上々堂(shanshando)三鷹

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2006年 02月 21日

古本屋の掃苔帖 第百八十七回 柳原白蓮

柳原白蓮は、明治18年華族である柳原家に妾腹の娘として生まれ
9歳でやはり華族の北小路家に養子にだされ、15歳になった時同家
の子息資武と婚姻し一子をなしているが、夫資武は一種の精神障害
の持ち主であったようで、すぐに離別生家に帰るが、生家では出戻り
を羞じ彼女を幽閉状態にする。26歳の時、兄義光が貴族院議員に
立候補のため金が必要になり、彼女自身も幽閉を解かれるならと、承
知して九州の炭鉱成金伊藤伝右衛門と再婚、伝右衛門はこの華族の
お姫様のために「あかがね御殿」なる豪邸を建て迎えるが、歌人である
彼女は、生来野卑無教養な彼に嫌悪感があった上、妻妾同居などを強
いられた事もあって、やがて帝大学生で社会主義者の宮崎竜介と密通
(その前にも二人ばかりと出来ていたようである)逐電、朝日新聞に逆
三行半(当時は女性から絶縁状を送る事は通常なかった)を掲載、この
ため妹を売った金で貴族院議員になっていた兄義光は辞職、頭にきて
また彼女を幽閉するが、やがて大正12年の震災のどさくさに逃げ出し、
晴れて竜介と一緒になる。

さて、以上が柳原白蓮の前半生のエピソードである。戦後原節子が白蓮
を演じて映画にもなり、今も女性の権利を勝ち得るため戦ったヒロインとし
て、フェミニストの皆さんに人気の高い彼女であるが。はたして事実はどう
だったろう?朝日新聞に載せた絶縁状は「女性の人権を踏みにじる貴方と
は暮らせない」という内容になっているが、伝右衛門との結婚中、彼と同衾
するのが嫌さに京都から自分付きの女中として呼び寄せた女性を代わりに
伝右衛門に抱かせたりしている。(女性の人権云々とはどの口が云うんじゃ
てなものである。) また戦後昭和天皇の皇后良子の命をうけて現皇后(彼
女は平民の粉屋の娘なのだ)と明仁親王との結婚を阻もうとしたりしている。
どうやら、彼女をフェミニズムの先駆者に祀り上げたのは夫竜介とその仲間
であって、彼女は詩歌文学の才能以外は取るべき物もない、無思慮で階級
意識の強いわがままな女でしかなかったようだ。

彷書月刊2003年2月号「特集 柳原白蓮」には劇作家斉藤憐氏の文章が
寄せられており、白蓮のことに留まらず近代史に関する氏の卓見が伺え、
興味深い。とくに当時の法令によれば、姦通罪が成立し白蓮を牢屋に叩き
込むことも可能だったはずなのに何故伝右衛門がそれをしなかったか?
白蓮の側は何故強気の「逆三行半」を新聞に載せることが出来たか(投獄
の危険を冒して)などの疑問が綺麗に解かれる。
また、この話では一貫して悪役を演じさせられる、伊藤伝右衛門が実は篤志
家として、地元では尊敬の対象になっている事実も、同号の元飯塚市歴史
資料館館長 深町純亮氏の文章に書かれている。

柳原白蓮は昭和42年の明日、2月22日81歳で没している。
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by shanshando | 2006-02-21 15:11 | ■古本屋の掃苔帖


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