上々堂(shanshando)三鷹

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2008年 08月 30日

クーデター

昔、「11pm」という深夜番組があった。
そう言われてピンとくるのは恐らく現在の40代までだろうか?
今は夜の11時過ぎの番組なんてめまぐるしく入れ替わっていそうだが、
当時は、この「11pm」が代表的な長寿番組で、大人むけのお色気シーン
などもあったから、子どもはあまり見せて貰えなかったけど、何しろ随分
永くやっていたから、私もハイティーンの頃は見ていた。
たしか東京の局と大阪の局が日替わりで製作していて、その大阪側の日
の司会が作家の藤本義一だった。

なんで急にこんな話をし始めたかというと、話のきっかけはモバイルスイカ
なのだ。
えっ?全然つながりがわからん?まぁまぁ。
電子マネーというヤツは使い始めると便利なモノで、実際クセになる。
私も何種類か使っているが、そのきっかけは御多聞にもれずスイカで、初めは
カードを使っていたが、ただでさえいろんなカードで財布の嵩が大きくなって
鬱陶しいから、すぐにモバイルに切り替えた。
これなら場所を選ばずチャージ出来るし、なにしろポケットからの出し入れが
スムーズなのがいい。
お気に入りだったのだが、数ヶ月前から使用を致し方なくやめた。
JRが突然年会費をとると云いだしたのだ。
会費の額は千円。
決めた人間に言わせれば、僅か千円ばかりということだろうが、井原西鶴の
日本永代蔵じゃないが千円の金は地べたを一日中掘り返しても出て来ない。
私は元々そんなに電車を利用するほうじゃないし、第一便利さに慣れさせておいて
いきなり会費制にするという遣り口に腹が立つからきっぱりやめることにした。

この間の土曜日の事である。
私は夜いつものように上々堂に入っていたが、急に西荻で人と会う必要が出来、
交代要員を手配して、三鷹駅にむかった。モバイルの残高はないから切符を
買わなければならないが、見ると五六台並んでいる販売機の殆どが「準備中」
わずか二台に列が出来ている。急いでいるのになんなんだこれっ!
ちょっと頭に来ながら列のひとつに並んだ。最前列のおばちゃん早くやってよ!
イライラしながら前をよく見るとけっしてこのおばちゃんが悪いわけでもないようだ。
何だか機械のレスポンスが非常に鈍い。
案じていると、結局その台も準備中に…。
並んでいた人はみんな溜息をつきながら、一台だけ作動中の台に移動。
ところがその台もすぐに停止。みんなキョロキョロ見渡していると、
さっきまで準備中だった一台が今度は作動し出している。
結局エラい待たされて漸く切符を買って、電車に乗ってそこである夜の「11pm」を
思い出した。

確かまだ国鉄の時代に運賃を一挙に50%値上げしたことがあって、その時の
思い出話を藤本義一はしていたのだが、その値上げの時に丁度スペインだか
メキシコだかなにしろラテン系国に旅行していた彼に現地の友人がすぐに帰国した
ほうがいいと忠告したというのだ。
「なんで?」
忠告の意味がわからず問い返した彼に、その現地の友人は
「50%の値上げなんてされたら当然間もなく日本ではクーデターが起こるはずだから
混乱の中で、奥さんお子さんに危害が及ぶかもしれないだろう。」と言った。
勿論その値上げに寄ってクーデターは起こらなかったし、起こるわけが無いと思ってた
藤本義一も帰国を早めることはしなかった…というまぁそう言う話なのだが。
先程、販売機の前でウロチョロさせられていた人たちも実に大人しかった。
はっきり言って、こんなふざけた失礼な真似をされたら気の荒い国だったら間違いなく
自動販売機は破壊されていただろう。

日本人は温和な民族なのだ。それは世界中でそう思われているらしく、世界中で一番
好まれるツーリストのナンバーワンなんだそうだ。
とにかく、どんな理不尽にも耐えちゃうし、多少頭に来たって愚痴をいうのが関の山。
けっしてクーデターなんて起こしっこ無い。
それを知っているから、為政者も大企業もやりたい放題。
これから先だって、けっしてクーデターなど起きないだろう。
そういう血と血が共鳴しあって…というような回路が欠落しているのだ。
しかし、今更だけど格差が広がったり、大企業の横暴に右往左往されたりという事が
続けば、そのストレスは何かの形では爆発する。最近よく聞く無差別殺人とかはその
予兆かも?

理性の鉄輪がふっとんだ時に、見ず知らずの命を奪っちゃう国民と、ふざけた機械を
寄ってたかってぶっ壊しちゃう国民とあなたはどちらが好きですか?小泉純一郎さん。
あれっ?今の総理大臣って小泉さんじゃなかったけ?あれっ?誰だっけ?
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by shanshando | 2008-08-30 19:06 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 08月 26日

百冊の「はつ恋」

早すぎる秋の長雨にため息をつきながら、上々堂で午前の仕事をしていたら、
携帯の留守録に気が付いた。
近所の学校の図書係の方から着信があったらしいが、短時間銀行に出ている
うちに取り逃がしたらしい。
学校図書館から古本屋への電話となれば、もう100%除籍図書の処理の相談
と思って間違いなく、まぁ残念ながら儲け話には程遠いと思うべきだが、何しろ
図書館という空間が好きだし、誰にでも開放している公立図書館と違い、学校
図書館は入る機会が殆どない。
尻尾を振って出掛けることにした。

なんども書いていることだけど、古本屋志望者には更に望むらくは図書館司書
にと思ってる人が少なくなく、私などもうとっくに手遅れだが、時代遅れの店売り
商売で無駄な苦労をしているより、田舎でもいいから図書館司書になりたいもん
だと思っているぐらいだから、現実の司書さんは憧れの存在だ。

最近の学校はセキュリティーがしっかりしているから、私のような挙動不審者が
のこのこ入って行ったのでは通報されかねない。
校門まで担当の方に出てきてもらって図書室へ。
明るくって、綺麗な図書室だ。私の出身校とは大違い。東京の私立はお金持ち
ですな~。
面陳になった雑誌の中から二種類。こちらのバックナンバーなら印があっても
なんとか引き取れます。あとはやはりちょっと……
後は地下の閉架庫へ、ふむふむこちらにもいくらか取れそうなものは御座います。
まぁ、どの途印付き函なしでは百均ですが、それでもお捨てになってはいけません。
観れば殆ど読まれた形跡もありませんが、わざわざ書物として生まれてきた物を
函を捨て去り、判子をおして、挙句に読みもしないで捨てたのでは、これは文化への
冒涜に他なりません。

大体昔の日本人は、喩えヤレでもチラシでも文字の書かれている紙は捨てなかった。
罰があたると信じてた。いや日本だけじゃなくて朝鮮でも中国でも漢字文化圏では
文字そのものに対する信仰からけっしてそういうことはしなかった。
今のようにどーでもいい本を断裁分まで見込んで作ったりしなかったこともあるけど、
ここにある本の五割は状態はともかく内容はどーでもいいものではありません…。
イヤまぁ釈迦に説法ですが。

ふと見ると山に積まれた本の端にツルゲーネフの「はつ恋」が、そればっかり百冊
近くも積まれてる。はぁはぁ、嘗てテキストとして授業で使った。なるほどなるほど、
「はつ恋」なら長さも適当だし、ネタ的にも青少年にも関心を持ちやすいでしょう。
しかしここに積まれていると言うことはこれも廃棄ですか?
ああ、いや要りません要りません。「はつ恋」ばっかり百冊も頂いてもあたしが生き
てるうちに捌けるかどうかも怪しい。
そーか、しかしなんか悲しいですねぇ、こんなに沢山あるとかえって悲しくなる。
誰か要りません?
「はつ恋」百冊?
どこかで読書会のテキストにするとか?百冊というのはあくまで私の目算で、本当は
もっと少ないかもしれませんが、とにかく一括して引き受けてくれる方がいれば本当に
いいのですが。
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by shanshando | 2008-08-26 15:27 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 08月 22日

上々堂への道



三鷹駅南口から中央通りをまっすぐ徒歩15分ほど。
消防署を左に見ながら過ぎたらもうすこし。
NTTの向かい、駅を背にして右手です。
すこしかかりますが、途中にはステキな雑貨屋や美味しいコーヒー豆屋、
ランチやお茶もできるパン屋、
有名なたいやき屋・たかねさんなど
ブラブラ歩きにはもってこいの道です。

トイレご利用もお気軽に、お声がけくださいね。

年中無休(お盆、年末年始除く)
基本朝10時から夜7時まで
(午前中の営業は、出張買取の為遅れる事があります。早めにおいでの時は
0422-46-2393にお問い合わせください。


店ではお持ちいただいた書籍の買取を承ります。
多量の場合は出張もいたしますので、ご相談下さい。

〒181-0013 三鷹市下連雀4-17-5 
tel:0422-46-2393
e-mail:shanshando@palette.plala.or.jp
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by shanshando | 2008-08-22 22:13 | ☆店への行き方・お問合せ
2008年 08月 22日

突然秋めきました。

昨日は休みだったので、夕刻ぐらいから家の吐き出し窓の近くに
ソファを移動し、雨上がりの土がたてる匂いとレバーのパテを肴に
ワインを飲んでいると、お隣のおばあちゃんがお土産に例の「夜の
お菓子」を持ってきてくれて、今はそれをつまみながらこれを打ってます。

そうして昨日の昼間は以前から噂を聞いていた、ソクーロフの「太陽」
をヴィデオでみまして、久しぶりに良い映画を観た感激が夕刻のその
時間にも続いていたのでありました。

人は誰も自分の内外に物語を抱えているもので、それはある時その人の
精神の均衡をたもつのに役立ったり、逆に均衡を壊したり。
その昔、封建制度というものがあった時には、多くの人は外側からの圧
倒的な力で、物語の大部分を決定付けられたりしたらしくて、ある程度の
自由を保障されている現在の日本に棲む私たちは、幸か不幸かそういう
めにあう確立は少ないけど、それでも自由が重荷になる人も当然いるわけで、
そういう人は、多少暴力的にでも、外側から物語を押し付けてほしい。

「おめえは長男なのだから、この田畑を守って生きなければいかねえだ。」とか
「あーたは名門権河原家の当主なんざますから…」なんて実際に言われると、
「やんだ、オラ東京サ出て歌手サなるだ。」なんていうことも云ってみたくなるら
しいけど、実はそんなこといってもらえる人は限られていて、親の方だって
する心配はせいぜい相続税の心配くらいで、「先祖伝来の…」とか「名門の…」
なんて実際別にねー。
大体先祖つたって、爺さんが戦後のドサクサで手に入れちゃった土地で、ずっと
アパート経営してきたくらいで、その前のことはちっともわかんね。くらいだと
別に家だとか血脈だとか関係ないよね。

だから私ら庶民な人たちは、神話をもっていない。
神話というのは、それを共有することで成り立つ群れのアイデンティティーですよね。
例えば、山口組という日本一の暴力団の人たちはちゃんと三代目組長田岡一雄という
人を祖神とした神話をちゃんと作っている。そのストーリーの中にはヒーローだけで
はなく、悪役あり、トリックスターありで、文献を追っていくとそれこそ古事記とか
日本書紀にも負けないくらいの立派な神話が出来上がる。
構成員の人たち、特に入門したての若い組員なんかはそれこそ会社員なんか目
じゃないくらいの苦労をさせられるらしいけど、元々一般社会じゃ我慢が出来なかった
人たちが何故そこでは辛抱しちゃうのかというと、それは先輩たちの豪勢な暮らしぶり
に対する憧れもあるだろうけど。それより以上に山口組という壮大な歴史、神話の一部
に自分も成り得るという、そのことが彼らの内面を支える部分が大きいと思う。

同じような話はやくざだけではなくて、例えば共産党員の中にもあって、私が大学生
をやってた時分の友人には民青で盆踊りやってるだけで飽き足りなくなって、正式の
党員になっちゃった奴がいて、そいつが言ってた。
「これで俺は死んだら共産党の歴史に名前が刻まれて、党の墓地に納骨されるんだ。」
って。
死後に対する保証、これも立派に神話ですよね。

さて、映画「太陽」の主人公は外側に確固たる物語があらかじめ用意されていて、その
中央に位置し、主人公たるべく育てられてきた。帝王学というのは内側にその主人公が
別な物語を作ることを嫌う。
普通だと、例えば大会社の社長だって、会社にあって絶対的な存在としてゆるぎない
人格を持っていても、プライベートでは若いお姉ちゃんのパンツを被ってお馬さんごっこ
するのが大好きだったり、夜中になると奥さんとオムツプレイしてたり。そこまでじゃなくても
例えば熱狂的な切手収集家だったり、演歌歌手のファンだったりという。外に築かれた物語
と別の私的な物語の主人公であることが許される。そういうことがあるから、人間としての
バランスが保たれる。
勿論、「太陽」の主人公昭和天皇にしたって、学問など限定的な分野においてそれは
認められた。しかしそれはあくまでも、外の物語の主人公としての仮面を被ったままでしか
許されなかった。
彼の先代は病質のゆえに限定的にしかそれを強制されなかったし、彼の息子もまた体験
としては時代の恩恵もあって随分緩やかなようだ。
しかし、彼は父の病質のせいもあって、即位する以前から徹底した帝王学を強制された。
つまり、恐らくはこの国に於けるここ200年くらいの歴史の中で、もっとも「私」を奪われた
個人だったと言ってもいいのではないか?

映画の終盤、人間宣言をして神の座から解き放たれた主人公は、とても控えめな表現で
その喜びを表現する。

これは勿論、一映画作品であって、史実や昭和天皇個人の真実とどこまでも一致している
とは考えないが、イデオロギー抜きで嘗て歴史上実在した人物の個人としての実像に迫ろ
うとしたことで、男系がどうの女系がどうのという議論の以前に天皇制というものの存続の
意味をもう一度考え直すべきだと改めて思わせるし、またそれについては我々国民にとって
どうであるかの以前に、このとてつもなくいびつな境涯を強制される人たち自身が本当は
どう考えているのかを聞いてみるべきだとも思う。
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by shanshando | 2008-08-22 14:54 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 08月 15日

ナイアガラで恋をして

にっぱちは昔から人死にのでる月だ。
いや、実際「死ぬ死ぬ」言いながら死なないのが人間で、
きつくたって、死ぬなんていうことはなかなかないもんだけど、
友人、家人も全部避暑に出かけちゃって、めっきり人の少なくなった
東京に残って、仕事をしていると、「死んじゃうかもしれんな俺」とか
思っちゃう。
食うものは最低限食ってるし、睡眠だっていつもよかとれてるぐらいだけど
やっぱり死んじゃいそうな気分は拭えない。
やっぱり、素直に仕事休んで避暑に行くのが正解なのかねえ。

今朝は珍しく出張買取が入ってなかったから、店の整理をちょっとしてたら、
ずっと探してた大好きなCDがでてきた。
標題に書いた大滝詠一の曲をいろんなアーティストが演奏しているもの、
かけているとさまざま人が「なんのCDですか?」と聞いてくる。
取材に来た某誌のライターさんは、伝説の超巨大アンテナを捜し求めて、
大滝詠一の家を探しに行った思い出ばなしを語ってくれた。

戸外の気温が35度を越した時点で、いくらクーラーを効かしても思考能力は
停止。
今日はすべての考え事を停止、頭だけでもどこか遠いところに出かけられ
ないだろうか?
とは言っても、歌の中の人々のように劇的な色恋沙汰なんていうのも、事実と
なれば疲れそうだし、やだねー、爺ィは。
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by shanshando | 2008-08-15 15:06 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 08月 13日

高田渡「個人的理由」

暑さで参ったわけもちょっとあって、少し悪戯を
標題の詩集、ご存知の方はご存知ですよね。
残念ながら、自費出版のほうではありません。
ブロンズ社から出てるほうの版の勿論初版。
帯もカヴァーも綺麗ですからまぁ美本と言って良いでしょう。
こちらを売りに出そうかなぁと思ってるんですが、
幾らにしましょ?
あくまでもお遊びですから、
「ああ、それ欲しかったんだよね。」という人いたら
上々堂あてにメールください。
オークションという意味ではなく、あくまでも欲しいという
熱意を文章とかで表現してもらって、値段はまぁそれから
ご相談ということで、

毎日、仕入れても仕入れても只目の前を行き過ぎてゆくだけの
本を見てると、どんな人がどんな思いでその本を欲しがっているのか
一度こういうコミニュケーションしてみたかったわけですね。

別に素人、業者は問いません。ただコメント欄への書込みや電話や
来店に寄る交渉はこの際受け付けません。
上々堂アドレスはアクセスに出ています。
期日は来週火曜日8月20日までということでお待ちしています。
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by shanshando | 2008-08-13 19:48 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 08月 12日

暑いさなかをちびちびと

仕入れは大抵午前中にする。
市場では買わない方針なので、基本的に宅買い、店買い。
店買いは当然開店後だから、午後ということになるが、
宅買い、つまり出張買取は午前中。
いい本が山ほどあって、嬉しい悲鳴!
と言うこともないではないが、大方はまぁまぁ普通か、中には
あきらかに残念賞というのもある。

今朝は早起きして、清瀬まで出かけて本は沢山あるにはあったけど
ほとんどが色の変わった昔の岩波新書。やれやれ
手ぶらで帰る道すがら、寄ったよその古本屋で村上春樹訳のギャツビーと
ちくま文庫の荒涼館の①と渋沢を安くで譲ってもらい気休めとする。
やれやれ
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by shanshando | 2008-08-12 12:54 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 08月 10日

腐臭

若山牧水が死んだのは9月17日で、だからこれは全然掃苔帖とは関係ない。
昨日、関川夏央 谷口ジローの坊ちゃんの時代シリーズ第三部「かの蒼空に」
をなんとはなしに読んでいて、同時代の歌人でも私はやっぱり啄木より牧水
だなぁと思い。それは何故かと言う事を考えていて、まぁさまざま思い当たっ
たのだけど、それはどうでもよくて。牧水といえばやはり酒である。
「しら玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」の一首は
あまりに有名で、詩中の時制は勿論秋だけど、讀む側の勝手で夏に讀めば
やがて来る涼風と寂寞を懐かしむ歌として楽しめなくもない。
暑中に死んだ牧水の死体からは数日を経ても腐臭がたたず、これは生きたまま
アルコール漬けになっていたのではないかと医師を驚かせたという。
まあさすがにそれはあるまいが、不思議に透明な印象の強い牧水の歌を読ん
でいると、あながちそれもまるでないことではないように想えるから不思議だ。

こう暑いと水資源やエネルギーの無駄使いと知りながら、一日に何度もシャワー
を浴びてしまう。多少汗臭いくらい良いではないかと想うし、事実風呂無しの部屋
に住んでいた若い頃にはそれでも別に全然平気だったのに、無機質化を指向する
世の中の風潮が伝染して清潔病になってしまったのか、それとも己の体臭から
死臭を想像して恐れるようになってしまったのか?
いずれにしても生きていると言う事は、重苦しく暑苦しく臭く見苦しい事だ。
それでも死にたいとは一向に思わない。

そういえば先日youtubeで見た2 26事件の盗聴音源を扱ったNHK特集のなかで
料亭幸楽に立て篭った反乱軍の下士官を説得するのに鎮圧軍の上官が
「おまえは今や逆賊となった嘗ての上官に逆らって命を落とすのが恐いのか?
命が惜しいのか?」と問い糺している音源があって、それに下士官はちょっと躊躇して
から「惜しくありません!」と答えていたのに、驚いた。
だって惜しくないわけ無いだろう?本当に戦前の軍国教育というのはいやらしい。
オウムなどのカルト集団の洗脳と同じだというか、恐らくその原典になっているのだろう。

世の中に清潔病が蔓延し、さまざまな有機物から発する腐臭は消され、町では生き
物の屍骸を見ることが少なくなり、「死」は形骸化されたイマジネーションになり、
若者は戦前とは別の意味で「死」を恐れなくなった。
いや、恐れなくなったんじゃなくて、リアリティーが持てなくなったのだろう。
そうした死や生へのリアリティーを失った若者を洗脳するために今年も靖国周辺から
洗脳の呪文が発信され始める。

生きている事は重苦しく暑苦しく臭く見苦しい、でも死ぬ事はもっと汚くて臭くて見苦しい
どっちも変に美化しないで欲しい。
神道の価値観で言えば死は汚れでしか無い筈だろう?そこにどんな事情経緯があろうと
死んだら汚れるのだ。
汚れた者を社に祀ったりしたら災いが起こっちゃうんじゃないの?
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by shanshando | 2008-08-10 13:54 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 08月 08日

生きてますか?

私はまだ今のところ生きてるようです。
今日は三島由紀夫の墓がある事で有名な多摩霊園を突っ切って
向こう側にあるお家に買い取りにいきましたが。
途中でもう死にそうで、ここで死んだら手間いらずだなというのは
嘘で、あそこはきっともう何処にも空きがないから、きっと私の骨は
田舎の墓所に持っていかれるんだろうけれど、骨になって新幹線に
乗るのってどんな気持ちだろう?
新幹線の一番後部に散骨用の穴を作って、走るお葬式なんてやったら
きっと流行るんじゃないかしら?JRさん考えてみはったら?

 人魂で 行く気散じや 夏野原            北斎
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by shanshando | 2008-08-08 20:17 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 08月 01日

まぁいいじゃん

はっきり言って、日本人の八割以上はサングラスが似合わないと思う。
特に若い女の子が70年代頃流行ったような大降りのものをかけていると
吹きだしたくなるほどおかしい。
あれは明らかに顔のパーツが大振りな種族用に作られたもので、日本人
のみならず大方の東アジア人種の女性がかけると、なんだか子供が仮装
パーティーに出かけるようだ。

基本的にファッションは自分が満足していればそれでいいわけで、客観的
に観ておかしかろうが、笑えようが、本人が良いと思っていればそれでいい
わけだから、消費者サイドとしてはそれで事足りているわけだけど、作るほ
うの、メイカーとかデザイナーとしてはどうなんだろう?
最近は紫外線の影響が怖いから、似合おうと似合うまいと日中はサングラス
をかけるべきなんだろうけれど、全然似合っていないちびっこギャングみたいな
男女が町に溢れているという件に関して、それらの人は職業的な美意識は
どーなんだ?!

まぁ私としてはどーでも良いんだけど、毎年この時期感じることなのでちょと
書いてみました。
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by shanshando | 2008-08-01 13:25 | ■原チャリ仕入れ旅■