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2008年 12月 30日

今年もお世話になりました。

なんだかここ数年は押し詰まってからの買取依頼が多く、
嬉しいやら、忙しいやらで、通りを見渡したところお坊さんは
走ってないようですが、古本屋は走り廻っている師走晦日であります。

興居島屋に先日入ってきた情報によると、同業者組合の市場は出品が
多いそうで、これで買う人も多いと大盛況と言うことになるわけですが、
どのようなもんでしょうか?

とにかく私はひたすらお客様からの買取に精を出して、年内も年明けも
がんばる所存であります。

本日入荷で、恐らく年明け暫くして店頭に出す予定の本の中に
「日本佛教全集」「定本高浜虚子全集」があります。
あんまり上々堂むきの商品とは言えませんが、状態も少し落ちるので
安めにお出しして、年末私に見えないところで走り回って疲れてしまった
お坊さんのご研究や、余暇に役立てて頂きたいと思っておりやす。

そうですね相場の6掛けくらいでどうでっか?
その他すでに店頭に出ている「新美南吉全集」なども大変にお買い得ですぜ。

いやぁ、最近ピカレスクものの時代小説を読みすぎたせいか、言葉遣いが
ちょっと変。

そいじゃあ、どちらさんも良いお年を!

追伸
上々堂も興居島屋も年内は今日まで、年明けは上々堂は3日から、興居島屋は
4日からの営業です。
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by shanshando | 2008-12-30 16:20 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 12月 26日

ビートたけしとイッセイ尾形

以前多少ともにシンパシーを感じたことがある芸人に失望するのは、
ままあることで、いちいち気に停めてもいられないというか、所詮
TVなんてメディアはやはり芸人を堕落させるだけなのかとも思う。

ビートたけしは、とっくにただのメディアの駒になりさがったタモリや
さんまに比べて、話術に見る機知という点では抜きん出た存在だと
思っていたけど、TVタックルをやりはじめたあたり、いや映画監督
ごっこをやり始めた頃からうさんくさくなった。

まぁいやなら見なければそれで済むことだから、この頃はもし暇が
あっても彼が関係しているものは一切見ないようにしているが、一昨日
うかつにもTBSでやっていた太平洋戦史にまつわる番組を見てしまった。

まぁ番組が語る歴史観の問題はこの際置いておくにして、一番気に障
ったのはビートたけしのあまりに酷い演技だ。
どのように愚将で愚相であったにしても陸軍幼年学校から陸軍士官学
校を経て将校になった東條を演じるのに、まるでやくざの企業舎弟をやっ
ている不動産屋の親父のような演技だった。
姿勢が悪い、しゃべり方が下品、………べつに東條をもっと格好よく
演じるべきだというのではない。
いやむしろ東條なんて人間の中身は実際やくざの企業舎弟程度の下劣
愚昧であったかもしれないだろうと思うが、もし彼がその内面通りに外面
も行動していたら、誰も彼に信をおかず、従ってあのような愚かしい戦争
に国家が誤動される悲劇も起きなかっただろう。

ようするに彼(ビートたけし)は忙しさの故か、どのような役を演じるにあたっ
ても、対象を考察したり、自分の資質との接点を探ったりというようなことを
しないのだろう。
やはり彼が出演した中西礼のドラマでは、足の悪い兄を演じるのに持っている
片方だけの松葉杖の持ち手が逆だった。
使ったことある人なら誰でも判る事だが、あれは悪いほうの足の逆の手で
持つのだ。そんなことは周知の事実なのだからきっと製作中のスタッフにも
気がついた人がいたはずだと思うのだけど、えばりくさっている芸人の不興を
買うことを恐れて誰も注意しなかたのだろう。

一昨日のドラマでは野村萬斎が昭和天皇を演じていたが、あれもなんだかと
言う感じだった。妙に昭和天皇が雄々しすぎるのだ。
勿論私だって本物の昭和天皇、しかも敗戦以前の昭和天皇にあったことは
ないから、実際はああいうまるで戦国武将のような雄雄しさも持ち合わせていた
のかもしれないが、さまざまな昭和史資料で読んだり、戦後の映像を見たりする
かぎり、彼は帝王学を完全に叩き込まれた故に温和さと慎重さを持ちながら、
未曾有の国難を前にして怯えと深慮の為却って何事も自ら明言することを避けた
がる人間だったように感じられる。

ようするに、演出者が悪いということも言えるが、そこで思い出すのがソクーロフ
監督、イッセイ尾形主演の「太陽」だ。
勿論あの昭和天皇だってどこまで事実に近いかは判らないが、少なくとも私の
中では昭和天皇を思い浮かべようとする時、イッセイ尾形の演じたあの天皇を
払拭しては思い浮かべられなくなっている。
やはり、優れた役者と優れた俳優が真摯な態度で作れば映画やドラマはし史実よ
りも尚本当らしくなりえるのだ。
勿論それはある場合とても危険なことかもしれないが、下手な役者が下手な演出者
とともに大企業や為政者好みのプロパガンダだけを垂れ流す目的で作ったものよりは
全然ましに違いない。
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by shanshando | 2008-12-26 14:26 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 12月 21日

火事と古本

どうでも良いことだが、私の父は消防士だった。
はじめは市役所の勤めであったが、わけあって、中年以降に左遷されて
なった消防士だったから、いきなり管理職からのスタートで、実際に自分で
火を消したことはないのじゃないかと思うが、それでも司令長時代は現場に
出ていたから、無線受令機という装置が突然わめきだすと夜中であろうと、
食事中だろうと制服に着替え迎えの車が来るのを待たなければならず、
ある年などは家族だけのささやかなクリスマスパーティの途中に飛び出して
行ったことを覚えている。

昔の火消しや消防団じゃないから、消防士の世襲というのは聞いたことがな
いし、あんなせわしない仕事は頼まれても私はなりたくなかったが、古本屋
というのもこれで結構火事に縁のある商売で、買取に行った先で以前にあった
火災で父祖伝来の蔵書を失ったなどという話はしじゅう聞くし、また逆に
昔焼失してしまった蔵書を再び手に入れる為に店を訪れてくれるお客様も結構
いる。

ことが微妙な問題を含んでいるので、詳しくは言えないが、昼間下見に窺った
お宅でその夜火事があり、買い取ればそうとうの商売になりえた機会を逸した
こともある。
火事は古本屋の仇だろうか?

関東大震災や大空襲の焼け野が原では、文字の書いているものなら例え
焼け焦げていようが、湿気ていようが飛ぶように売れたと聞いたことがある。
人は危機に瀕し希望を失いそうになると、書物の喚起する想像力に救いを
求める………いや今はヴィデオとかゲームとかもっと安直に想像力の切り売り
をする媒体があるからこれは昔話かもしれない。

大震災や空襲の火災も凄かったには違いないだろうが、日本史上最大の
火災とされているのは明暦の大火で、一説によるとこれは世界の三大火災の
ひとつにも数えられるということだが、どうだろう?

この明暦の大火が上々堂のある当地三鷹にも縁があるのは、この火災で焼け
出された神田連雀町の町民たちが幕府の命によって移住させられたのが、
今に残る下連雀上連雀の地名の由来で、してみると古書街のある神田神保町と
当地三鷹は同じ地霊によって繋がれているというのは、いかにも酷いこじつけですね。

こじつけはともかく、昨夜ちょっと思い当たって、江戸時代の歴史を順を追って確認
していたところこの明暦の大火にまつわる様々な言説が案外面白く、ついつい読み
込んでいたのだが、今朝(といっても正午開店ですが)一番に飛び込んできたお客様
はなんとこの明暦の大火に関する資料をお求めの方で、あまりの不思議な偶然で
しばし話し込んでしまった。
やっぱり古本と火事、なにか関係があるのかしら?

年末は火事が多いです。どうか皆さんご用心。秋刀魚焼いても本焼くな。
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by shanshando | 2008-12-21 14:31 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 12月 19日

Malmö

買い入れてきた児童書を抜き出すと、ダンボールの箱の底に知らない
街の地図があった。
本の間に挟まっていたか、あるいはダンボールの内蓋の隙間にでも
隠れていたか、とにかく査定のうちには入っていないものだが、マーキング
もしてあるし、破れ目もあるから売り物にはならないからわざわざ返す
必要もなさそうだ。

街の名はMalmö、
おそらく何処かのフリマででも購入したらしく、ぞんざいな荷造りテープの
値札がついている「スウェーデン マルモ 50えん」
なるほどなぁ、Malmöがどんな街かは知らないけれど、いや知らないからこそ
50円といわれれば買ってしまうかも?
もちろん何処の町でも良いというわけじゃないけど、
たとえば「大宮 50えん」ならたぶん買わない。だって落書きがあるんだから。
でも、「長万部 50えん」なら北海道には小学生の時一回行っただけの私は買
ってしまうかもしれない。
「京都 50えん」は私なら買わないけど、京都に行ったことがなくて憧れている人
なら買うかもしれない。
要は行ったことがある無いがまず問題になりそうだけど、単に行った事がないだけじゃ
決め手にはならない。行った事が無いけど「稲毛 50円」を私は買わないし、
行った事があっても「パリ 50えん」なら買うかもしれない。
要は憧れの対象になりえるかどうか?

Malmöはスウェーデン南西部の都市で、海峡を挟んでデンマークのコペンハーゲン
と向かい合っている。コペンとは橋で結ばれているのだ。
あっ今恥ずかしいこと書いちゃった!
いったこともないくせにコペンなんて、いや飛行機の乗換えで空港に降りた事ぐらいは
あるけど、こういうのってなんだか一度だけ何処かの飲み屋で隣り合わせただけの
有名人を「○○ちゃん」呼ばわりするみたいでとても恥ずかしい。
でも今の場合前の行で「デンマークのコペンハーゲン」なんて言わずもがなの長口上を
しちゃったばかりだから、またコペンハーゲンなんて長ったらしい名前を書く気にならなくて
思わず「コペン」なんて………どーもコペンなさい。

とにかく、知らないでいれば一生知らなかったかもしれないMalmöに興味を感じて
ネットであれこれ調べてみた。
Malmöは日本語読みでは普通マルメと発音されるらしい。
値札にマルモと書き込んだ人は恐らく自分ではMalmöに行ったことがないか、或いは
「アア、エート、スウェーデンではMalmöって言うんだけど、ニホン語ではなんと書き
まーすか?」というような人かのどちらかなのだろう。

Malmöにはターニング・トルソという不思議に捻れた形の高層ビルがあって、10階
まではオフィスとして使われているらしいけど、そこから上は住居だそうで、下の
オフィスで働いて上に住んでいる人はやっぱり捻れながら上り降りする毎日なのかしら?

Malmö、死ぬまでに行くことがあるだろか?
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by shanshando | 2008-12-19 17:02 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 12月 13日

癒しの本棚

「癒し」「癒し」と一頃ほど、世間が言わなくなってホッとしている。
ほんの一年位前までは町中もう「癒し」だらけで、食事をしても、
お茶を飲んでも、かく言う古本屋の同業までもが「癒し系」を名乗って、
ちょっと油断してると背中からイキナリ「癒し」が襲ってくるから、
うっかり道も歩けなかった。

いや、私だって人に優しくされるのは好きだから、見知らぬ他人様
であれ、優しくしてくれる人を恨むほど性格がひねくれてはいないが、
街中に溢れている「癒し」は大抵「有料」で、確かに身体や心は一時的
に癒されるかもしれないが、お勘定の段階になると再び地獄に逆落とし
になりかねないから安心はできない。

本来、「癒し」というのは自らの想像力で自然から紡ぎだすもので、金を
払ってそれを得ようとというのはなんだか欺瞞な感じがする。
ペットショップの前で「かわいい、かわいい」を連発している頭の足りない
人々は、あれらの動物が売れ残った時の末路について故意にか無意識に
かは知らねど想像さえせぬようだし、冷暖房に加湿器、シャワートイレと無駄
なエネルギーを消費しまくる密閉空間に立てこもる事を「癒し」と心得、TVの
モニターのなかに映し出される温暖化現象を憂える人のあつかましさにも
ため息が出るばかりだ。

考え出すと、自分の周りにだって欺瞞だらけで、だから口が腐ったて自分から
「癒し」なんて言葉は使いたくなくって、どうせ求めるなら「癒し」より「快楽」さと
嘯いてみるけど、それでもやっぱり心や身体が疲れると、心ならずも脳が勝手
に「癒し」を紡ぎだしてしまって、ハタと自覚してはお漏らしをしたような気まずさ
を覚えるのだが、………じつは今朝もちょっと「癒さ」れてしまった。

なんだか、無駄に長い前振りだなぁ。
今朝、そう冊数にして30冊弱の出張買取に伺ったお得意様の部屋でのこと、
売ってくださる30冊弱(20冊ちょっとと言ったほうがいいかもしれない)はどれも
良書で、当店の品筋にもぴったり合致するから、そのことも気を和ませた理由の
ひとつではあるけど、問題は未だ手元に取り置かれるつもりの本が納められた
扉つきの小さな本棚。
型からしてそのお客様が子供の頃から大事に使っている物と見える。高さ精々
1mあまり、幅が50cmくらいの木製の箱は私と同年輩らしいそのお客様が少女
時代からその時その時の大事な本を納めてきたのだろう。
聞いたわけではないが勝手にそんな想像をして、物静かでにこやかなその方が
過ごしてきた読書の時間がまるで小さな生き物のように思え、思わず知らず恥ず
かしながら「癒されて」しまったのでありました。
ああ恥ずかし。
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by shanshando | 2008-12-13 15:45 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 12月 07日

夢念夢想

所謂堅気のサラリーマンの人の仕事ぶりに関してはよく知らないけど、
若い頃から様々な仕事をしてきた私の尺度で言うと、古本屋というのは
身体はともかく、頭に関しては結構暇な商売だと思う。
いや本当はもっと頭を使わないと巧くやれないのかもしれないから、
正確に言うと、結構頭を暇にしていてもそれなりに成り立つ商売ということが
できるかもしれない。

頭という奴は、暇にしているといっても、まったく本当に何にも考えていない
ということはなくて、暇な時は暇な時なりになんだかどうでもいいことを考え
てしまっているもので、脈絡も体系もないその思考の累積が多くの同業たち
を変人にしている気がする。

おそらく一流の会社や、役所などでバリバリ仕事をしている人は、もう就業時
間中は脇目も振らずに仕事の事を考えているに違いないし、出職居職を問わず
職人さんも常にその職分ならではの思考をめぐらしているに違いないが、
物販に携わる人は仕入れや商品陳列が済んでしまえば、もう後は考えることも
あまり無い。

昔は隠居仕事の代表選手といえば煙草屋だったが、最近ではコンビニにお株を
奪われたらしく、街角の半間間口の店先でうつらうつらしているお年寄りの姿は
あまり見なくなった。
憮然としているにしろ、ニコニコ笑っているにしろ、お年寄りの顔というものは概
ね生々しさが少なく、煙草屋の婆ちゃん爺ちゃんたちは見事に風景に同化して
いたように思う。

私のような駄目古本屋も駄目は駄目なりに、そういった境地に達することが出来
れば、大儲けは適わなくても、せめて息の永い商売をしていけそうだが、内面に
暗い影をもっているせいか、或いは顔が二枚目過ぎるせいか、中々生臭さが
抜けなくて難儀する。……ああ美貌が憎い…


生臭かろうと、枯れていようと、暇な頭が様々な夢想を描くことに違いはなく、
生臭い人の頭には生臭い夢想が生まれ、枯れている人の頭には枯れている
夢想世界が広がるのであれば、話はわかり易いが、場合によっては外見と内面
は相反したりするので話はややこしくなる。

街角で瞬時のコミニュケーションをもつだけの煙草屋であれば、その人の
内心がどうであるかなど気にならないが、古本屋というのはその気で入れば
棚を見るのに結構時間を要する、その気があまりなくて、なんとなく入っても
つい時間を過ごしてしまいがちな場所である。そこがもし大きな店で自分以外
にも沢山の客が出入りしていれば別に問題は無いが、小さな店で、店内にいる
のが自分と店の人間一人だけだったりするような場合には、双方にある種の
緊張感が生まれる場合がある。

例えば雨の降る寒い冬の深夜、今まで気づかなかった路地に小さな古本屋が
あって、もう結構な時間だというのに明かりを灯している。
若干の躊躇を覚えながら足を踏み込むと、なかなかの品揃え。すぐにどうしても
欲しいというのでもないが、幾つか関心のある本もある、懐具合の関係もあって、
どれもこれもというわけにもいかないが…と迷いつつ目を泳がせていると、
また一冊欲しい本が見つかってしまった。
うーん困った。ここの店主は取り置きに応じてくれるだろうか?店奥の帳場を見
てみるとどうやら老眼鏡らしき眼鏡をかけていて、分別のありそうな感じにも見え
るが、髪のほとんどは未だ黒々としていて額に一房パラリとたらした下には眉間
に寄った皺が窺える。気難しそうだ…。そういえばさっきから時計を気にしている
ようでもある。…ああ、もう閉店時間を過ぎちゃったのかな?やばいなぁ。なんか
取り置きとか応じそうな感じじゃないし、そうかといって何にも買わずに出て行くと
いうののもなんだか……。
もうここに二度と来ないならいいけど、この本のラインナップは気になる。
「ウーム困った!」というような余計な心配をお客にさせてしまうような雰囲気を
私は持っていると思うのだ。
実はしかめっ面の下で考えていることは、
「やっぱりうまい棒はめんたい味より納豆味が美味いよな…」なんて事だったり
するのに。
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by shanshando | 2008-12-07 14:26 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 12月 05日

福笑い

ひきかけた風邪を無理やり抗生剤でおさえたせいか
身体の調子がみょうな具合で、とてもツリーの製作にかかれそうもない。
なんだか悔しいが、今カッターを使うと自分の指を切っちゃいそうで怖い
からやめとこうと思う。
やはり、宗旨違いに手を染めた故の仏罰だろうか?
残った黄ボールは体調が回復次第、正月向けに福笑いか双六の材料に
でもする。

福笑いなんてもう何十年やらないだろう?
古本屋をやっていると、カルタや双六は時折買い入れがあるが、福笑いは
まだ一度もない。
あれはやっぱり、パーツを失くしたりするので、残りにくいのだろう。
目隠しをしてオカメの目鼻口眉をならべていくだけの単純な遊びだけど、
根っから書斎派だった子供の頃の私には凧や独楽などより好きな遊びだった。
飽きずに何度もやりたがって、年長の従兄弟や姉を鼻白ませた記憶があるが、
目隠しをして物事をやるという遊びには(他に夏場の西瓜割りなどあるが)性的
な興奮を覚えていたような気がする。

カルタにしても双六にしても基本的に人と競い合うゲームだが、福笑いは
明確な優劣の基準が無いところがドンくさい子供だった私には向いていたの
かもしれない。興奮の正体はつまりマゾッ気だろうか?

うーん頭がはっきりしないせいか、奇妙な論理の飛躍をしてしまう。
儲かりもしない古本屋に身を削っているのもマゾッ気のお陰?
ふたつの店は私の女王様?!!
いかん、言動が怪しくなってきた。
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by shanshando | 2008-12-05 15:51 | ■原チャリ仕入れ旅■
2008年 12月 03日

ツリー

耶蘇の祭りなんぞ、今更可笑しくって…とかなんとか言いながら、
結局毎年なにかしらクリスマスらしきことをやってしまっていて、
我ながらつくづく小市民だなぁ…と思うのだが、
やると言っても、いつもは罪も無い鶏を他人様が絞め殺して、
丸焼きにしたものを買ってきて、悪鬼羅刹のように歯茎まで剥き出し
ながら骨までしゃぶりつくした後で「メリィクリスマス!ええクリスマスやなぁ」
などとほざいてみせるのが関の山なのに、今年はなんとツリーを
作ってしまった。

七五三が昔の呉服屋の悪形によってでっち上げられたように、
はたまたバレンタインデーが菓子屋の陰謀であるように、
クリスマスだって元の形はどうあれ今のような乱痴気騒ぎは、たぶんコカコーラ
あたりの計略に違いないのだから、そんなものに易々と乗せられるのは
ケチで通った先祖の贅六に対して申し訳がたたないが、この前の休みに
ふとした出来心から吉祥寺のユザワヤのクリスマス用品売り場を覗いてしまった
のが運の尽き、忙しいのにもうツリーを作らないではいられないように
なってしまった。

とは言ってもやっぱり宗旨違いの祭り事に左程金をかけるのも癪だから、
ユザワヤの高い材料などはなんにも使わない。
あんなの全部使ってたら控えめに作っても軽く1万円は飛ぶだろう。
何を1万円ぐらいと言うなかれ、この度麻生のおぼっちゃん様が、飢えたる
民草にお与えくださる給付金とやらの一人頭の金額に近い金額なのだから。
(まぁどうせ税金だからと思って気前のいいこと…)

とにかく私のツリーはそんなにお金をかけられない。
総予算600円で、上々堂の分と家の分の二つを拵えちゃうのだ。
興居島屋は置く場所がないし、置いても私の数十倍器用な相棒に鼻の先で
せせら笑われるのが落ちだから、作らないのだ。

一個分の材料は黄ボール(黄色いボール紙)が二枚とポスターカラーと
色紙、それで終わり。
黄ボール二枚をツリーの形に切り抜き、一枚には天から地に向け全寸の半分まで
切り込みを入れる、もう一枚は地から天に向けて同様、これにポスターカラーで
着色して組み合わせて、テープ等で補強、植木鉢か空き缶にでも差し込んで
色紙で作った飾りでデコレーション。これで出来上がり。
文字で書くと簡単だが、厚手の黄ボールをカッターで切り抜くのは結構ホネなので、
良い子はお父さんかお母さんにやってもらおう。

私はとりあえず昨日一個完成させて、それは今自宅の下駄箱の上に鎮座ましまして
いるが、われながら中々の出来上がりで、さっそく金曜あたりには上々堂分も拵えよう
と思っている。週末にはもう店に飾っているだろうから、お暇だったら見に来て
笑ってやってください。
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by shanshando | 2008-12-03 14:18 | ■原チャリ仕入れ旅■