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2005年 09月 22日 ( 2 )


2005年 09月 22日

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さて、1968年の明日。小津映画の縁の下の力持ち脚本家野田高梧
死んでいます。
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by shanshando | 2005-09-22 21:44
2005年 09月 22日

古本屋の掃苔帖 第六十二回 野田高梧

いや参った。
意味ある偶然というのはこういう事をいうのだろうか?
今日の掃苔帖は野田高梧というのは昨夜決めたことで、
今夜ブログをあけてみると岡崎さんからのコメントで笠
智衆のこと、話が出来すぎている。

しかし、昨夜書いたことには舞踏関係者からいくらか反応
があるかと、思っていたのだが、やはり舞踏関係者は誰も
読んでないということか?
一応、毎日5,60人くらいの人はすくなくとも見てくれている
ので、3人くらいは舞踏関係者が混じっていると思っていた
のだが。

さて、吉祥寺駅を北に出てアーケード街を抜け、五日市街道
を右に折れ、石材店の角を左へ、60メートルばかり行くと、右
手に吉祥寺東コミニュティーセンターの建物がある。
別名「九浦の家」、野田高梧の三兄、野田九浦の旧居である。
広い日本庭園を擁し、奥まった処には茶室まであるという。
吉祥寺駅前の喧騒から少し離れただけで、山中のような静謐
さを味わえる結構なスポットである。

野田九浦は人物画を得意とした日本画家で、日本芸術院会員
であらせられる。あらせられるくらいだから当然お金持ちで、高
梧はこの人から譲り受けた蓼科の別荘に小津安二郎とたてこも
り、脚本を書いた。

小津という人は、いろんな彼に関する研究書の類を読むと、淋し
がり屋だから一人でシナリオを書くことをせず。
デビュー作以外は全部誰かとの共著という形で書かれていると
されているが、ようするにあの単調でぶれの少ない物語を書き続
けるには、絶対に相談者が必要だったという事だろう。
あれは、とても一人で書き続けられる代物ではない。
森敦が養女という相談者を得てはじめて創作にかかれた事情と
似ているかもしれない。

森敦と違うのは、森の養女の場合批判的でもあることで、彼を触発
しているが、小津には完全に鏡のように彼のセンス、意図を映し出
せる相手でなくてはならなかった。
野田高梧はその意味で完全だった。
兄の九浦の絵も非常に個性を主張しない。地味な。早い話がつまら
ない絵だが。高梧は恐らく兄に似通った自分の性格を、小津という天
才的な個性のそばに置くことでいかしたに違いない。
小津は非常に野田を尊敬していると言い。二人で話し合って脚本を
書いていると、必ず台詞の語尾を「わ」にするか「よ」にするかまで一
致したと言っているが、それは野田が繊細かつ正確に小津の意志を
汲んでいたということだろう。
小津が死んだ時、野田は「これで私のシナリオ人生は終わった」と言
っている。

今の若い人が、ここまでを読むと野田高梧という人はつまらない人だと
思うかもしれない。しかし私が言いたいのは逆だ。
だから、野田高梧は凄いと言いたいのだ。
世の中には、完全に没個性に徹するという表現方法があり。それが徹
せられた時には、中途半端な自己表現など恥ずかしくって前に立って
いられないほどのものなのだ。

野田高梧、1968年9月23日朝、蓼科の山荘の洗面所で倒れ死す。
死因は心不全。享年74歳。       
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by shanshando | 2005-09-22 21:30 | ■古本屋の掃苔帖