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2009年 05月 27日

古本屋の経済学 ちょっと前向きに

経済学なんて言いながら、愚痴ばかり多くてしょうがないから
ちょっとは前向きに考えてみよう。

問題の要点は、このまま市場優先経済がすすめられると、
僕の店のような個人事業の零細古書店は立ち行かなくなるか
もしれない。
イヤもう絶対駄目だ。駄目に決まってる。よしもうやめよう!

ってそれじゃあちっとも前向きじゃないけど、確かに見通しは
明るくない。


前向きに、
今日考えてみたいのは、地域通貨のことである。
地域通貨に関しては、ほとんどの人がおおよそのことを知って
いると思うけど、昨日まで「ほとんど」「おおよそ」知っていると
思っていた僕も昨日、youtubeで昔のBS特集「エンデの遺言」
を見て、「おお!そーだったの!」と思わされたので、
「あ、地域通貨ね、ほとんど、おおよそ、概ね知っているよ。」という
人も良かったら見てみて欲しい。見れば済むので、ここで下手な
解説はしない。

さて、「おお!そーだったのか!」と僕が思ったのは、単なる地方
振興策としか思っていなかった地域通貨が実はいろんな意味と
可能性を持っていると知ったからで、ひょっとしたらこれは未来に
少しは希望が持てるかも?と思ったのだ。

地域通貨は国外ではすでに幾つかの成功例があるらしいが、日
本ではまだこれといった成果を上げていない。
もし、上げているところがあったら謝るけど、あまりそういう噂は
聞かない。
確か日本ではじめてやったのは、偶然にも僕の生まれ育った滋
賀県の草津という市なのだけれど(興居島は僕の祖父の故郷です)
、ひさしぶりに昨日そこのホームページを見たら、なんだか近況として
政治家の演説会の告知なんかがあって、具体的にその地域通貨
(おうみ)でどんな品物やサービスが取引されているかの情報がなにも
ない。
地域通貨は地方分権の最前衛なのに、政治家の演説会なんてやる
意味あるのか?って感じである。堕落しちゃったのだろうか?

うまくいかない理由は、おそらく参加者が集まらないことだろう。
前出の「エンデの遺言」によれば国外で成功しているところは、その
通貨でほぼ生活の全般が賄えるほどに参加者が多く、国家通貨を
脅かしかねないほどの勢いのあるところもあるという。

滋賀県人は特に銭金に煩いから、根付かせるのは大変な苦労だろう
けれど、まぁ日本中どこでもその辺は差はないだろう。
「誰が大事な金のかわりに、そんなオモチャの金をうけとるか?」と思
うに違いない。
そういう目先の欲を越えなければ、本当の地域振興はないし、本当の
豊かさも手に入れられないのだが、なかなか事が進まないのは無理が
ないようにも思える。

しかしなんとかここを乗り越えなければ、地方や零細事業主には未来が
ないのだから前向きに考えてみよう。

例えば仮に私が三鷹で地域通貨を作ることを提案するとしたら、NPOを
立ち上げるのもいいけど、やはり自治体に提案すると思う。
三鷹市は多分周辺の市区に比べて貧乏な自治体であるらしい。
図書館の設備はお粗末だし、子育て、教育などに関する支援も少ない。
武蔵野市のようにごみ処理場だとか、浄水設備などを持っていたり、吉祥
寺のような繁華街も抱えていないから、税収が少ないのだろう。
上々堂のある三鷹駅南口も駅前は若干繁華だが、上々堂以南は空きテナ
ントも多く。はっきり言って寂れている。
しかし、こういう条件はべつに左程嘆くべきことではない。
繁華でないお蔭で、人びとはのんびりしているし、少数だが良心的なお店も
頑張っている。
むしろこういう街で地域通貨を作り、地元で資本規模は小さくとも良心的な
店を増やしてこそ、住民の生活にとって良い環境が作れると思うのだ。

さて、何故NPOではなく、自治体なのか?
それは、日本でこの制度を真剣に根付かせようと思ったら、不動産の問題が
重要になるからだ。
計算高く、欲深い日本人をこの制度に参加させるためには、通貨の使用先に
不動産賃貸料を含ませればいいと思うのだ。
たとえば、賃料の30から50%を地域通貨で支払えるとなれば、賃借人の大
方が喜んで参加するだろう。なにしろ支払った賃料がそのまま大家の箪笥預
金になったり、株式投資に使われたりしないで地元で使われるのだから。
支払い甲斐もあるというものだ。

大家のほうも、地元が賑わって空店が無くなれば良いし、持っている不動産の
資産価値も結果的にはあがるし、地域通貨で受け取ったぶんの賃料に関しては
税制上の優遇もすればいい。
国税に関してはどうだか判らないが、所得税の地方税分に関しては自治体の
裁量で出来るのではないか?巧くすれば消費税の支払いも地域通貨分に関し
ては必要ないのではないか?(このへん自信ないが、そうであったら消費税値
上げに対する対抗措置としても有効だ)

自治体も既存の施設の中に地域通貨で買える地元の野菜など直売場や、それを
利用した飲食店など造り、託児施設なども地域通貨で支払えるようにすれば、
増加が期待できる民間の雇用と合わせて、あらたな雇用の創出にもなり、三鷹市
は一躍、お金持ちではないけれど日本で一番住みやすい街になるのではないか。
当然税収は増えるから、不動産所得税の減額ぶんは問題なく解消されるだろう。

いいことだらけだと思うのだけれど、間違ってたら教えてください。
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by shanshando | 2009-05-27 13:35
2009年 05月 23日

世襲

三歳になる娘に「大きくなったらどういうお仕事するの?」と聞くと、
「古本屋」と答える。
なにしろ店番に付き合わせることも多いので、そう思い込んでいる
らしい。
だいたいが三歳だから他の選択肢を知らないのだろうと、
「保育園のセンセイでしょ。テレビでお歌を唄うおねえさんでしょ。
病院のセンセイだってあるし、おもちゃやさんとか、パン屋さんとか、
お洋服を作る人とか、いろ~んなお仕事があるから、なんだって
なれるんだよ。」といっても、返事は「古本屋!」
答えながら一心に文庫本の背で手の届く高さの棚の本をトントン
やっている。
新刊書店ではどうかしらないが、古本屋は背の部分を使って、
棚の本のデコボコを直すのだ。
「だってさぁ、おかあさんだってお仕事だし、おかあさんになるかも
しれないでしょ?」
親としては大志を抱けといわぬまでも、いろんな世界観を持って
欲しいから、しつこく食い下がってみる。
すると、はじめてこちらに顔をむけて、ちょっと考えてから、
「おかあさんの古本屋!」
成る程、ごもっとも。

今は、業界にも二代目三代目の古本屋が多いが、それは彼らの
親の世代が景気の良い時代に礎を築いていたからで……いや勿論
同じ世代でも築けなかった人もいるわけだけど、結果的に子ども
に同業を継がせられた人たちというのは、まぁそれなりの成功者と
いうわけで、私だって頑張って経営を盤石にすれば継がせることも
出来る道理だが、今この時点で賃貸の店舗で営業をしているようじゃ
他業種は知らず、古本屋では無理といっていい。
要するに金が敵の世の中なのだ。

衆議院選を間近にひかえて、世襲禁止が取り沙汰されているが、あれは
やはり憲法違反だろう。確かに職業選択の自由に反する。
ただ、当然のように世襲の弊害ははっきりあるのだからなんとかせねば
というわけだが、議論が順を間違えていると思う。
世襲そのものの現象面だけ断ち切っても根本的な問題の解決にはなるまい。
ことは簡単なのだ。
政治家をみんな貧乏にすればいいのだ

たとえば議員の所得を20歳以上の国民全体の平均にまで下げる。
現状歳費には経費分も入っているのだろうけれど、議員の事務所を法人に
し、歳費はそこに支払い。そこから支払われる議員個人の所得を法律で
決めればいい。
20歳以上の国民というのは当然失業者やフリーター、専業主婦、年金生活者
も入るから現状だと平均すれば月収20万を下回るだろう。
毎年厳しく会計監査を行い。不当な献金など受けていた場合は厳罰に処す。
斡旋収賄などは軽微なものでも30年以下の懲役、出所後は10年間被選挙権
の停止、初犯であれ少額であれ執行猶予は認めない。
当然20万以下の月収では結婚は難しいから、配偶者と共働きの議員が増える。
子どもも学費は自分でアルバイトをするか、小泉内閣のお陰でサラ金なみの
取立てを行っている奨学金制度を使う(なにが「米百俵」だ馬鹿もん)。
そうして苦学した末に、自分の親は貧乏だったが素晴らしい人間だったと思えれ
ば、世襲すればいいのだ。
これで憲法にも抵触しないし、漢字がまともに読めない馬鹿が総理大臣になる
リスクもなくなる。
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by shanshando | 2009-05-23 12:40 | ■原チャリ仕入れ旅■
2009年 05月 20日

作家の懐具合

一体日本には今何人ぐらいの作家がいるんだろう?
いやそのまえに作家の定義は?
人形作家に映画作家、陶芸作家、劇作家にノンフィクション
作家……物さえつくっていれば作家なわけで、大根を作っている
お百姓さんは大根作家だし、ジャガイモを作っていればジャガイモ
作家、子作りが好きなら子作家。

なんとなく作家という言葉で私などがまず思い浮かべるのは
小説家で、今の場合もやはり文学作家小説家というような意味
あいでで云ったのだが、それだけに区切っても自称、無名、
マイナーなど含めれば相当の数の作家がこの国には生息して
いて、駅前で石を投げれば作家にぶつかるというほどでもない
けど、神保町あたりの雑踏なら結構いい確率で作家を仕留める
ことができるかもしれない。

「ちょいと、神保町行って作家を2、3匹生け捕って来ておくれ、
明日の味噌汁の具にするんだから」なんっちゃって…

それはいいとして、なんで作家の数なんか急に気にしているのかと
いうと、昨日松下竜一「底抜けビンボー暮らし」を読んだからである。

松下竜一は2004年に他界した小説家で、終生を大分県中津の
生家で過ごした。自費出版した句集「豆腐屋の四季」が1969年
講談社から出版され、翌70年には家業であった豆腐屋を廃業
以後市民運動に従事しながらノンフィクションの作品を中心に
発表しつづけた。
はっきり云って、売れたのはデヴュー作の「豆腐屋の四季」だけだ
と言われるが、古本屋としての実感から云えば、東アジア反日武装戦線
「狼」を描いた「狼煙を見よ」が一番流通しているように思える。

こういうふうに書くと、右翼な人びとは「なんだ左巻きか?」など
安直な蔑視をする昨今だが、人間を簡単に色分けしたがるのは、
頭の構造が単純な証拠である。

確かに松下竜一の視点はつねに弱者よりにあったから、そういう
人は今のネット右翼諸君の単純な頭の構造では即「左巻き」と
いうことになるらしいが、それが元来おかしい。
松下竜一が関った市民運動の多くは環境保護関係で、「産土」を
汚し、「たたなづく青垣山」を破壊する大資本に敵対するそういう戦
いは、本来右翼民族派の本分ではないのか?

多くの地方在住の作家がそうであるように、松下竜一も文筆から
得る収入は実に僅かなものであったという、年収120万に届かな
いことが殆どで、源泉徴収された税額は毎年ほぼ全額還付された
らしい。一度だけそれを越したことがあってその年は一応納税した
というが、それも一万円に満たない税額で、それでも驚天動地の
出来事であったらしく、そのことは新聞に報道されたらしい。

年収120万以下で妻と三人の子供を養っていたというから、その
貧乏ぶりは想像を絶する。
イヤ、ただ収入が低いだけならそう珍しくもないが、私が感動した
のは、そうした極貧にあっても彼が作家としての仕事以外一切
しなかったということだ。普通こういう場合学校の先生をやったり、
図書館に勤めたり、そうする資格がない場合は古本屋をやったり
してなんとか収入を得ようとするものだが、体が弱かったせいも
あってか一切やらない。11歳若い奥さんもパートなどに出て行く
ということはしない。
毎日、午後四時から犬を連れて夫婦で河岸を2.3時間も散歩
して河口でカモメにパン屑なんかやっている。
アルバイトはしないのに、金にならない市民運動には時間と労力
を惜しまない。「草の根通信」というミニコミを380号出し続けた。
三人の子供名前をつなげると「カン・キョウ・ケン」になる。

最近はそういう市民運動に関る人を「プロ市民」などと言って、やはり
蔑視するそうだが、この本を読む限り、少なくとも彼らのやっていた
市民運動はおよそ「プロ」らしくない。
他の市民運動の人たちがどうなのかは知らないが、私の常識で云
えばそれがどんな事であれ、「プロ」というのは確実に仕事の成果
を挙げる人、あるいは少なくともそれを目的とし、合理的な手段を
実行する人を言うと思うのだが、彼らの運動はあらかじめ失敗する
ことをおりこんでやっているように思える。

例を挙げれば、電力会社に原発を辞めさせるためにみんなで金を
だしあってその会社の株主になり、総会に乗り込むのだが、やり方が
紳士的すぎて結局目的を果たさない。こんなお粗末な「プロ」はいない。
せっかく総会に出る権利を得たなら、総会の日までに会社や経営陣
のスキャンダルを調べ上げ、スキャンダルがなければ創ってでも足元
を掬うぐらいのことをやらなければ、金儲けが目的で集まった他の
株主達の意見を取り込むことなど無理に決まっているではないか。
銭の亡者は銭の亡者なりに必死なのだ。

そういう自分と価値観を異にする人間の思惑にまで思いを致せない
ところが、この作家の作家としての限界だと言えば限界なのかもしれ
ないが、見方を変えればどんな分野であれ作家の個性というのは、
一種の視野狭窄の所産だと言えなくもないから、作家としての
松下竜一はそれでいいのかもしれない。

自分の弱さを重々知り尽くし、けっして無理をせず、それでいながら節
を曲げることもしない。結果から物事を考えず、どこまでも着実に過程
を踏んでいく、そういうやり方は忙しない小商売人の私にはとても
真似できないやり方で、(古本屋に限らず、古物商売というのは常に
結果を想定してからしか動かないものです。)金がなくても泰然と
夫婦二人で散歩をする光景を想像すると嫉妬さえ覚えるが、今更
生きなおすわけにもいかないので一生私はおそらくこのまま。

金には縁がないままに死んでいった作家の本はその殆どが絶版で、
あるものには本人が聞けば驚くような古書価がつく、それとて一般的
な絶版図書の古書価としては高いほうではないが、なにしろご本人
は普段2、3万の講演料をある時25万といわれたのにビビッて、自分
から交通費込みの15万に値下げしちゃうようなお人だから、どうかす
ると都会のサラリーマンなら、碌に仕事も出来ないような小僧の一晩
の遊び代にも足りない金額にすら、高すぎると言って古本屋に化けて
出かねない。

貧乏作家松下竜一の作品は、売れなかった作家には稀有の全集となり
(実際は全作を網羅していないので全集とはいっていないが。)全
30巻が河出書房新社より出ている。ちなみに値段は89,985円。
貧乏、貧乏といっても松下竜一はまだ恵まれている。一部の流行作家を
のぞけば日本の作家の殆どはアルバイトしたり、誰かに寄生して糊口を
凌いでいるに違いない。自分の店の棚に並んだ本の背表紙を見ながら
古本屋はしみじみ思うのであった。
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by shanshando | 2009-05-20 18:39 | ■原チャリ仕入れ旅■
2009年 05月 19日

古書ミーハー堂

地方出身の人なら大抵覚えがあると思うが、盆などに帰省して
知人に逢うと、かならず聞かれるのが
「東京に住んでいると、有名人とかあうんじゃない?」という質問だ。
さすがに最近は余程田舎の人でもない限り、そんなこと聞かない
だろうと思っているとさにあらず、結構大阪の人なんかでもそういう
事を云ってくるので、
「あのなぁ、東京には住んでる人だけでも一千万以上いるんやで、
そんなもん有名人なんかそうヒョイヒョイ見かけるかいな。」と答え
ると、
「え~そうですかぁ?そんなもん大阪やったらウチあたりの近所かて
池乃めだかさんとか住んではりますよぉ。」
などと云われたりする。

「有名人なんかヒョイヒョイ見かけるかいなぁ」というのは、見かけると
答えて、あれこれ細かく聞かれるのが嫌だからそういうだけで、本当は
わりと、よく見かけていたりするのだ。
例えば、西荻窪なら萩原流行さんとか
三鷹なら楳図かずおさんなどは、
野生のタヌキを見かけるより余程高い頻度で見かけるし、
商売柄、お客として入ってくるタレントや文化人の人は結構見かける。
例えば、大槻ケンジさんとか川上弘美さんとか、角野卓造さんとか岩崎
紘昌さんとかイッセイ尾形さんなどが記憶に残っているが、店で見かける
分には実はこちらもわざと気付かない振りをしている。
古本屋というのはそういう人たちにとって、飲食店などよりもっと放って
おいて欲しい処だと思うからだ。

飲食店などだとよく有名人の色紙を張っていたりするが、あれはなんだか
見苦しい。書く方だって、食事のときくらいはのんびりしたいはずなのに、
なんて気遣いのない鈍感な店なんだろうここは、と私なら思ってしまう。

でも、やっぱり本質的に私だって充分にミーハーなので、知ってる有名人
に逢うと心中はなかなかに穏やかでない。
とくにそれが綺麗な女優さんだったりする場合、突然愛を告白されたりす
るんじゃないかと思うと気が気じゃないのだ。(幸か不幸か未だにそういう
経験はないが、これからも絶対ないとは云えないだろう。)

商売の時以外で最近あった有名人で印象的だったのは、調布の町を
悠然と自転車で走っていたつげ義春さん。多摩動物園のトイレで逢った
香川照之さんなどだが、昨日、じつはもっとびっくりする人に逢った。

正確に言うとご本人は左程有名人というわけではない。逢った場所柄も
あってご本人が特定できる情報は避けねばならないが、その方のお父様
が歴史上の重要人物なのだ。
もうすこしはいいと思うので、書くと。戦前数度に亘って内閣総理大臣の
職にあった人で、ご子息である昨日私が眼にしたご老人にもはっきりその
面差しが残っている。
言葉を交わしたわけでもないのに、それと判ったのはその一族の有名な
お屋敷が近隣にあるということを知っていたのと、聞き間違えようのない
珍しいその苗字を看護士が呼んだからである。
そう、私は病院でその人物にあったのだ。

病院というところは私には鬼門であって、どういうわけかあそこに行く時は
あまり楽しいことが少ないように思う。
例えば、病院の院長が伯父さんで、「ひさしぶりに小遣いをあげよう」と言
われたとか、綺麗な看護婦さんにデートに誘われて迎えにいったとかいう
思い出は一切なく、大抵何処か痛かったり、辛かったり、心配だったりする
ことばかりで、これはきっとなんかの因縁ではないかと思うのだ。
きっと先祖がお医者さんの友達からお饅頭を掠め取るとかなんか、その手の
悪さを働いて恨まれているに違いない。
楽しいことがちっともないくせに、一度行くと長い間引き止められる。
昨日など、朝八時から行ったのに、検査の順番が廻ってきたのはようやく11時
である。お陰で予定していた市場への出品は間に合わなくなるし、綺麗な看護
師は全部私が受診した科の隣にばかり居たようだし、こんなことだったら
他にも待たされている人相手に商売をするべく、店から本を持ってきて茣蓙に並
べて売ればよかったな、などと考えたがそれをやったんじゃ今度は私が有名人に
なってしまいかねない。

とにかく長い順番待ちの間、歴史上の有名人のご子息にもあえたし、これで検査の
結果がよければ万々歳なのだが、どうも私のつきの器は小さいようで、夏のお盆の
頃には手術入院ということになりそうで、バイトさんがうまく見つからない一日二日は
臨時休業せざるをえないようだ。
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by shanshando | 2009-05-19 15:12 | ■原チャリ仕入れ旅■
2009年 05月 13日

古本屋の経済学 開業のころ、そして絵本のこと

書いているうちに不安になってきた。
この十数年で古本屋は、時代の感性に答えるべく様々な試みを
行ってきた。モダン古書だとかサブカルだとか、従来なかった語彙
を用いて新しい世代の顧客開発に努めたり、ブックカフェや古本居
酒屋などという異業種との併営、イベントやミニコミなどによる文化
としての古本に対する誘い。
それらはそれぞれに一定の成功を収めていると思うし、充分意味
あることだと思うが、社会の動向の激変はそうしたそれぞれの努力
を嘲笑うかのように厳しい。
サブプライムローンに端を発するアメリカ発金融不況の影響で、
この半年だけでも事業の撤退や業態の変更をせざるを得なかった
同業は随分多い。

大分以前に聞いた話だが、古書組合が日本の古本屋を立ち上げる
際、某商社が主体的に協力を申し出てくれたらしい。
勿論まったくの無償援助というわけではなく、商社としては、複雑に
細分化し、込み入っている古書価や販売に関するノウハウをデータ
ベース化し、新規の古書市場をネット上に立ち上げようとしての試み
だったらしい。
その後その試みが何かの形で実践に移されたのかは知らないが、
小規模専門業者の集団である古書組合に集まる情報というのは
容易にデータベース化できるものではなく、すくなくともその時は
商社も断念せざるを得なかったと聞くが、その後形を変えて実現
されている可能性は充分ある。

漫画専門古書店『まんだらけ』も、大手資本がバックについてから
は経営革新が進められ、今では査定に関しては分野別のデータ
ベースを作り、経験が左程充分でないアルバイト店員でも査定に
関れる範囲を増やしているらしい。

個人経営の古本屋は自由人らしい呑気さから、時代の荒波の中
優勝劣敗の波に浚われ、淘汰は行われるにしても、究極的には
データ化不能の自分達の職人的業態そのものはなくならないと高
を括っている節がある。「要は時代感覚を養いながら自在にやって
いけば負けることはないさ」と思っているのだ。
それは是非そうあってほしいと思うし、そうあらねば書物文化の多
様性そのものが危機をむかえる可能性があると思うが、すべての
小売業についてこの後10年内に起こるであろう革新の波から、
古本屋だけがまぬがれるとは思いにくい。
冒頭のサラリーマン氏の会社はどうやら経営コンサルタントの会社
らしいが、まさにそういった流通の最前衛にいる人から見れば、未だ
おそらく個人経営の事業者が半数以上を占める業界というのは奇異
に映るに違いない。

           ●●●●

さて、できれば組織に関らない。つまり「就職しない」生き方を志望していた
僕は、アウトロウ…というのは実はちょっと言い過ぎで、しかしまぁ自分が
普通だと思って疑わない人びとから見れば充分に普通じゃない人びとに
囲まれて暮らしているうちに、強く、というより有態に云うと図太くなっていて、
1995年、34歳の時に怖いもの知らずも手伝って、自分で古本屋を開業
することに踏み切った。
資金をなんとかかき集め、節約の為に店舗の工事を自分で始めたのが
二月の初めで、丸一月半かかって興居島屋の開店にこぎつけたのが
三月の最終週だった。
この年はバブルももうすっかり弾け切り、年明けから阪神淡路大震災や
地下鉄サリン事件など歴史的な惨事が起こり、まさにいよいよ世紀末の
始まりという感があった。

その当時古本業界で注目されていたのは月の輪書林さんで、近現代史
のなかで埋もれてしまいがちな人物を再発見して、その人とその人の
周辺に関る書物を時間を掛けて徹底的に蒐集し、まるで一冊の読み物
のような内容的厚みを持った目録作りをして人びとを驚かしていた。
諸先輩方は開業したての僕にも「これからは経費が余分にかかる店舗
販売より、じっくりと自分の仕事が出来る目録販売!」と薦めてくれたが、
僕はそもそも書物そのものもさることながら、書物のある空間に興味が
あったので、せっかく頂いたご忠言に背いて、店舗販売一本。それも市
場からの買入はせず、地元のお客様からの買取で賄おうと決めていた。
それはなにも目算あってのことではなかったのだ。みんながあまりに
月の輪さん月の輪さんだったものだから、へそ曲がりの僕は既に人が
やったことを真似するのがイヤだったのと、市場に関るのがいやだった
のでそう見栄を切って見せただけのこと。

開店時の品揃えのために師匠に連れて行ってもらった市場は凄く閉
鎖的な世界に見えたし、食事休憩の時にみんなが飲むビールもいや
だったのだ。僕も酒は飲むけど、昼酒は体質的に受け付けない。人と
飲むのも好きではない。
今考えれば、どんな場所でも新参者の目から見れば閉鎖的に見える
ものだし、休憩時間にビールを飲む習慣だって、師匠の七色文庫の田
村さんとその周辺の人だけだったかもしれないのだが、とにかく漸く
自分の城が持てて気楽にやっていこうとしてたのに、また組織的な
社会との関りを持たなければいけないのかと思うとウンザリだった。

ビギナーズラックもあって、商売のほうは順風満帆とは行かないまでも、
なんとか食べていける程度には売れたし。開店する前から景気が悪い
のは承知の上だったから、夏枯れや雨の日の悪夢のような売り上げに
も左程驚かなかった。
組合に入った以上市場も利用しない手はないので、買いにこそ行か
なかったが、余剰の商品を出品しにはよく行った。
考えてみればあの頃は例えばハーレクィーンなどがどの店でも良く売
れていたらしく、纏まって買取があれば、新しい売れ筋だけ自店に残し、
古いのは市場に出品するとそれだけで結構な稼ぎになって、その他文
庫や漫画だって持って行けば、雨などで落ち込んだ数日分の売り上げ
をカヴァーするほどにはなったので、「買取に精出している限り死ぬこと
はないだろう。」という安心感もあった。

当時の西荻窪はゴールドラッシュ前夜という感じで、その年中にウチを
含めた三店がオープンしたが、そのうちの一軒は元々池袋が発祥の老
舗の関係店で場所柄も一番良い位置にオープンしたのだが、おそらくは
家賃と売り上げのバランスが取れなかったのか、あっというまに閉店した。
あとは戦後からの老舗やウチより少し早くからやっていたよみた屋さんが
今の音羽館の場所にいて、その後はどんどん店数が増えていくのだが、
その時はまだせいぜい南北あわせて八店舗くらいで、ウチは一番貧乏
店だったから立地も日陰という感じだったが、それでも結構買取には
恵まれた。

開店当初は「景気は今がきっと底だから後は上っていくだけ!」なんて
言ってたけど、底の底にはじつはまだ底があって、世紀末が迫るに従っ
て景気はどんどん下降して行き、それに従って店数は減るかと思いきや、
私のように古本屋という業種をなめてかかっている人が多かったわけでも
ないと思うが、他業種から古本屋になる人がドンドン西荻窪にやってきて、
それはまぁ古本好きのお客さんの誘致という意味では有りがたいことだっ
たのだが、当然のように買取は取り合いになって、世紀が変る直前頃に
はどうしても何らかの経営革新をする必要を感じ、まだまだ半素人同然
だった僕は半素人なりのさまざまな工夫をした。

まず考えたのは、激減した買取を取り戻すこと、その頃はまだ40前で
体力的にはまだまだ元気だったが、ダンサーとしてのレッスンはさぼり
がちだったので、下腹がポッコリ飛び出し、どうかすると二重あごになり
かねないような状態だったので、買取量の回復とダイエットを一気に片
付けるべく、毎朝開店前に400部のチラシをポスティングして回ったり、
店の存在をアピールするために近くの集会場を借りて怪談話の会を開
いたり、もう亡くなっていたマルセ太郎さんの遺作ヴィデオの上映会を
開いたりなどなど今振り返ってみれば努力といっても、あまり切羽詰っ
ていない感じの努力で、結局世間一般の40歳にくらべれば学生みたい
な呑気な努力だったかもしれない。
そうしてそういう未だ余裕半分の努力の末至った結論が、店の半分を
占めていた漫画やエロ本を一気に処分して、そこを絵本で埋める計画
だった
絵本は今でこそ多くの古本屋が扱う商品になったが、昔は版形がバラ
バラなのと、綺麗な状態のものが出てきにくいという理由から疎まれて
いて、他店にせどりに行ってもどうかすると100円均一で買えたりした。
勿論その中にはあまり良くない物も混じっていたし、全然扱っていない店
もあったので、集めるのは結構骨が折れたが、どこの店でも置いてある
漫画の買取に回るよりは余程やりがいがあった。

毎週二回くらい(そのうち一回は自分の休日)東京近郊の古本屋を原チ
ャリで回って、当初は一日100冊を目標に集めて回った。
傾向として神奈川は比較的良いものが出てくるけど、埼玉は少し落ち、
千葉となると朝から深夜まで走り回っても全然出てこないこともあった。
苦労して週に150から200集めても、週末にはその中の良いところだけ
が売れてしまって、あまり良くないものはやはり残る。
絵本を扱う珍しい本屋として雑誌などに紹介され、わざわざ地方から足
を運んでくれるお客さんがあったりしても、それが月曜だったりすると、
お見せ出来るようなものはなにもない。またあせって火曜日に買出しに
行き、木曜にも買出しに行く。
ちょっと天気が悪いくらいだったら、合羽を着てだって出かけた。
休みだった火曜日は帰ればそのまま食事をして休めたが、木曜はその
まま店番に入らねばならない。冬の冷たい雨に濡れながら殆ど坊主状態
で帰った時、約束の交替時間が30分過ぎていると当時の配偶者に詰ら
れた時は思わず切れたりして、絵本は確かに店を蘇らせてくれたけど、
欲求不満と疲労はどんどん重なっていく一方だった。

幼児のころを除けば僕が最初に絵本に夢中になったのは、高校生だった
1970年代半ばのことで、その当時は自分が古本屋になるなんて思って
もみなかったけど、いざ商品としての絵本の良し悪しを気にかけだすと、
いいなぁと思うものはまさに僕が高校生の頃好きだったものが多いという
ことに気づき、ずっと書物そのものより店の空間そのものが好きだった
僕はあの頃初めて愛書家が本を求める気持ちがわかったような気がする。

僕には到底絵の才能はないけど、今でもへたくそはへたくそなりの絵を
子供達に描いて見せたりしていて、そういう時間は本当に気持ちが安らぐ、
経済効率から言えば、絵本よりもっと単価が高いDVDやゲームの類を
扱ったり、おそらく今でもかなりの需要があるのであろう漫画本を扱って
いたほうがいいのだろうけれど、そういうほうに戻ると僕はきっともっと
心が荒むことになるだろう。
二十代の半ばから三十代初めの生活で、その気になれば大抵の大人
との駆け引きには負けない自信はあるし、たとえば利益追求の鬼になろうと
思えばそれこそ相当際どい事をしてでも、会社のひとつくらい立ち上げる
のは造作もないことだと思うけれど、僕は自分の人生をそういう風には
空費したくない。

店売りの古本屋は、植物みたいな生き方だと僕は思う。
どんなにやる気があって才能がある人でも、環境に恵まれなければ店売り
の本屋として成功するのは難しい。
成功といって、どの程度をもって成功とするかは人によって違いもあるし、
一概にはいえないが、僕の場合今の上々堂と興居島屋の環境は二つ揃って
初めてなりたつ環境だと思っている。
同業が増えて客は多いが、仕入れが分散してしまった西荻窪と、同業が激減
して仕入れが増えている三鷹と…
人は二つの店をやっているというと、僕がまるで古本チェーンの展開でも目論
んでいるように思い、冒頭のサラリーマン氏のように、それなら何故株式会社
にしないのか?という質問も出てくる。
しかし勿論僕にこれ以上の拡大の意思はない。三鷹の地元やネットを通じて
張り巡らした根から、良書を集め。二つの店で売る。
これは今の僕にとって無理できるぎりぎりのバランスだと思う。
できれば、この形態をあと25年は維持したいと切実に思っている。
しかし、世の中の流れはそれを許してくれないかもしれない。
なんらかの決断がやはり必要なのかもしれない。
決断をするならば、50になる前、即ち今年中しかないかもしれない。
どんな、選択が考えられるだろう?今度はそれを考えてみたいと思う。

もう多分だれも読んでないと思うけど、もし読んでくれた人がいたらありがとう。
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by shanshando | 2009-05-13 19:17
2009年 05月 10日

古本屋の経済学 なんで(株)にしないの 

前夜の睡眠で疲れが抜けきらない朝など、開店前の
店の帳場に座って、コーヒーを飲みながら棚を見渡し
「いやぁ、いい店だなぁ」と自己満足に浸ることがある。

なんだかみっともない話で、本当はもっと批判的に
見なきゃいけないんだけど、でも基本的に自分達の
センスで集めた本が、自分達の手作りの棚に並んでいる
さまには独特の喜びがあって、そんな喜びにでも
浸っていなければやっていられないというのが実態なのだ。

「なんで株式会社にしないの?」という行きずりのサラリーマン氏の
言葉に答えるべく、いや、それを契機に自分でなんでこの
非効率な商売をしているのかということを考え始めたわけだけど。
なんだか観念に頭を占領されてしまって、どうしても話が
へんな方向に行ってしまう。

へんな方向はへんな方向でそれはけっして嘘ではないの
だが、迷い道をしていると一番書きたいことを逃してしまう。
それで、書き直しなわけだけど…

          ●●●           

僕が(いきなり主語が変わりますが)二十代の初めだった
1980年ごろ、晶文社から「就職しないで生きるには」 という
シリーズ本が刊行されて、それはまさに僕の気分にぴったりくる
趣旨だった。

僕が生まれたのは1960年で、物心ついてから思春期にいたる
世相は、例えば水俣病やイタイイタイ病などの公害問題だったり、
ベトナム戦争だったり、ロッキード事件のような政治腐敗だったり、
とにかく社会というものに子供ながらの疑問を抱かざるを得な
いような時代だった。
傍に居た大人たちといえば、戦前生まれで、何かと言うと暴力を振る
う父親とか、綺麗事を言うくせに何処か信用するに足りない教師たち
とかばかりだったものだから、はっきり言ってそういう社会の歯車に
自分がなると思うとゾッとする…という感じで、就職なんて一番忌む
べきものだと思いながら育った。

こういうふうに書くと、自分を時代とか環境の被害者のように思ってる
と思われるかもしれないが、偶々そういう時代に生まれた僕が体が
虚弱で集団行動に常に遅れ勝ちに育ったものだから、学校や地域
社会でも常に仲間はずれの弱虫で、だから常に弱者にシンパシーを
感じていたといえば聞こえはいいけど、早い話世の中を斜に見ることで
巧くいかない自分を正当化しようとしていたのだろう。
とにかく、僕は普通の就職をするのが嫌だったし、そうなるのが怖くも
あった。
父は自分もそうだったように、僕を田舎町の公務員にしたいと思ってい
た。田舎では縁故がものを云うから望めば僕の能力はどうあれそれは
果たされていただろうけど、恐らくそうしていたら僕は取り返しがつかな
いほどの人格破綻をおこし、犯罪者にすらなっていたかもしれない。

普通の就職を忌避しながらも、当然働かなければ生きていけないのは
重々心得ていたから、
「こんな自分はいつか食い詰めて死んでしまうに違いない」という
絶望的な悲観が何をするにも先にたって、とても大志を抱くというような
事は出来なかった。
大学をドロップアウトして上京し、様々な仕事を転々としながら
どこにも居つけずフラフラしている頃、住んでいた街のある露地裏を
昼過ぎに通りかかると、朝からの仕事が一段落したパン屋の職人さん達
が煙草を喫いながら談笑しているのをよく見て、心底うらやましく思えた。
あの輪にだってきっと徒弟制とかそういう組織があるに違いないけど、
所謂会社と言うものから当時の僕が想像していた堅苦しさは、そこには
見えなかったし、もしあったとしても技術を身に付け独立すれば
もう誰にも煩わされずに生きていけるに違いない。
今考えればまったく「隣の芝生は…」というやつで、職人として独立する
ことの厳しさ、同時に経営者でもあらねばならない辛さなど全然考えて
いなかったわけだけど。ともかく、僕もいつかはああいう独立独歩が可能
な職業につきたいと思った。

思いつくのも思い込むのも、簡単だし容易でもあるけど。実際にそれを
実現するのは難しい。第一不器用だから職人なるということがまず無理
そうだし、これなら自分にピッタリという職業が思いつかない。
当時の僕は様々な職業を転々としながら、いわゆる舞踏というダンスを
やっていて、それはもう本当に非効率の極地みたいな世界なのだけれど、
そこに根を置いていることで漸く自分が自分でありえるような安心があって、
性格上完全なナルシズムを持てないからダンサーとしても適性はなかった
のだけれど、とにかく他の何者かになる自信がないままにだらだらと自称
ダンサーでありつづけていた。
その頃の体験や交友は今に生きているし、人生って結構無駄が無いもん
だなと今は思うけど、とにかくこのまま居るわけにはいかないとその当時は
常に焦っていた。

当時、ダンサー以外に僕が体験した職業は、どれも浮き草稼業で、周囲の
人間はぎりぎりのところで社会にへばりついているようなアウトロウが殆ど
だった。ヤクザ、風俗嬢、右翼、務所帰り、インチキ芸能プロデューサー、
ノミ屋、テキ屋。政治家と不動産屋はいなかったがこれが揃えば日本に
生息しているろくでなしの展覧会が出来るくらいのもので、食わんが為に
そういうところで生きているうちに、僕はなんとなく少しだけ強くなっていた。

そうして僕は34歳の時、はじめて古本屋の店を開くのだけれど、この続きは
また明日。

ちなみに、これのどこが経済学だ。「ただの履歴書やんけ」というご意見も
あると思うが、冒頭でてきたサラリーマン氏の疑問のなかに
「へぇー、今の日本にまだ個人経営ということをやってる人がいるんだ。」
という言葉があって、僕としては自分の体験をサンプルに何故経済効率の上
からは、まさに非効率で且つ向上性の薄い事業を敢えてやる人間がいるのか
を語り、何故日本中の古本屋がブックオフにならないのか?を説明したいと
思っている。
そのことにどんな意味があるかはやってみなければわからない。
ただ市場経済優先の世の中で、十年後はマイノリティーになっているかもしれない
個人経営古書業者の意地を書き残したいだけなのだ。
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by shanshando | 2009-05-10 13:58 | ■原チャリ仕入れ旅■
2009年 05月 08日

さすがに

朝の八時台はお客なんて一人もありませんなぁ。
いや買取の予定が厳しくって、大量の預かり査定ぶんをこなす時間が
なくて、しょうがなく今日は八時出勤。

この預かり査定というのは出張先で余りに大量に本が出たときなど、お
客様と相談の上、一応預かってきて店で査定して、ご返事するわけですが、
出張先でしゃがみこんで査定するより、身体的にも楽だからいいし、第一
一冊一冊を丹念に調べられるから、勉強にもなります。

古本屋は背表紙学問というヤツで、著者名や書名からおおよそのその本の
筋を判別し、それが今どのくらい求められているか?つまりどれくらい値段
を付ければ売れるかを考え、独自の査定額をだす為に必要な程度の知識
はもっているわけですが、本の素性や相場が判ったからと言って、その内容
まで心得ているというわけでは当然ありません。
簡単に言うと、「知ってる」けど「判っている」わけではないということです。

この「知ってる」けど「判ってない」状態というものは実は当人にとって歯がゆい
もので、出切れば判らないことは当たるを幸いに全て調べて、完全に理解でき
ないまでも、少しでも理解を深めたいとは思っているのですが、残念ながら
なかなかそうできません。
何故出来ないかというと、まず貧乏暇なしで調べる時間がない事、それから
永年の不摂生によって脳の活用力が著しく低下している事、健全な知識欲が
欲に遮られる事などが考えられます。

ひらたく言うと、普段疲労とアルコールの害によってぼやけている脳が反射神経
だけで査定して(それでも査定額を間違えないところが大したもの…というより
欲の権化)いるのだけれど、ちょっと時間があったら、調べてみて悧巧になった
ような勘違いをしてみようと、だって勘違いでもしてなきゃやってられないじゃんよ!
と、そんなこんなで今朝も、あんまり時間に余裕はなかったけれど、まぁ色々
勉強しつつ、査定していたわけでございます。
まぁ、よくある小説本や文庫本はちょいちょいちょちょいと計算しておいて、以前か
らよく見るけど、どーゆー事を仰ってるのかトンと判らぬ学者や評論家の本など
じっくり読むわけにもいかないから、ネットで下知識を入れた上でポツポツ拾い読み。
「うーむ成る程ね!うーん、あれがこうで、これがああだから、つまりこうなるわけね。」
などと判ったんだか判ってないんだか、多分七三くらいの割合で判ってないほうが
多い納得をして次の本へ、そいでそうやって幾らかでも理解したうえで査定すると、
査定額になにか増減があるかというと、これはまずない。
だって結局さぁ、古本屋にとっては売れる本が良い本で、売れない本は悪い本。
この真理の前にはいかなる高論卓説も適わないわけでございますよ。
ああ、眠たい。
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by shanshando | 2009-05-08 15:43 | ■原チャリ仕入れ旅■
2009年 05月 07日

いやはや

連休前後は例年若干忙しいものですが、
今年はちょっと特別。
一昨日は二軒で、これはまぁみんな近所でしたから
よかったのですけど、昨日は一軒目が世田谷区の池尻で
二軒目は三鷹、三軒目は五日市と飛び回りました。
その前からの買取で既に上々堂は一杯なのに(興居島屋
は狭いので、置けない分はどうしても上々堂が倉庫がわり
になっちゃうわけです)、まだこの後も予定が目白押し、
幸い大体みなさん良書を売って下さるので、まぁ古本屋と
しては喜ばしいかぎりですが、体はケアーする尻から痛んで
いくような按配だし、あっちの買取とこっちの買取、あれを市場に
だして、これは査定待ち、これはちょっと書き込みが大変だなぁ
とか、もう頭の中はぐっちゃぐっちゃ。
ブックオフみたいに、なんにも考えずにマニュアルに従えば
物が自動的に捌けていくというなら、アルバイトさんに任せれば
いいわけですが、私どもでは全部私一人でやらなきゃならない。

もうちょっと景気が安定していれば、マニュアル化できる範囲も
増えるわけですが、現下の情況では去年まで結構売れていたもの
が、今年はもう均一にしかならないとか、逆に最近の商品動向では
これはもうちょっと評価を上げなきゃとか、本当に仕入れから値つけ
まで皮膚感覚でやらなきゃならないから、マニュアル化なんてとても
不可能、それどころか私自身半年も休めば出来なくなるでしょう。
流れが比較的緩やかな専門書の目録販売店などと違って、店売り
はすべて店主の感覚だけに生き残りがかかるわけです。

こういう時一番困るのが、
「古い文庫本があるんだけど、大体一冊いくらくらいで買ってくれるの?」
などという質問。
別に文庫本が要らないと言ってるんじゃなくて、文庫も欲しいけど、
単に「古い文庫本」だけの情報で、一冊いくらなんて言えるわけないじゃ
ないですか。だからそういう時は、
「そうですか、古い文庫本。そうですね一冊0円から1000円程度です」
といって煙にまく……わけないじゃないですか。
懇切丁寧にご説明させていただきます。
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by shanshando | 2009-05-07 11:50 | ■原チャリ仕入れ旅■
2009年 05月 05日

新聞が消える日

ヒロコさん(仮名)はもう子育ても終わり、配偶者とともに田舎の
広々とした家で悠々自適の生活を送っている。大の新聞好きの
専業主婦である。
新聞好きというと語弊があるかもしれない。
子育てが終わり孫まであるとは言え、未だ50代でまだまだ隠居
などという言葉とは程遠い若々しさとそれにふさわしい好奇心を
持っているから、たとえ田舎暮らしでも社会に対しての窓を閉ざ
したくない。勿論パソコンも持っているからインターネットやテレビ
からの情報もあるが、やはり情報の基本は新聞だというわけで、
今も2紙を取っている。
今も…というのには理由があって、かつてはもっとたくさん、そう
子育てに追われる最中でも最低3紙はとっていたと言うからやはり
新聞好きといっていいかもしれない。

かつて確かに新聞は報道の王者であった。テレビ、ラジオが隆盛を
極めた時代でも、関心のある事件や社会の動きの詳細を知るには
やはり新聞が一番で、ある種の雑誌などは更に掘り下げた報道を
行ったとしても、深く掘り下げた分その社の思想的偏向などに影響
されるところも多く。情報の精度ではやはり新聞に適わない……と
いう神話がかつてこの国にあった。
神話である。
新聞社にも勿論思想的、傾向、あるいは偏向があったとしても報道の
王である矜持からそれに惑わされることなく、事実を歪めずに伝えよ
うという意志が新聞報道に関わる人にはある……と信じ込んでいた。
考えてみれば第二次世界大戦時の新聞報道の無節操な堕落を歴史
的事実として認識していながら、よくもそんな阿呆な妄想に捉われて
いたものだと思うが、しかし比較として音声や映像で伝えるテレビ・ラジオ
の報道とちがって、人が綴った文章を人が読むという過程の中に客観的
批判がなされる可能性があると信じ、ロウ テクニカルである故により誠実
さを持っているとの先入観的錯誤が我々の中にあった。

時代が変わり、ネット報道がもつ可能性が無視できなくなり、今やどの
新聞社も紙面での報道に平行してネットによる情報の配信を行っている。
物理的、経済的便宜性からすでに紙媒体による新聞はその役目を終え
ようとしている。
物理的、経済的便宜性は勿論ユーザーの側だけにあるのではなく、社
会的にも新聞の完全電子化はエネルギーや資源の節減という意味で大
いに意味をもっている。
日本中の新聞がいっせいに電子化したら、それだけで温暖化防止に対する
成果は多大なものがあるだろう。
新聞社に勤める人の中には、「いやまだまだ紙媒体の存在意義は充分
ありますよ」などという人がいるかもしれないが、勿論それは外面の体裁を
取り繕う言葉に過ぎない。

かつて新聞はインテリが作り、ヤクザが売るなどと言われたが、それは実態
を表現するにはいささか言葉足りずな表現であって、もっと正確にいうと
インテリが作り、ヤクザが売り込んで、貧乏人の子息が配ってきたわけであるが。
今、この事態に際して、上記のような綺麗事を言うのは頂点で胡坐をかいて、
高給を保証されてきたインテリだけで、その綺麗事もじつは上辺だけの方便に
過ぎない。
内心ではインテリたちが一番紙媒体の終焉が近いことを知っているはずだ。
いや、もっと踏み込んで言うと、彼らインテリたちは一刻も早くピラミッドの下部
にへばりつくヤクザや貧乏人を切り落としたがっている……といえばいささか
言いすぎだろうか?なかには真剣に紙媒体の将来を考えている新聞記者、編
集者もいるかもしれない。

もし、そういう人たちが居ると仮定しての話だが、紙媒体の延命を真剣に願うなら、
もう一度報道の公正さという原点を確認するべきだろう。
新聞社の報道がネット上で即時的に読めるようになった昨今、巨大メディアが
かねて仮面の下に隠していた情報操作、大衆誘導の意思は露骨に浮き彫りに
されている。操作しているメディア側は殆どの大衆がまだそういう事実に気付いて
いないと高を括っているかもしれないが、どっこい大衆にだって生憎モノを考える
習性をもっているヤツはいて、あんまり嘘の皮みたいな報道ばかり繰り返している
メディアなど、疾うに見放している。誰がそんなものにわざわざ金を出して読もうと
するのか?誰も居るわけはないだろう?
イヤイヤそうでもないのだ。毎日配達されてくる新聞を心待ちににし、そこに書かれ
ている捏造記事によって癒され、自分たちが属している社会が大資本やそれに隷従
する政治家、官僚によって運転されて行く限り、けっして本当の不幸はやってこないと
信じていたいヒロコさんのような「新聞好き」な人々がいまだに相当数いて、新聞が語
る幻影の文脈に沿ってテレビやラジオ、ネットの情報を解読していたい。日本人の過
半数がおそらくそう言う人なのだ。
彼らに必要なのは、本当の真実ではなく、自分たちに最終的な安心を与えつつ、適当な
憤りとそれに伴うカタルシスを与えてくれる虚構の真実なのだ。

読売新聞1000万部、朝日新聞800万部超、まず公称された発売部数が嘘である事は
見え見えだし、書かれていることのすべてが嘘といわぬまでも、敢えて書くことと書か
ないことを選り分けることで為される情報操作……
まぁどっちにしても、紙媒体としての新聞の終焉は遠くない。おそらく各社はそれぞれに
そのシナリオをすでに準備していることだろう。表では販売店や拡張団、配達員を励ま
しながら、できるだけ綺麗事で彼らとの縁を切る方法を模索しているのだ。
切り捨てられるヤクザや貧乏人たちに報復の手段はない。抵抗の手段も限られている。
新聞が消える日、そのXデイに社会の良心とモラルの象徴を演じ続けてきた巨大資本の
仮面がはがされる。

ヒロコさんたちはそのショックに耐えられるだろうか?
大丈夫!彼らには不安な要素はすぐに忘れられる特殊能力が永年新聞によって植え
つけられてきたし、新聞が消えてもテレビやラジオ、電子化した新聞などが相変わらず
虚構を配信してくれる。安心して生きていくためには成るだけ真実を知ろうとしない努力
が何よりも求められているのだ。

ちなみにヒロコさんは「たかじんのナントカ委員会」とか「ビートたけしのTVタックル」の大
ファンで「報道ステーション」は「ニュースステーション」の時代から観ずに寝た時のほうが
少ないそうである。
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by shanshando | 2009-05-05 16:16 | ■原チャリ仕入れ旅■
2009年 05月 03日

黙祷

清志郎が死んだ。
なにも言うことはない。
どうせみんな死ぬんだし、いつかは。
報道各社の追悼記事はなんだかアホみたいな言葉で
綴られ、読むに耐えない。
しょうもない賛辞しか思いつかないなら、ただ「死んだ」
とだけ書いとけばいいのに。

清志郎が好きだった人だけ下のリンクをクリックしてください。
タイマーズ
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by shanshando | 2009-05-03 11:55 | ■原チャリ仕入れ旅■