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上々堂(shanshando)三鷹

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2006年 04月 15日

古本屋の掃苔帖 第二百二十六回 十七世中村勘三郎

役者子供という言葉がぴったりくる人柄であったらしい。
そのおおむね愛すべき行状は、様々な書物で喧伝されている。

歌舞伎という見世物は相撲とおなじく畸形ぶりを愛でる見世物で
ある。
この場合の畸形は個体にそなわる先天的な異常ではなく、伝統
保持という仕組みに故意に組み込まれた異常と言っていいだろう。
例えば、大相撲に重量制が持ち込まれる事が考えられないように、
血統、家柄、名跡というものが幅を利かさなくなる歌舞伎というもの
も考えにくい。
相撲取りは巨体の頭上に髷をのせた時点で神に近い異人となる。
どう考えてもあの巨体は、一般的な生活を送る上では便利と言え
ず。つまり社会的には「つぶし」の利きにくい体になるわけで、こうい
う一種のフリークスが闘うからこそ、相撲は見世物にプラスして神
事としての意味合いも持つ事になる。
おなじように、歌舞伎役者も血統、家柄、名跡という一般社会では
もはや意味を持たなくなった価値体系にこだわり、「役者子供」であ
り「真女形」などという異人を作りだすことによって、神秘性を構築
しているのである。
このような現代社会との矛盾を極力取り除こうとして続けられてい
る前進座の芝居が、残念ながら松竹主宰の歌舞伎に歯が立たな
いのは、異世界を覗く興奮が客に与えられないからである。

十七世勘三郎は、そして今の十八世勘三郎も「天下のわざおぎ」
の名に羞じない名優である。それはこうした畸形社会での棲息条
件に適合した資質を持ち合わせていたからで、これは必ずしも家
柄や血統で受け継げるものではないらしい。大きな名跡を継ぐべ
き家柄の嫡男に生まれながら、資質が備わらずやめていった例、
燻り続けた例は過去にいくらもある。

十七世勘三郎に関する書物でおもしろいのは、山川静夫のもの
と関蓉子のもので両者とも間近で見つめた、楽屋の勘三郎を中心
に描かれているところがいい。彼の異人ぶりがふんだんに描かれ
ている。

十七世に続いて十八世も見事な役者子供で、観ていて楽しい限り
だが、次代を継ぐ勘太郎あるいは七之助はどうなのだろう?現代
に抗いながら、同時に現代に受ける役者子供を培っていくのは、
並大抵のことではあるまい。

十七世中村勘三郎は1988年の明日4月16日、心不全のため
78年の人生を閉じた。

by shanshando | 2006-04-15 14:43 | ■古本屋の掃苔帖


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