上々堂(shanshando)三鷹

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2010年 09月 12日

パパゴニアの煩悶

4歳のQ子は今のところ、朝パパとする「お勉強」をある程度楽しんでいる
ように思う。
こちらがうっかり寝過ごしたり、勉強前にする朝食の下ごしらえが手間
取ったりすると、「ねえ、まあだ?」と催促しにくるから、少なくとも
嫌いじゃないようだ。
でも、やはり巧いぐあいに進まなかったりする時は、じれたりもしているが
そういう場合は大抵私のほうがことを急ぎすぎている時で、子供の視点に立つ
努力を怠っている。

大体がひらがなやカタカナの読み書きや、数字に対する認識なんて、本当は
抛っておいたってやがて身につく、「お受験」でもするなら成果重視にならざる
を得ないだろうが、ウチは若干目的が違う。

新しく柔らかい脳に、順序を考えながら物事を刻み込んでいく作業は、逆に
老化の一途で強張っている私自身の脳のリハビリになる。
つまり一方的に教えるというよりは、世界を認識していく過程を同時体験して
いるわけだから、本当は判っているつもりだけかもしれないこちらが性急に
なることはもっとも意味のないことだ。

なによりその時間が楽しいものでなければ意味がない。
Q子が眠い目をこすりながらも催促にくるのは、小さな妹や仕事にとられっぱなし
の父を独占できる時間が毎日約束されているからで、その気持ちに答えるためにも、
パパゴンは「お勉強」を楽しくする決心をこめて、この時空間を「パパゴニア」と
名付ける。
なんか南洋の楽園っぽいでしょ。

さて、ここ数日はずっと時計のお勉強である。
実を言えばこれこそ無駄の最たるものといえばその通りで、本当はそのうち勝手に
憶えるはずなのだ。
私は自分自身が幾つから時計が読めたか忘れたから、ためしに私より18若い
家内に憶えているかと聞くと、
「5.6歳の頃にお母さんに教わったけど、いっぺんに憶えちゃったよ」とのこと、
どんな教わり方?と聞くと、
「短い針がさしている数字が時間で、長い針が指しているところが分を表す……」
……なるほど、まぁそうだよね。でもさぁ、数字の認識ということと絡めると、
時計というのは、もっと複雑な問題を含んでいるよね。60進法を基礎にしていると
はいえ、表記は10進法で行うし、そこに12進法が関ってくる……
まぁ、たしかになんにもそんな複雑な問題を幼児に押し付けずとも、まずは機械的
に長い針がここで、短い針がここなら3時半とかそれでいいじゃんってなもんだけど、
それじゃあ、あんまりつまらなくないか?

学問というものは、「憶える」と「考える」がセットになってはじめて楽しいもので、
「考える」は「合理的思考」と「抽象的想像」の二つの要素で出来ているが、成長と
共に「合理的思考」のみが重視されるようになり「抽象的想像」は詩歌や芸術の世界
だけでしか重要視されなくなる。本当は数学や物理、化学などの世界でも「抽象的
想像力」がなければ行き詰るはずだと思うのだけど、どうも日本の幼年教育では
その辺が硬直しているように思える。
私自身、あの忌まわしい「九九」以来算数が嫌いだったけど、中学に入って「幾何」に
出会い、若干数学好きになった。「幾何」には「抽象的想像力」がつけこむ隙間が
あるように思えたからだ。(勿論当時はそんな言語で意識はしなかったけど)。

幼いQ子の脳は「憶える」作業がルーティンで繰り返されると活性を失い、脱線して
想像力の領域に遊ばせると再び活性するようだ。
「脱線」というと、学生時代、さまざまな教師がかならず持っていて、いざとなると
飛び出す「ひとつ話」を思い出すが、今言いたいのはそういう「つまらない余談」で
はなく、あくまでその時の学ぶ対象を話題にした「楽しい話」のことで、相手が幼い
子供のばあい身体的な表現、視点や視座のシフトなどが有効なように思える。

などなど……、Q子のちょっとした行き詰まりを良いことに、今は却って話を天体の
運行にまで広げてみたり、秒針にあわせて手を叩いてみたり、まついのりこさんの絵
本に少し味付けをして、チビとノッポとヤセッポチの話を私なりに作って熱演したり
している。肝心といえば肝心かもしれない時計の読み自体は未だかなり怪しいけど、
それはまあどうでもいい。だって本当は抛っておいたって勝手に憶えるんだから。
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by shanshando | 2010-09-12 15:10 | ■古本屋子育て日記


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