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上々堂(shanshando)三鷹

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2011年 02月 04日

ささやかな鬼

 199×年の2月4日の遅い午前、野の草摘み子さんは東側の窓の傍に
ぴったり寄せて据えつけたティーテーブルでまどろみからさめました。
 早い時間には、テーブル全体を優しく包み込んでいた陽射しが、今は
ようやく彼女の右の耳朶だけを暖めてくれているほどにまで引けてしまい。
小春日のように暖かだった部屋は、この季節にふさわしい冷えを取り戻し
かけています。
 
 テーブルの上には、昨日古書即売会で買った古いロシアのイコン画集と、
すっかり冷めてしまったお茶が三分の一ほど残ったティーカップと、シナ
モンのクッキーが二枚としょうがのクッキーが一枚、それから新宿に最近
オープンしたばかりのデパートの包み紙がひとつのかっています。
 「さてさて、どうしたもんやら。」
 摘み子さんは、誰に言うともないようにそう呟きました。
 ちなみに(誰に言うともなく)と、(誰に言うともないように)はあきらかに違って、
つまり前者の場合、摘み子さんは独り言を言ったことになりますが、
後者の場合、たしかに話しかける相手が身近に居たことになります。

 そう、もし今あなたが今映画でも観るみたいに199×年2月4日のその部屋
を覗けたら、とても不思議な気分になったことでしょう。だって、スクリーンには
やはり摘み子さん一人しか映っていないのです。 
でも本当のことを言うと、摘み子さんはたしかに話しかける相手があって呟いた
のです。摘み子さんは、電話を手にしているわけでも、テレパシーの能力がある
わけでもありませんから、これはちょっとしたミステリーです!

 謎をとく鍵は、デパートの包み紙。中には小さな女の子用のミトンがひと揃え
はいっています。
 そもそも、子供はおろか、係累さえもない摘み子さんの部屋にこのミトンがある
こと自体ミステリーといえるかも知れませんが、この謎はなんなく解けてしまいます。
 つまり、デパートのうっかりものの店員が取り違えてしまったのです。
 
  昨日、やはり新宿にある別のデパートで開かれた古書即売会の会場で手袋を
なくしてしまったことに、会場を出て、駅に近づいてから気が付いた摘み子さんは、
もうすでに古びてそこここがすり切れかけていたその手袋をきっぱり諦めて、新し
い手袋を買おうと、未だに入った事のないその新しいデパートに飛び込んだのでしたが、
デパートは込み合っていて、しかも開店してまだ数ヶ月しかたっていなかったので
店員も不慣れなアルバイトが多く、摘み子さんが気に入って買った白いキッドの
手袋は、帰って封を開けてみると、子供用の毛糸のミトンに化けていたわけです。

 まぁ、これだけの事だったら、立派な大人の摘み子さんをして、ここまで悩ませる
事態ではありません。レシートは間違いなく財布に仕舞ってありましたから、その
デパートに電話をかけて事情を話すだけで、デパートのほうから担当者が飛んで
来て、もともと買うはずだったキッドの手袋と同じものと交換してくれるはずです。
 ところが、そうなればこのミトンは当然デパートに返さねばなりません。それは
どうしても、摘み子さんにはできなかったのです。
 何故かって?
 それはこのミトンには小さな小さなやせっぽちの鬼が住んでいたからです。
 いや、住んでいたという表現は正しくないかもしれません。
 小鬼は訳があってこのミトンの内側に逃げ込み隠れていたのですが、なにしろ
摘み子さんが目を凝らしてみないと見えないほどの「ささやかな」鬼なものですから、
隠れているうちにミトンの内側の毛に手足を絡めとられてしまい、身動きができなく
なってしまったのです。
 本当なら、誰だって気づかないほどの小さな鬼がそんなところに「ひっかかて」
いるのに、摘み子さんが気が付いたのも、思えば運命というものでしょう。
 摘み子さんは義侠心にとんだ女性でしたから、この哀れで「ささやかな」鬼を見捨
てることはできません。なにしろ鬼はもう随分憔悴していることが一目瞭然だったの
です。

 昨夜、摘み子さんは異例の夜更かしをして、「ささやかな」鬼の身の上話を聞きました。
それによれば、鬼は今はデパートになってしまった貨物駅の東側に広がる町にかつては
暮らしていたのです。
 その頃は身体も立派に大きくて力も強く、さまざまな魔力も使えたので、時には人間を
困らせることもしましたが、自然の摂理という点から見れば概ね鬼として恥ずかしくない
生き方をしていたのです。
 鬼はその使命として人間の天敵になる必要があるときの他は、大体その地域に住ん
でいた人達とうまくやってきました。節分や鬼やらいで豆をぶつけられたりすることも
ありましたが、それもまあ昔からのお約束みたいなもんですから、それに対して真剣怒る
などということはありませんでした。
 あたり一帯は古い時代から、世の中のぎりぎり端っこで生活している人たちが住む場所
で、ある意味で人間らしい優しさと業がわだかまっているような土地でしたから、各地で
絶滅の憂き目をみている鬼族の末裔としては、うってつけの生息地だったのです。
 
 こういった土地というものは、そこに縁を持たない人にとってはゴミとか芥のようにしか
思われないもので、ですから貨物駅を取り壊して、デパートを建てる案が打ち出された時、
偉い人たちは、この地域を徹底的に「浄化」する必要を訴えました。
 「新しく、美しい町に不似合いなものは徹底的に排除せよ!」という合言葉の元、浄化
作戦は徹底的に遂行されました。なにしろその土地には沢山の税金を納めてくれる人は
一握りしか居ませんでしたから、その一握りの利益さえ保証すれば計画遂行は実に
簡単なことでした。貧しく力のない人たちは憂き目を見させられながらも、すごすごと町を
去るしかありませんでした。
 
 鬼にとってそれは本当に辛い時間の流れでした。天地創世の頃からあらゆる生きものに
怖れられてきた鬼族は、さまざまな動物が互いに生き残りをかけて戦うのを自然の摂理として
みつめ、時にはそれを促しすらして来ました。しかし「共食い」という下等動物のする醜業に
だけはどうしても目を逸らし、忌み嫌ってきました。
人間という動物は、単体で存在する時は、余程の事情がない限りこの醜業を行いません
でしたが、時に群れが巨大化しすぎた時このようなことをしてしまうのです。

 鬼は人間達の群れが生み出した得体の知れない魔力によって、町が変容していく態を
ただ呆然と見つめながら、自分の力が弱ってゆき、逞しかった身体が矮小化していくのを
とめる事もできませんでした。
 やがて、デパートを中心とした新しい町の構築は着々と成し遂げられ、気が付けば鬼は
芥子粒のように小さくなってしまっていました。
 そうして、今年の節分。新しい町のそこここで撒かれた豆のつぶてに追われて、「ささやかな」
鬼はデパートの手袋売り場の子供用のミトンに身を隠したというわけです。

 摘み子さんは、この気の毒な鬼のくっついているミトンをデパートに返してしまう気には、結局
なれなせんでした。キッドの手袋はまた別の場所で買えば済むことです。鬼は見る間にも力を
衰えさせているようです。おそらく、明日までには消滅してしまうでしょう。そうしたら鬼のお面を
つけた案山子を作り、その両手にこのミトンをつけて、東側のベランダの柵に遥か新宿の街を
睨みつけるよう、取り付けてあげましょう。そんなことを考えながら摘み子さんは、細かく砕いた
クッキーの粉を鬼の口に運んでやりました。

by shanshando | 2011-02-04 14:04 | ■古本屋子育て日記


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