上々堂(shanshando)三鷹

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2011年 05月 27日

杉並区の幼児の内部被爆危機に関する田中良区長の見解

 いよいよ梅雨到来という感じですが、相変わらず迷走している原発問題。
これから季節の変化にともない果たしてどんな危機が子供たちを襲うこと
になるのか、正直不安な日々です。

 現在、上々堂の仕事は家人とシェアーする部分をふやしたり、アルバイト
さんにお願いしたりで、私としては週に3日程度を子供たちとの時間に充てて
いますが、うちの子たちは都会暮らしの子供らしく、外遊びといえば、公園が
基本。
 そこでずっと気になっているのが、砂場の問題です。
私には専門的な知識はありませんが、砂場というのはフラットな土壌よりも
構造上、雨水などに運ばれた放射線の堆積が多いのではないでしょうか?
 とりあえず我が家では、安全が確認されるまで、「お砂場はやめようね。」
でやっていますが、よそのお子さんが砂まみれになって遊んでいる姿をみると
怖くなってしまいます。

 なにしろ素人なのですから、杞憂である可能性も充分あるわけですが、
なにしろ砂場で遊ぶような幼児たちは、どんなに親が注意を払っても、お口に
砂をいれてしまったりしますし、風が吹く日などはそばにいるだけで口や鼻から
吸い込んでしまいます。
また、ほかで遊んで転んでつくった擦り傷などをつけたままお砂場にはいること
も多いわけですから、万一放射能生成物の堆積があった場合、晩発性障害の
リスクは非常に高いということが想像できます。

 そこで先々週住居のある自治体である杉並区に区内の砂場の線量を計っている
かを問い合わせてみました。
 昨日その質問に関する返答を 杉並区環境課課長石渡氏からいただきましたので
その内容をここに書いてみたいと思います。

 なるだけ私の主観が入らないように、伺ったお話を箇条書きにしますが、この内容は
杉並区長ならびに区役所関係各部局の総意によって言われているものだということは、
石渡氏が明言されましたので、最高責任者である区長の見解と書かせていただきます。

① 結果からいうと、砂場の線量は現在まで計っていないし、これからも計らない。
② 計測そのものは難しいことではないが、なまじ計って高い線量が出た場合、
  区民に不安を与えることになる。
③ 計測の方法は完全に信頼されるに足りる方法が確立されていないので、計った
  数値が絶対とはいえないので、なまじ計らないほうが良いと判断している。
④ 杉並区としては、国や都の関係機関が出している計測結果やそれに対する見解を
  参考にして、砂場の放射線量に問題は無いと類推しているが、その参考にした機関
  の名前を公表することは出来ない。勿論その参考資料そのものも紹介することは
  ない。 
⑤ ④の項目の件に関して理由は言えない。
⑥ もし、経口あるいは擦り傷などから内部被爆が起こり、数十年後に晩発性障害が
  出た場合について杉並区および現区長は一切責任を感じないし、責任をとらない。
⑦ 砂場で内部被爆が絶対に起こらないとは明言しないが、それは現段階誰にも
  言えないことなので、そのリスクを警告したりすることもない。
⑧ 実は、砂場の砂が放射線に汚染されることに対してなんの対策もしていないわけではない。
  すなわち猫や犬の糞をよける為に敷かれているシートやネットがそれである。
⑨ 以上が杉並区長ならびに区の関係部署の公的な見解であり、同様の問い合わせが
  あれば等しくこう返事しているが、これは区議会には諮られていないので、区議会の
  意向は反映されていない。そうして、これらの見解をだされた中には放射線関係の専門家
  は一人もいない。

 尚、同様の不安が懸念される露天の区営プールに関しても現時点で線量調査をしたり
閉鎖をするなどの措置は考えていない。ということでした。

 ここまで、昨日上記の環境課課長石渡氏のお言葉をできるだけ忠実に報告しましたが、
最後に私の感想をひとつだけ、石渡氏に虚言癖がないとすれば、我々杉並区民はエライ
人物を区長に選んじゃいましたね。

      

  
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by shanshando | 2011-05-27 13:05 | ■古本屋子育て日記
2011年 05月 12日

メガバンクをこらしめる

世の中にはにこやかかな悪党っていますよね。
大銀行がそうです。
可愛いイメージキャラクターなんかつかってくれちゃって、優しげに
振舞っていますが、私達はバブルの崩壊以来その醜い本性を見てきました。

我々庶民がいくら「変だな?」「おかしいな?」と感じても、選挙の時以外
政治家は振り向きすらしませんが、大手銀行や大手資本のためななら、
犬馬の労を惜しみません。まことに、すごく腹が立ちます。

まぁそうは言うものの、やはり彼らが市場経済を支えて居ればこそ、我々の
生活は豊かになるんだし、と「長いものには巻かれろ」式の意見にも一理あって
上々堂なんかつぶれたって、困るのは私の家族くらいのものですが、
TM銀行やMS銀行やM銀行なんかが潰れたら困る人は大勢居ます。

でもですね、だからってどんな場合も彼らの言いなりにしておいて本当に
よいのでしょうか?

東電の原賠法の問題です。
メガバンクにはどうやら東電を解体する意思はなさそうです。
送電線の売却なんて絶対させないと思っているでしょう。
市場原理優先で考えれば、既に日本最大の電力会社として纏まっている
東電を解体して、再生可能エネルギーへの移行などという経済的リスクの大きい
賭けをする理由なんて、彼らには考えられないでしょう。経団連の会長が反対
しているのも同じ理由です。
でもこの問題は、単に経済効率だけで考えるべき問題ではないはずです。

日本中の多くの人が今や自然エネルギーへの転換に希望を託しているのは、
経済より大事なものをこの震災とそれに続く人災で知らされたからです。
経団連の老害爺さんはともかく、なんとしてもメガバンクにはこの考えを改めて
もらわねば困ります。

そこで、三大メガバンクの預金者が、例えば一万人ずつくらい署名して各行に意見書
を出すというのはどうでしょう?
まず一人100万円平均くらいの預金額があると仮定しても、一万人で10億。
10億という金額自体はメガバンクには鼻くそかもしれませんが、
これが一万人の総意に基づいた10億となれば若干事情は異なるとおもいます。

もし、意見書を無視したら預金はお近くの信用金庫に移すのです。
公共料金などの支払いには何の影響もありませんし、信用金庫なら同一金庫で
なくとも全国共通のATMが使用でき、かつ休日も手数料無料のはず。
おまけに地域の産業を応援することにもなります。

すべての信用金庫がそうとはかぎりませんが、城南信用金庫のようにはっきり
脱原発を提唱しているところもあります。
メガバンクにとっては蟷螂の斧に過ぎないかもしれませんが、一万が二万、二万が
四万に増えていくことを考えれば、さすがに考えをあらためるでしょう。
どうですかね。
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by shanshando | 2011-05-12 11:40 | ■古本屋子育て日記
2011年 05月 10日

謝るひと

通学途中の小学生の列に居眠り運転のクレーン車が飛び込んだ
あの悲惨で悲しい事件を皆さん覚えてますよね。
あの運転手の青年はきっとこれからの人生で、償いきれない罪に
悩んでいく事でしょう。
勿論法的社会的な制裁もあるでしょうけれど、つらいのはむしろ心の
問題ではないでしょうか?

ユッケの問題で多くの人の命を奪ってしまったあの社長。
彼の涙のウラにどれだけの赤誠があるかは、これから証明されると
思いますが、いずれにしても彼も法的社会的に充分な制裁を受け、
なおかつ心に責めを負うはずです。

ところで東京電力や原発を推進してきた政治家 学者 企業のみなさん
ですが、今どういうご心境でしょうか?
自分達は国策のために働いてきたんだから、責められるべきじゃない?
これは自然災害だ?  そういういい訳が通用しますか?
社会的地位もあり良識ある皆さんならよくおわかりでしょう。

人間を一人殺せば犯罪者だが、大勢殺せば英雄になる。などというふざけた
理屈は全々世紀までの常識ですよ。
あなたたちの罪は勿論土下座くらいではすみません。
現行法で刑事罰に問われなくても、みんなが知ってますよ。
いさぎよく自らを断罪してください。
未来を担う子ども達に謝罪しなさい。持っている資産のすべてを供出し、
被災した人たちに償いなさい。

かつての原子力安全委員長が、「失敗したものとして詫びる」と言ってましたが、
それは違います。あなたたちは間違えて失敗したのではありません。
あなた達は未必の故意による犯罪者です。
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by shanshando | 2011-05-10 11:56 | ■古本屋子育て日記
2011年 05月 02日

根本的な問題

未曾有の震災に更に油を注いだような原発事故の根本的な問題は
なにか?について考えてみた。
私なんかが考えても何ともならんかもわからんと思いつつ考えずには
いられない。
もっと権限や発言力や見識のある人が考えてこそ、値打ちがあるんだろ
うと、思えばまったく徒労だなあ、しかし多分一番根本的な問題は、たぶん
そのことそのものなのだろうなと気がついた。

例えば、自分の家族を住まわせる為に家を建てる時、わざわざ泥沼に
砂をばら撒いただけのような、ぐずぐずの地盤を選ぶ人がいるだろうか?
何時崩れるかわからない断崖のうえの土地を選ぶ人がいるだろうか?
はたまた、工事中に手抜きがあったことを知っていて、暮らしているうちに
壁や床がたわんできても、見て見ぬふりして、なかったことににして、住
み続ける人なんているだろうか。
判断力や経済力が伴わず、即座に引越しできないような人だっている
かもしれないが、この国を代表するような最高学府に学んで、費用の点で
もまったく申し分ないのに、あえてそんなハイリスクな家に住み続ける人は
絶対いないだろう。
自分と自分の家族が住むのであれば。

ところが、これが不思議な事にそのリスクを抱え込む単位が大きくなると
本来優秀な人が小学生でもわかる判断ミスを犯すことになる。
マンションの耐震強度を改ざんするというような事件や社会保険として納
められたお金を着服したり、刑事裁判の証拠を改ざんしたり、というような
近年の犯罪は、元々社会のダークサイドに居て、判断力が麻痺している
ような人が犯したのではなく、社会的にも安定した立場に居て、学識も高
い人が犯した罪なのだ。
そうして、今度の地震でようやく明るみに出た。原発推進という巨大犯罪も
やはり、信じられないことに、一個人としてはおそらく健全な良識を持って
いる人たちによって、連綿と行われてきたのだ。
断崖の上の泥沼に手抜きの家を建て、ご丁寧に屋根の上には爆弾まで
乗っけるという、およそ信じがたい仕事を何故そんな優秀な人たちがして
きたか?

早い話が、彼らは自分がその家に住む気がなかったからだ。
農薬漬けにして育てた野菜を出荷はしても、けして自家消費には回さない
農家と似ている。
そうは言っても、いざ問題になったらこんなに大変なことを、誰か止めさせ
ようとした人はいなかったのか?と、誰もが言うだろう。
はっきり言うと、原発の危険を言い続けてきた人ははじめの頃からいた。
だけど誰もそういう「変わった人」の言う事なんか聴こうとしなかった。
それより、最高学府を出た優秀なお役人や国策会社のエリート社員の
言う事を聞くほうが良いに決まっている。大方の人がそう思っていた。
エリート達の側では、そんな庶民の安全なんか初めっから考慮の対象
じゃないのに。

戦後日本は身分制度などない民主的な国家だと信じてきたけど、本質は
国策によって農民を満州に入植させ、いざ軍事的な危険が迫ると平気で
捨て去った大日本帝国と支配階級の意識は変わっていない。民など
彼らにとって、駒にすぎないのだ。
人民の国を標榜しながら、実際は一部特権階級のために人民を泣かせ
ているお隣の国と大差はない。
結局、どのようなイデオロギーのもとでも、特権階級が国民を食い物にする
事に違いはない。

そんなふうに考えていると暗澹とするけど、希望がないとは思いたくない。
どうすれば、狂った特権階級の弊害を取り除く事ができるのか?
例えば、教育の完全な機会均等。
現在、東大に入学する学生の多くが東大出身者の子息であるといわれる。
東大を出て、高収入を保証され、エリート社会のなかで子育てをし、結果
その子どもも東大に入る。人生におけるどんな場面でも、貧困層と関わら
ないで育つから、今日の食事にも困る人たちの事情など、想像だにしてみ
ない。貧困率なんて数字の上だけの認識で、数字が増えれば先進国として
恥ずかしいから減らそうとするけど、社会保障など重篤にして経済の足を
ひっぱられるくらいなら、殲滅してしまったほうが早いんじゃないかとか言い
出しかねない。

結論を言おう。
心ある人の浄財をつのって、あるいは企業に寄付を募って、低所得の家庭
の子息向けの無料の学塾を作ったらどうだろう?
一説によると日本の教育は中学までは世界でもハイクラスだけど、高校、
大学生の学力は最低に近いという。それは、入試があまりにも技巧化したため
ではないか?
進学塾や予備校の教師は入試の合否は問題解決のための技術習得による
と言ってはばからない。
つまり「人間は考え方を手に入れた途端に俄かに賢くなる生きもの」であり、
賢くなるための「考え方」つまり技術は金銭で購える。ということ。

しかし、そんなものは勿論本当の知性じゃない、本当の知性というのは
創造的なものであるべきだ。創造性を欠いた知性など井戸の中で団栗の
背比べをする事には役に立つかもしれないけど、それ以上にはなりえない。
そうして、この国の公教育は「創造性」を養うことを旨としていない。

上々堂をやっていてつくづく感じる事は、実に多くの父兄が、シュタイナー
教育に対する興味をもっているということ、残念ながら、未だにそれを実践
している学校は国内には少ないようだが、こんなに多くの人が求めているのに
機会が増えない理由のひとつには、やはりシュタイナーの思想そのものが、
やはり日本人の歴史的宗教的風土と相容れない側面があるからだろうと思う。

多くの父兄がシュタイナー教育にみる理想的要素の大なるものは、記憶力
の増進より感受性に重きを置くところにあると思う。
まずは幼年期に充分に感受性を開いてやること、暗記や計算能力なんて、
慌ててやればそれだけ感受性を阻害することにしかならない。そんな無理を
して鍛えた脳など、コンピューターで充分代用できてしまう。

シュタイナー教育そのものがどれだけ日本の幼児教育に向くかは判らないが、
その優れたところに学び、真に創造性に満ちた知性を養うための創造性に満ちた
幼少年教育こそ、実は今一番求められるものではないか?
そうして、その教育は必ず無償で、そうして将来的には全ての子どもに行われ
なければならない。
とりあえずは、無料の幼少年向け学塾を!
ああ、お金があったらな……。
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by shanshando | 2011-05-02 14:14 | ■古本屋子育て日記