上々堂(shanshando)三鷹

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2006年 03月 19日 ( 1 )


2006年 03月 19日

古本屋の掃苔帖 第二百九回 天竜三郎

岡崎さんの「気まぐれ古書紀行」の冒頭を飾る大森 天誠書林
の和久田さんのお父さんである。昭和のはじめに美貌と、長身
を利用した柔軟な取り口で人気を博した相撲取りで、関分まで
昇進したが、大関を前にして力士の地位と生活の向上を訴えた
「春秋園事件」を起こし相撲協会を脱退、大日本関西角力協会
などを設立するが振るわず、昭和12年これを解散して他の力士
たちは相撲協会に復帰したが、彼は大陸にわたり満州での相撲
の普及に力を尽くしている。さてその満州で……。

パンッ!(以下講談調。ということは半分以上作り話ですよ)
時は、天竜渡満以来2年の月日がながれました昭和14年4月の事
新京でおこなわれた武道大会を訪れた天竜は、そこで行われてい
るひとつの試合を観て、嫌ぁな顔を致しました。その試合とは、
一人の小柄な老人が素手で真剣をもった剣士を吹っ飛ばすという
もので、こりゃどう観たってインチキ、出来試合、相撲で云えば
3代目若乃花得意のゴッツァン相撲。この神聖な武道大会でこの
ような恥知らずを行うとは、いかな取るに足りない年寄りとはい
え許せない。大男のワシが老人を虐めるようであまり良い図では
ないが、ここは一番武道の尊厳のため懲らしめてくれよう。
「ご老人っ!ワシは天竜三郎と申す相撲取り、見れば大層なお腕
前と見えるが、一手お教えを願えぬか!」
群衆の中より名乗りをあげた大兵をチラッと見上げた老人はやがて
相好をくずし、
「オー、ユーが天竜のサブちゃんかい、OK!かかっておいでカモン
プリーズ」なんてそんな事は云わなかっただろうけど、
「よろしい、刀を持つかね?」
「なにを!年寄りと思って下手にでれば許し難いその増上慢、手加
減せぬから覚悟しろっ」
「そうかい、じゃあわしの方で手加減してあげよう。
「黙れっ!」怒髪天を突かんばかりの形相で躍りかかった天竜の手が
老人の身体に触れるやいなや、はたして何処をどうしたことか前身に
電流を流されたような痺れが走り、気がつくと大男は地面におねんね
していた。
さて、ご存知のむきはとっくの昔に気がついていただろうけれど、こ
の老人こそ合気道開祖 植芝盛平、満州時代のこの頃は相手がピストル
を撃ってきても弾丸が全部見切れるので難なく躱せたという、往年の
長嶋茂雄、川上哲治もビックリという爺さん。
ああ世の中には、凄い人がいるもんだと就く尽くどちらが増上慢であ
ったか思い知った天竜は、あらためて辞を低くして弟子入りを乞い、
修行70余日にして免許皆伝に達したというから、こちらも大した物。
以上「天竜三郎と植芝盛平出逢い」の巻、これにて一席の読み切りと
致します。パパンッ!って終わっちゃいけないけど。

さて、満州でそんな出逢いがありつつもやがて敗戦で引き上げてきた
天竜は、戦後銀座でスポーツ用品店と中華料理店を経営します。余程
中華が好きだったとみえて、そういえば春秋園事件の春秋園も大井町
の中華料理屋だったし、息子の天誠さんも五反田の市の帰りには必ず
駅前の中華料理屋さんで食事しているようだ。

春秋事件では破れた天竜三郎だが、昭和16年には請われて協会顧問に
就任、(このへんは多分満州関係で軍部の力が関与したのかもしれな
い。)戦後の協会改革には春秋園で彼が訴えた改革案の殆どが用いら
れ、解説者、評論家としても活躍して1989年の明日、3月20日85歳
の天寿を全うし他界した。

尚、プロレスラーになった天龍源一郎は天龍でいいみたいだけれど、
こちらは天竜が正しいようである。戦後は中華屋の名前の関係もあっ
て天龍と名乗ったのかもしれない。
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by shanshando | 2006-03-19 15:59 | ■古本屋の掃苔帖