上々堂(shanshando)三鷹

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2007年 04月 13日

古本屋さんたら……

今更ながらだが、本を所有するということはどういうことだろう?
と考えた。
今や女流作家として、若手のトップランナーの一人である某嬢を
たまたま子供の時から知っているのだが、彼女は当時「狂」が
つくほどの京極夏彦ファンで、彼の新刊が出ると何を置いても
一番に手に入れ、その日は食事もとらずに一気に読み通していた。
その後も何度も読み返し、もういいとなると丁寧に新聞紙に包ん
で棚の中に仕舞い込む、焼けなどは論外、埃がつくのもいやだ
というわけだ。

我々古本屋は京極夏彦のようなベストセラー作家の本は、出て
暫らくこそ珍重するが、23年も経てば安売りに回してしまう。
京極氏の本の場合、数年を経て読み返すだけの価値を認める
から、いくら入ってきてもゴミにすることはないが、それでもやっぱ
り最終的には均一である。

考えてみれば不遜な話で、全ての本の内容に目を通しているわけ
でもないのに、この手の本はこうなったら均一だとか、ここまできた
らゴミだとか云うのは、書き手の人や愛読者にしたらさぞかし頭に
来ることだろう。

因果商売の話はおくとして、普通の読書家にとってすでに読んで
内容を通暁した後もその本を愛蔵すると言うのはどういうことだろう?
古典の名作なら歳を経てまた読みたいということもあるだろうが、
それとて図書館で事足りるご時勢である。某嬢のように何処にでも
あって、また手に入れようと思えばいくらでも手に入れられそうな本
をわざわざ厳重に保管するというのは、本に一種の人格のようなも
のを与えて愛しているとしか思えない。

この場合の人格とは必ずしも著者京極氏ではなく、また登場人物
京極堂でもないだろう。言わばその作品群に触れていた時に脳中に
成立した仮想世界に遊んでいる自分そのもののような気がする。
自分の部屋の片隅にはあのワクワクする世界への窓が隠してあって、
その気になれば何時でもそこへ帰ることができる……。
常に本棚に並べて目に付く処にあったのでは、かえってその窓の神秘
性が薄れる。特別な物語世界は特別な時だけ開く魔法の世界である
べきなのだろう。

数年前にある主婦の依頼を受けて、宇能鴻一郎の著作を買い集めた
ことがある。一昔前には古本屋の均一台にいっぱいあった彼の本は
確かに今ではあまり見られない。「ペンキ屋さんたら…」とか「あたし29
歳の新婚ホヤホヤの主婦なんです…」というワンパターンの一人称で
昭和のエロ文芸に一時代を築き上げた。いわばエロの漱石と言っても
大袈裟ではない…ことはない。
出版数はどれくらいになるのだろう、ひょっとしたら赤川次郎より多いか
もしれない。これを徹底して集めようという気概はいかにもマニアという
感じのオッサンならともかく30代の主婦としては奇特というべきで、私
もそれなりに協力したのだが、そのうち忙しさにかまけて曖昧になってし
まった。
彼女は今も蒐集を続けているだろうか?
当時まだ小さなお子さんがいたが、あの子ももう中学生ぐらいになるの
ではないか?思春期の子供が居る家の主婦の本棚に燦然と輝く宇能鴻
一郎!いったい子供はどういう目線でそれらの本と母を見ているだろう?
もはや連絡も途絶えてしまったが、彼女は今も周囲の冷たい視線に耐
えつつ、古本屋のエロコーナーを物色しているのではあるまいか?
そうして、蒐集半ばにして自分を見放した私を恨んでいるのではあるま
いか?「古本屋さんたら……」と呟きながら。
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by shanshando | 2007-04-13 14:31 | ■原チャリ仕入れ旅■


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