良い本である。
私は不勉強で今日まで川瀬巴水の名を知らなかったが、同書に詩文を
寄せている林望氏の言うとおり、深夜にこの作品群を見ていると陶然とするだろう。

私同様、巴水を知らなかった人はネットの百科事典でも調べてもらうとして、
ここに紹介めいたことは書かないが、好んで薄暮を描いたらしいその画景には
必ずといっていいほど水が出てくる。川やお堀、海、あるいは雨。
水の存在は大気の匂いを想像させ、夕日や灯火とあいまって情緒を湿らせる。
凡庸なたとえで恐れ入るが、映画のワンシーンを観ているようだ。
否、時間や大気の匂いまで感じさせる静止画というのは、ある意味映画以上に
映画的か?

同書の印刷状態は充分に良好といって良いと思うけど、こうなるとやはり本物が
見てみたい。
[PR]

by shanshando | 2008-06-24 17:41 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 06月 22日

半睡

雨の日にバッハを聴きながら、店番していると本当に眠いです。
先日来、日本神話を読み返していて、神話そのものはエキサイティング
だったり、エキセントリックだったり、エキスパンダー(?)だったりするわけです
が、平行して読んでる研究書が結構眠気を誘って……。

目も頭も痛くなるから、夜はなるだけ本から眼を離して、ネットで
昔のテレビ番組の動画を拾ったりしています。
昨日は昔のNHK特集、「通信を傍受せよ。」
2.26当時、戒厳司令部が行った傍聴作戦の記録音盤いまつわるドキュメント
ですが、内容はまぁともかく、面白いなぁと思ったのは、当時と現在では電話をかける
時の日本語が随分変わっているということ、まぁ一番の理由は音声がクリアーに伝わ
るようになったことで、現在は対面会話と変わらない調子で話せるようになったのに
対して、当時はやはり意識的に明瞭な話し方をする必要があったらしいということ。
そういえば坂妻主演の映画「王将」のラストシーンでは、繋がりにくい電話にむかって
懸命に題目を唱えるシーンがあったけ。

日本語の変化という意味では、中に反乱軍に占拠された料亭幸楽の従業員の声も
紹介されていたのですが、この人の言葉は、昔の江戸言葉。
と言っても、「てやんでぇ、べらぼーめ!」と言うのではなく、律儀を絵に描いたような
お店者の喋りかたで、ああ、もうあんまりこういう話し方をする人は残っていないんだ
ろうな…と思いました。

また、北一輝が反乱軍の将校に電話している声も紹介されてましたが、魔王と呼ばれた
男にしては軽薄そうな軽い調子で、なんだかしきりにお金の心配ばかりしていました。
まぁね、何事も先立つ物はマルマルですから。
[PR]

by shanshando | 2008-06-22 13:32 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 06月 20日

片倉館

所用あって諏訪に行って来た。
用事はさっさと片付けて、後は温泉を楽しむつもりが、
東京の店で若干トラブル発生、そのケアーに電話で追われている
うちに滞在時間は残りわずか、致し方のないことだから誰に文句を
言うわけでもないけど、まったく自営業は……
いや、サラリーマンでもいっしょか、

唯一温泉らしい思いが出来たのは片倉館という、日帰り入浴の
温泉で、ここにはその昔、製糸工場の女工さんたちが就業後入った
という千人風呂がある。
建物は大正時代に作られた本格的な西洋建築で、一見の価値がある。
……というか外観をみれば入らずには居られない。
谷中にある朝倉彫塑館を五倍くらい壮大にした感じ
女工さんたちは、諏訪湖の向こうの工場で仕事を終えたあと船で運ば
れてきて、入浴したという。
一時に大勢が入浴出来るように、浴槽は底が深く作られていて、
身長176センチの私が立って入って肋骨の下くらいに水面が来た。
体格の小さかった昔の女性たちだと、ぎりぎり首が出る程度ということ
もあったのかもしれない。
立ったまま入るというのは刑務所も確か同じはずで、そう考えれば何やら
物悲しい感じもしなくはない。
浴槽の底には玉砂利が敷き詰められ、踏んで歩くと気持ちいい。
丈の高いフランス窓から注ぐ陽の光も柔らかく、浴槽の脇で寝そべるのは
気持ちよさそうだったが、何分東京に心配事を抱えての入浴だったので、
それは果たせなかった。
風呂から上がり、店に続けて連絡を取った後、湖岸を歩いて宿泊先まで、
うす曇の空を裂いて輝く夕日が湖面に反射し、神々しいばかりの美しさ。
琵琶湖岸の町で育った私だが、この小さな湖のほうが神秘性という意味では
勝っていると思った。
古来富裕な土地であった為か人心は温和で、文化的でもあり。時間があれば
数日の休暇を過ごすには持った来いの場所だと思った。が今は致し方ない。
今朝午前中に帰京、週末から暫く大変そうだ。
[PR]

by shanshando | 2008-06-20 15:33 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 06月 17日

桜桃忌が近づきました!

予報に拠れば、明後日はすこしぐずつきそうですが、
曇天あるいは雨天のお墓参りもまぁそれなりに……ですよね
太宰ですし、
今年は三鷹に太宰文学サロンというのもオープンしたようです。
私はまだ行っていませんが、
毎年律儀に来られる方もいるようで、そう言う方達には上々堂も
すっかりお馴染み!だといいのですが。
今年は中央通りに新しい飲食店も色々オープンしていて、去年とは
また少し違う三鷹です。
未だ一度も桜桃忌に行った事の無い人も今年はいかがでしょう?
生憎木曜日ですが、うまく都合があえば是非!
上々堂で開催中の「かやのしほ写真展」もよろしく!
[PR]

by shanshando | 2008-06-17 20:58 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 06月 14日

かやのしほ写真展

上々堂では、本日より写真家かやのしほさんの写真展が始まりました。
かやのさんは、非常に精力的に作品制作を行っている若手写真家で、
主に私は人物写真に独特の感性を持った人だなぁと、以前から思って
いましたが、今回の展覧会は39人の人々に「最後の晩に食べたい食事
は?」というクェスチョンを投げかけ、その回答と共にその人のポートレ
ートを展示しています。

この設問自体はいろんなメディアでかつて行われ続けたもので、一見
珍しくないと思われがちですが、かやのさんという写真家の魅力は
その相当多彩広範囲と思われる交際範囲にまさに投射されている
というべきか、簡単に言うと、
「どーゆー交際範囲やねん?どこでこんな人と友達になれるねん?」
という驚きで、写っている人の恐らく多くは特に有名人だったりはしないん
だろうと思えるのですが、なんだかどの顔にもどの姿にも一癖ありそうで
面白い。
設問への答えも、ありきたりなものから、おや?と思うものまでさまざまで
すが、ひとつ思ったことは、みんな結構ちゃんと真面目に答えている。
ありきたりの設問だけど、あらためて聞かれるとやっぱりいい加減には
答えにくいという感じがあふれていて、そこが面白い。
ポートレートと合わさると面白さ倍増!

というわけで、ご来店いただけば判りますが、今日からの上々堂は
写真集の中に溶け込んでしまったような空間になっています。
空気の中に気化した写真集が浮遊している感じ、
本の中に溶け込んだ本屋に本が並んでいる。飾りつけを手伝っていて
私自身ちょっと不思議な気持ちがしました、本屋という空間の未知の
可能性がここにあるかもしれない。
[PR]

by shanshando | 2008-06-14 13:12 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 06月 13日

わ印というのは知っている人は知っているから、知っている人には
説明は要らないわけだけど、知っていない人は知ってないわけだから
ちょっと説明しますと、所謂艶本、昔のポルノ、春画、エッチ本の類ですね。
主に江戸時代の浮世絵版画などで、あからさまな性描写をしている物を
いうわけですが、このわ印の市場での扱いが、自粛。というより排除されて
いることを今朝知りました。

興居島屋でも上々堂でも、そういう類の本を店頭ではあまり扱ってない
のですが、やはり美術系、版画などというイメージがあるからか、査定の依
頼はわりとよく受けます。
一番多いのが、バブルの時に造られて、馬鹿高い定価で売られた、豪華本
の類で、これらは元々買われた方の期待に反して、殆ど価値は望めないと
説明してきましたが、今朝市場で聞いた情報によると、本物のわ印まで、市場
での取り扱いを避けているというのです。
古書組合の市場というのは、いわばこの国の古書の価値を決定付ける、巨大
データベース的な性質を持っていますから、ここで、そういう物は扱わないと
決めれば、全国の古本屋さんたちがお客様からそれらの本や版画の買い入れ
を手控えることになります。
勿論、そのことが直ぐにそれらの本や版画の価値を皆無にするものではありま
せん。古本屋が扱わなくとも、美術商などが扱う可能性はありますし、好事家
は依然それに対する関心を失わないでしょうから、それらの人によって価値は
守られる可能性もあります。
しかし、やはりわ印の流通に今まで大きな力になってきたのは古本屋であることも
事実ですから、上に書いたような事情の結果、これらの本の多くが、死蔵乃至は
廃棄の憂き目に会う可能性は大になったわけです。

別に私はそれらのものに愛着があるわけではありませんから、個人的にはどうな
ろうと構わないのですが、何故急に市場を経営する市会がそういう判断をしたのか
には大いに興味があります。
当局のご指導という奴でしょうか?
しかしそれにしては、わ印よりずっと過激な性表現で、より未成年にも関心を持
たれがちなハズの、今出来のエロ本やエロビデオ、エロ漫画の取り扱いを自粛し
ているという話は聞いたことがありません。

どっちが美術的価値があるんだ?!という話はしません。エロビデオに美術的価値が
ないなんて断言できませんから、ただ、元々限られた好事家のコレクション対象品
だったわ印を排除する理由がよくわからないのです。
何故なんでしょうか?
[PR]

by shanshando | 2008-06-13 14:21 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 06月 10日

土佐

かつを美味しいですね。ほんとに。

かつをといえば土佐ですが
私にとってある時期土佐という土地が聖地のようであった時期があります。
ご多聞に漏れず、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」に嵌っていたこととか、
夏目雅子主演の「鬼龍院花子の生涯」とか、宮本常一とかが、まぁその
原因です。

大学一年の時にはじめて四国に渡り、興居島を訪れて、そのあと松山から
バスで高知に行ってみましたが、まだ若すぎて旅の楽しみ方もわからず、
なんだかボーっとした時間を過ごしてしまいました。
あっ、まぁボーッとするのもまぁ旅の楽しみといえばそうですが……
夜の桂浜からみた月がほんとに綺麗でした、
テラテラとうごめく海面に白い月光が鈍く映されて、流れている時間が
この世のものではないような気がしました。
浜辺はアベックばかりでそれがなんとも妬ましかったですが、
唄にある月の名所というのは嘘ではないです。

アベックが妬ましかったことも影響してか、京都に帰ってすぐに彼女を
作りました。高知出身の、
気の強い、まっすぐな気性の人でしたが、今はどうして居られるでしょうか。
その後三軒茶屋に住んだ私を訪ねてきて、風呂屋のおやじが東京弁で言っ
た言葉が頭にきたとかで、喧嘩したりして…。

先日来、ひょんなことから「歌姫」なるテレビドラマのDVDを観てしまって、
あんまり面白かったものだから結局全篇観てしまいましたが、
中で語られる土佐弁は東京訛りが随分まじっていたように思いますが、
でもなんだか古いことを思い出してしんみりしました。

気がつけば、土佐を訪れてからもう30年近くないます。
グッときちゃいましたですよぜよやんけ。
[PR]

by shanshando | 2008-06-10 15:52 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 06月 08日

パワハラ

わたしアノ、カタカナ言葉苦手なんですが、
先日、買取に行った先の小さなオフィスで、
ああ、これがつまりパワハラっていうやつなのかな。
と、思うことがありました。
私が査定している横で、仕事をしていた30歳くらいの男性
社員がおしゃべりをしていて、うっかり私が積み上げた査定済み
の本の山を崩してしまったんですね。
それを見たそこの社長さんが
「なぁにをしとんのかね?」と言いながら、丸めた新聞で社員の
頭をポン。
そんなにひどい感じじゃなかったんですけど、余程プライドの強い
方だったんでしょうその社員さん
「ヒッ、酷い社長!ぼっ僕女房にだってぶたれたことないのに!」
[PR]

by shanshando | 2008-06-08 07:58 | ■原チャリ仕入れ旅■