上々堂(shanshando)三鷹

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2006年 03月 23日 ( 1 )


2006年 03月 23日

古本屋の掃苔帖 第二百十二回 梶井基次郎

梶井基次郎の屍体は、残念ながら桜の樹の下ではなく、コチャコチャ
ビルの立ち並んだ大阪 南区の常国寺の墓地に埋まっている。
遺言により、棺の中で茶の葉に埋められたというが、これは何処の国
の風習だろう?荼毘の荼は茶に似ているが関係はあるまい。
棺のまわりには草花が飾られ、これも遺言である。
茶の一件はおそらく何か書物をあたれば真相が書いてあるだろうが、
草花はあきらかに彼一流のリリシズムで、平たく言えば「ええカッコしー」
である。恥ずかし、

梶井基次郎は、大阪の土佐堀通り5丁目の腰弁のせがれとして生まれた。
「腰弁」がわからない若い人の為に一応説明しておくと、早い話が「リーマン」
である。このリーマンはせがれと同様の猿顔であったかどうかは知らないが
とにかくスケベで、飲んだくれで、女房を泣かせるだけ泣かせた。うらやましい
もんだ。
親父が極道なら、せがれも大人しくその血を受けつげばいいのに、不幸な
事に基次郎は当時の女性としては珍しいくらいの知的欲求の持ち主である
母親の血を受け継いだ。
当時は聡明な青年は、みんな結核を病むことに決まっており、患わないと、
なんだか世間の期待を裏切ったようで申し訳なく、なんとか感染しないものか
と用もないのに療養所のそばをうろついたりしたものである。
基次郎は運良く、三高在学中の大正9年に罹病していて。本格的に文学の
習作に手を染めているのが、21歳になった大正11年であるから彼の文学
は殆ど病をとおして死と向かい合うことで生まれたものであるといっていい。
代表作のひとつ「桜の樹の下には」のヴィジュアルイメージは、映像文化が
発達した今日では、さほど驚くほどのものではないが、当時の読者には衝
撃的であっただろう。ただし彼はほとんど世に知られないまま死んでいる。
漸く第一創作集「檸檬」が発表されたのが昭和6年で好評を得たが、翌昭和
7年の明日、3月24日には肺結核の病状が悪化他界している。
享年31歳。
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by shanshando | 2006-03-23 23:05 | ■古本屋の掃苔帖