上々堂(shanshando)三鷹

shanshando.exblog.jp
ブログトップ
2008年 04月 19日

巨樹

「仏説に、樹を植え、木を保存するを一つの功徳とす。
小生は幼少より学仏の徒なれば、愚者の一徳として発起、
且、随喜し従事する所ろなり」
神社合祀令に事寄せて、神木が伐採されるのに怒った南方熊楠が
その激越な抗議ぶりを風俗壊乱とされて罰金を徴収された時の言葉
である。

日本のみならず世界の随所に巨樹信仰があるのは、それが畏怖すべき
自然の象徴的な存在だからだろう。
例の西荻窪のケヤキは「株立ち」といって、一本の木が根元から分かれて
たっているもので、おそらく落雷の為にそうなったのではないかということ。
独特の威容はまさに偶然が折り重なって造られたものと言っていいだろう。

私は無神論者といえるほども積極的に宗教について考えた事のない人間
で、不遜という言葉がドテラを着てハナクソをほじってるようなヤツだけど、
ああいう驚異的な生命体に逢った時は思わず襟を正す。
「恐い」と「凄い」と「美しい」とが入り混じったような、いやそれだけではとても
言い表せないような不思議な気持ちなのだけど…
とにかく、ああいうものを伐り倒してしまおうという発想に何故なれるのかが
理解出来ない。
マンションのデベロッパーだか、不動産屋のオヤジだか知らないが、天罰は
恐ろしくないのか?と真剣に思ってしまう。
勿論伐り倒すのは、依頼された中小の建築業者だかなんだかのそれも雇い
人だろうし、伐ることを命じた本人は見ぬもの清しで、まぁおざなりに神主に
祝詞かなんかあげさせるんだろうけれど、それで本当に天罰から逃れられる
の?

日本神話に出てくる高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)はニニギノミコトの
祖父にあたるから、つまり天皇家の先祖ってわけで、別名を高木神と言うくら
いだから当然樹木に関係のある神様なんだろうと思うのだけど、私の無知な
推量はともかく日本の神道というのは元来自然崇拝だったはずで、神社の神
木が大事にされるのもそこに神様が宿っていると考えるからに違いない。
一木一草にいたるまで神が宿ってるという宗教に仕えながら、わずかばかりの
玉串料欲しさに祝詞をあげて、罰があたったんじゃあわないから神主だって、そ
んなところで祝詞をあげるのは断わるだろう普通。

そしてこういう時に何故右翼の人々は怒らないのだろう?
適当な考えで出てきて、かき乱されちゃ堪らないけど、明治時代の右翼ならきっと
黙ってなかっただろうと思うなぁ。

皆さん明日の日曜日、おでかけの予定がまだない人は、西荻窪に来て大ケヤキ
を見てやってください。
西荻では南にあった見事な枝垂桜も数年前に伐られちゃって、もう見ることが
出来なくなりました。見て、そうしてもしよければ署名に協力してください。
今月中に土地の売買契約が成立するという噂も聞きました。手遅れにならない
内にできることをしなければと思っています。
[PR]

by shanshando | 2008-04-19 14:54 | ■原チャリ仕入れ旅■


<< 俗      フキョーっ! >>