2005年 12月 15日
1996年に子息伊藤礼氏の補訳をもって、完訳版として 発行された「チャタレイ夫人の恋人」を読んで、なんで 昔はこの程度の事を猥褻のなんのと騒いだのだろうと、 訝しんだ人も多いと思う。 1950年当時の日本人は今より純情だったのだろうか? 1950年は昭和25年にあたり、すなわち売春防止法施行 前という事になり、つまり当時の国家は、というか司法、 行政はかたやで性行為そのものを売り物にする事を認め ながら、わずかばかりの文字の羅列を取り締まった事に なる。 そうして、また見方を変えれば売春防止法が施行された ことにより、圧迫された劣情にまつわる想像力が内に隠 ってより逞しくなり、少々のエロスは猥褻などと感じな いようにさせられたという事もできるかもしれない。 勿論、売防法は女性の人権を守るという意味合いもあって 作られたわけだが、国家による性の管理による反発作用は 昨今の出版物やファッションをみると、男性よりより強く女性 に影響を与えいるようにも見える。 臍だしルックは発展してパンツ見せにまでなり、倶楽部の 特別室とやらで人目をはばからず性行為をする女性まで出 てくる。ということはこれ、神近市子先生のお考えが当を得 て、女性にも男性とおなじ劣情発散の場が与えられたと喜ぶ べきなのだろう。 となると、伊藤整の立場はどうなる? 上々堂はアダルトものを置かない、子供の本を扱っているか らだ。それは性描写等が子供に有害だと考えているのではなく。 性に関わる密事(みそかごと)のベールがひとつずつ開かれて いく淫靡な愉しみを、高々銭儲けのために子供から奪う権利は ないと考えるからだ。 話はそれまくりだが、伊藤整は結局チャタレイ裁判で有罪にな った後、雑誌「群像」からの依頼でライフワークとなる「日本 文壇史」の執筆にかかるが、結局完遂することなく1969年12月 16日胃癌により他界し、「文壇史」はその後瀬沼茂樹によって引 き継がれる。 享年64歳 関係ないが、宇能鴻一郎先生の著作に「茶多令夫人の恋人」という のがあるらしい、未見だがぜひ見てみたい一冊である。内容および 文体はまぁ想像できるが。
by shanshando
| 2005-12-15 16:59
| ■古本屋の掃苔帖
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