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2006年 03月 21日 ( 1 )


2006年 03月 21日

古本屋の掃苔帖 第二百十回 新美南吉

代表作のひとつ「手ぶくろを買いに」の母親は、人間に警戒心が強く
町は危険だと思いながら、何故幼い子狐をひとりで町にやるのか?
という議論が南吉研究者の中にあると聞く。
幼時に実の母親を亡くし、継母に育てられた南吉の深層には、優
しさのうしろに悪魔的なものを隠した母親像があるのではないかと
いうのだ。
継母の人柄については、さまざま言われ真実のほどはわからないが
南吉自身の中に人の善意にたいする疑念がテーマとしてあったのは
疑う余地のない事実であろう。

「権狐」の兵十 「牛をつないだ椿の木」の地主などは、人の善意に
疑念をもってしまう自分を最終的に悔いる人々である。つまり南吉が
ヒューマニズムの作家と言われる所以であるが、「手ぶくろを買いに」
の母狐だけは最後まで疑問を呈したままで、人間を善とは断定しない。
それが実はこの作家の本音ではなかったか?
童話や児童文学というものはどこまでも教条的でなくてはならない、と
いう思い込みが世間にもまた作家自身にも壁としてあり、それは言葉
を変えれば童話や児童文学が「子供ダマシの文学」でしかなかったと
いうことだろう。

事実、考えられないことにこの作家の全集や単行本の多くはろくな
テキスト校訂も行われず、加筆削除すなわち時代に迎合した書き換
えが行われている。例えば、漱石の全集に漱石が書きもしなかった文
章など紛れ込ませたり、あるいはその時代の公序良俗を害するからと
言って勝手に削除されたりする事はありえないだろうが、南吉の作品は
たかだか子供の読み物だからという理由で度々書き換えが行われたの
である。

「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら。」
という「手ぶくろを買いに」の母狐の疑問形のつぶやきの先に踏み込め
なかったのは、当時の児童文学一般の未成熟の故であり、南吉自身の
若さのせいだろう。
夭折という一点で比較されがちな宮沢賢治の持つ複雑な人間観とは大
きな開きを認めざるを得ない。ただ、「手ぶくろを買いに」の母狐のもつ
冒頭に書いた矛盾と、最後の台詞のなかにこの作家がこれから踏み込
もうとしていた地平を想像するのみである。

新美南吉は1943年昭和18年の明日、3月22日咽頭結核によって死
去している。
享年29歳。
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by shanshando | 2006-03-21 18:21 | ■古本屋の掃苔帖