2005年 11月 01日
1960年10月12日日比谷公会堂、一人の左翼政治家が 一人の右翼少年によって刺殺された。 政治家の名前は浅沼稲次郎、当時の社会党委員長である。 朴訥な人柄で庶民からは絶大な人気を得ていたが、左派と 右派が対立する党をまとめるのに苦労していた。 少年は山口二矢、自衛官の父親をもつ17歳で、元大日本 愛国党党員だった。 山口は演説中の浅沼に駆け寄り、刃渡り一尺一寸の脇差で 左わき腹を刺し、すぐさま第二撃を左胸に、続けて三撃めを 、とした時に警察官に取り押さえられた。 浅沼は直後死亡している。 当時は民衆の中に左翼支持の機運が高く、このままでは日本 が赤化されるという焦燥が右翼少年山口二矢の中にあった。 現在との歴史的な脈略をさぐると、ちょうどこの頃在日朝鮮人 の帰国運動が行われており、保守である自民党も革新である 共産党もそれぞれの立場からこれを奨励していた。山口は 右翼の立場からこれに反対し、東京や新潟でのデモにも参加 していたようだ。 事件後、マスコミも警視庁も犯行は誰か大人の教唆によって 行われたものであるとの線を立証しようとしたが、結果、これ は17歳の少年の単独犯行であったと認めざるをえなかった。 逮捕された山口は警視庁での取調べのあと、練馬少年鑑別 所(通称ネリカン)に移され留置されていたが、11月2日午後 監視員の目を盗み、シーツを二つに裂いて作った紐を天井に あった照明用の金具にとりつけ、首を吊って果てた。 房のコンクリートの壁には、歯磨き粉を使い遺書がわりに「七 生報国」「天皇陛下万歳」と書かれていた。 ここ数年来、16、7歳の少年による凶悪犯罪が頻発し、これを 書いている11月1日の前日にも、16歳の少女が母親を毒殺 しようとした事件が報じられたが、この山口二矢の事件はその 遠い先駆けだったかもしれない。
by shanshando
| 2005-11-01 16:48
| ■古本屋の掃苔帖
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