滝沢馬琴が「南総里見八犬伝」の執筆をはじめたのは
文化11年(1814年)47歳の時である。
それからまさに28年の歳月をついやして、この180回
98巻106冊にわたる長編ドラマを書き上げた。
物語の後半には盲しいて、自分で書く事がならず息子の
嫁 路女に文字を教えながら代筆させ書き上げたという。
彼をして、そうさせたのは恐らく、職人的な律儀さであ
って、いわゆる芸術的野心などではなかっただろう。
40を過ぎて馬琴は若い頃の放蕩が嘘だったように、真面
目な職業作家になり、締め切りなども律儀に守ったという。
のちに坪内逍遥はこの「八犬伝」を勧善懲悪小説の象徴の
ように批判するが、それはなんだか牛丼の吉野家に入って
「店主を呼べっ!」と叫んでいる海原雄山みたいで間抜け
だ。北斎に芸術家という意識が無かったように、馬琴だって
自分の仕事が文学であるなんて思ってもいなかっただろう。
滝沢馬琴は嘉永元年11月6日午前4時ごろ亡くなった。
つまり新暦になおすと1848年の明日12月1日である。
享年81歳。