2005年 07月 16日
1970年代の終わり頃、京都で学生をしていた 私は、よくジャズ喫茶でコルトレーンを聞いた。 別にジャズキチだったわけではなく、その頃も 今も他のジャズのミュージシャンのことはよく 知らないし、積極的に聞こうとも思わない。 何故コルトレーンを聞き始めたのか、よく憶え ていないのだが、たぶん友達に勧められたのだろう。 あの頃の京都は、街のそここにジャズ喫茶があり、 そのうちの数軒では、コルトレーンの命日である 7月17日がくると一日じゅうコルトレーンの曲 のみをかけていた。 たまたまその日が誕生日で、しかも一緒に祝って くれる彼女もない私は一日じゅうジャズ喫茶の 暗闇で息を殺していた。暗い青春である。 命日に一日中彼の曲のみをかけるジャズ喫茶は、 60年代から70年代にかけて日本中にあったらし い。それほどコルトレーンは日本で人気があった のだ。来日した66年には日米のレコード売り上 げ枚数がほぼ一緒になったという。 シーツ オブ サウンドといわれる彼の音が観念論 に明け暮れ、トゲトゲしていた日本の若者の心を やさしく包んだせいかもしれない。 あの頃無駄に頭でっかちだった私の耳にも彼の音は 「もっと感覚的であっていいんだよ」と囁いている ように思えた。 そう、彼の音には観念を蕩かす不思議な力があった。 それは、彼自身がやはり音楽によって観念を溶かす道 程を経たからだろう。ガチガチのくそまじめ野郎の爆 発的オナニー、そんな感じだ。 時代は変わり今や観念的な若者のほうが見つけにくく なった。 若者が感性をのびやかに表現できる今の時代が私は 本当に大好きだが、もう何処にもコルトレーンを必要 とする若者がいないかと思うと少し淋しい気もする。 熱烈な歓迎をうけた来日ツァー、しかしその時彼の 肉体はすでにボロボロだった。 翌67年7月17日肝臓がんで死亡。 享年40歳。 新所沢にある「SWAN」では明日7月17日コルトレーンの 曲とやはり同じ日が命日になるビリー・ホリデイの曲をか けるらしい。
by shanshando
| 2005-07-16 23:03
| ■古本屋の掃苔帖
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