2005年 10月 27日
「暗黒の死の洞門へ一歩々々足を進めてゐる我々人間に 何の真の幸福があらうぞと私はつねに思つてゐる。屠所 の羊に異ならない身でありながら、幸福を夢みるのは不思議 なことだと思ってゐる。それにも関わらず、生きているうちは 幸と不幸、快と不快の感に動かされない時は無い。」 幼少の頃より、虚弱であった正宗白鳥は一生、死の陰を身近 に感じながら、それに真面目に向き合い考え惑い、生きていた ようだ。 10代でキリスト教に関心をもち、19歳の時、植村正久によって 洗礼をうけた彼は、20代初め文学との出会いを期に棄教してい る。いい加減なように聞こえるが実に真摯な葛藤があったのだろ う。そしてこの葛藤は、どうやら彼が83歳で亡くなるまで続くのだ。 昭和31年、中央公論新人賞に当選した深沢七郎の「楢山節考」 について彼が「私はこの小説を面白ずくや娯楽として読んだのじゃ ない。人生永遠の書の一つとして心読したつもりである。」と絶賛し ているのは、まさにその時すでに70代後半になっていた彼が童子 ように死の陰に怯えを感じていた証拠だろう。 もっとも評された深沢七郎のほうは「私はこの小説を道楽で書いた。 」といなしている。深沢らしい含羞ゆえなのだろう。おそらく。 ともあれ、このちぐはぐな応酬にも関わらず、二人はその後師弟の 縁を持ったようで、昭和37年10月、正宗の死の床に駆けつけた深沢 は、正宗が内村鑑三に影響を受けたと話すのを聞き、「先生はその 内村という人に会いたがっている」と思い。「その人には何処に行けば 会えるか?」と聞いている。さすがは深沢七郎である。 若い頃はおそらく漠然とした恐怖だった死が、老いるにつれて現実み を帯び、最晩年の彼は人の死に様から、葬儀の形式にまで関心を持 つようになり、死の年ついには若い頃棄てたはずのキリスト教による 葬儀を望んで受け入れられている。 正宗白鳥、昭和37年10月28日膵臓癌による衰弱のため死亡。享年 83歳。
by shanshando
| 2005-10-27 23:16
| ■古本屋の掃苔帖
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