2005年 11月 17日
やばいっ! 上々堂のパソコンが国家という文字を拒否している。 他の文字を入力した時は素直に変換するのに、「国家」 と打とうとすると変換しなくなるのです。なんと反国家的な パソコンだろう。あきらめて今興居島屋でうってます。 さて、マン・レイことエマニエル・ロドニツキーは1890年、 アメリカはフィラデルフィアでユダヤ系ウクライナ人の父 とユダヤ系ベルーシ人の母の子どもとして誕生しています。 移民の子ですね。 19世紀末のアメリカのような国家でユダヤ系移民の子として 育つということがどういう事なのか、日本人の私には想像しき れないものがありますが、なにしろこのような生い立ちが彼の 縦横無尽の想像力を形成するのにむしろ役立ったと思われま す。 1921年ニューヨークを見限ってパリに行った彼はそれまでに 培った生活、習慣などのアイデンテティーのすべてを棄て去っ たと言われます。(本名もそれに先立って棄てています) それは恐らく彼にとってそれまでのアメリカでの生活、習慣が さして棄て去っても惜しくないものだったということでしょう。 日本で生まれた、日本人の私などは外国に居を変えたところで そう簡単に生活、習慣を変えられないでしょう。 そうした捨て難いアイデンテティーを持っているということは、一 面で民族独自の文化芸術を生み出せるという利点もあるかわり、 マン・レイのように飛びぬけた時代の変革者になる事が出来ない という欠点にもなります。 日本の現代美術の作家が外国の作家の剽窃ばかりやっていて 独自性がないのはこの為だと思われます。 とにかく、全部棄ててただのマン・レイ(人/光線)になった彼は 次々と新しい表現手段に挑んでいきます。有名なレイヨグラフなど がそうですね。 晩年、姪に「あなたは誰?」と聴かれた彼は「私は謎だ」と答えたと いいます。勿論ですが山っ気の多い親父なんですね。 彼の作品で日本でもっとも知られているのは「モンパルナスの女王」 キキを撮った写真の作品だと思われますが、彼自身は写真は芸術 ではないと思っていたようです。 美術家マン・レイは1976年の明日11月18日パリで亡くなっています。 享年は86歳
by shanshando
| 2005-11-17 21:48
| ■古本屋の掃苔帖
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